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2016年7月 2日 (土)

ハーディングの千人

新日本フィルハーモニー交響楽団第五六〇回定期演奏会

マーラー/交響曲第八番変ホ長調

独 唱/エミリー・マギー、ユリアーネ・バンゼ、市原愛(ソプラノ)、
    加納悦子、中島郁子(アルト)、サイモン・オニール(テノール)、
    マイケル・ナギー(バリトン)、シェン・ヤン(バス)
合 唱/栗友会合唱団(合唱指揮:栗山文昭)
    東京少年少女合唱隊(合唱指揮:長谷川久恵)
管絃楽/新日本フィルハーモニー交響楽団
指揮/ダニエル・ハーディング

二〇一六年七月一日 すみだトリフォニーホール

 ハーディングという指揮者は、以前外国のオケでマーラーの交響曲第一番を聴いたが、印象は「笑うツボが違う」という事だった。今回も同じで、私が思う「ここで撓めて」とか「ここはたっぷり」とか思うところをサラサラッと通り過ぎてしまう。それでいて、予想外の表現に「やられたあ!」と感心することも無い。大団円の部分を一切撓めずにスラスラ進めて行くのを聴きながら、「千人」も普通の曲目になったものだと妙な感慨を持った。そのうち春の祭典のように名曲コンサートのレパートリーになるのかも知れない。

 今回の演奏で気づいたことを並べておく。オルガンの上手に児童合唱、下手側にバンダと栄光の聖母を配置。これだと金管バンダの効果はゼロ。ホールの物理的制約もあるのだろうが、バンダは客席側に置いて、聴衆の背後から鳴って欲しい。チューブラーベルをオクターヴで叩かせるのは最近増えてきたが、音が浮き上がらず悪くないと思う。ティンパニは三台づつ二組で、両手打ちは無し。シンバルの複数打ちは、一回目は吊りシンバル三枚、二回目はクラッシュシンバル三組。独唱者の位置はオーケストラと合唱の間だが、第二部のバリトンとバスの独唱だけは舞台前面(指揮者の上手側)に移動して歌わせていた。これは画期的な試みで、以前から私は第一部の独唱はオケと合唱の間、第二部は舞台前面で唱って欲しいと思っていた。今回はバリトンとバスだけだったが、十分効果があったと思う。広い舞台に少なめの合唱団で、演奏中にソリストが移動する通路を確保出来たから可能だったのだろう。なお、第二部で(もしかすると第一部から?)ソプラノの第一と第二の立ち位置を入れ替えていたのも、以前に誰かがやっていたと思うが、三重唱(第一ソプラノとアルト二人)が多い構成から考えて妥当だったと思う。

 オーケストラは金管の裏返りなどが耳に付く雑な仕上がりだったのが残念。三回公演の初日なので、抑え気味だったせいもあるが、お仕事モードだった印象。その反面、合唱のレヴェルは非常に高かった。栗友会も東京少年少女合唱隊も人数は少なめだったが、そんな不満を一切感じさせない完成度だった。独唱陣では第二ソプラノと、急な代演だった第二アルトがやや苦しかったのと、第三ソプラノがヴィブラート過多な唱い方で栄光の聖母らしくなかったのが残念。舞台前面で唱ったバリトンの独唱は出色の出来だった。

 今年は「千人」の当たり年で、四種の演奏を聴くことが出来る。残りは九月のN響だが、ヤルヴィの千人というのは今一つピンと来ない。来年の広上、山田和樹の方に期待が高まる。

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