バッティストーニの春の祭典
東京フィルハーモニー交響楽団第八九二回オーチャード定期演奏会
ヴェルディ/歌劇「オテロ」第3幕~舞曲
ヴェルディ/歌劇「オテロ」第3幕~舞曲
ザンドナーイ/歌劇「ジュリエッタとロメオ」~舞曲
ストラヴィンスキー/舞踊音楽「春の祭典」
外山雄三/管弦楽のためのラプソディ~八木節(アンコール)
管絃楽/東京フィルハーモニー交響楽団
管絃楽/東京フィルハーモニー交響楽団
指揮/アンドレア・バッティストーニ
二〇一七年五月二十一日(日)Bunkamuraオーチャードホール
バッティストーニが春の祭典を振るというので、聴いてみることにした。金曜夜のオペラシティと日曜昼のオーチャードホールとの二択だが、迷わずオーチャードホールを選択。どうも、オペラシティというホールは大編成のオーケストラには不向きという印象が強いのだ。その点、オーチャードホールは音響自体は悪くないと思う。ところが、会場に向かおうとすると渋谷周辺は何やら祭りをやっていて、道玄坂通りも文化村通りも横切ることが出来ない。春日八郎が「ラブラブ渋谷」と唄う渋谷音頭に合わせて踊る人々を暫し眺めてから会場へ辿り着く。
曲目を眺めると踊りがテーマなんだなということが理解出来る。前半の二曲は聴いたことがないが、後半が春の祭典一曲だから結構長い曲なのかと思っていると、二曲合わせて十五分程度。と言うことは演奏時間正味五〇分ということになる。死にかけの爺さん指揮者じゃあるまいし、若い指揮者が組むプログラムではない。バッティストーニはいつから大巨匠になったのか。本人が決めた曲目だとしたら、思い上がりも甚だしい。
ヴェルディとザンドナーイの舞曲は楽しい小品。あっという間に終わって休憩。お目当ての春の祭典は、冒頭のファゴットの第一音を、ヴィブラートをかけて目一杯伸ばす。冒頭から遊んでくれて面白い。ただし、第一部はそれ以外に大きな外連もなく、前へ前へ進む演奏。東フィルも良く鳴って迫力満点だ。圧倒的な迫力のまま第一部は走りきる。この調子で第二部も突っ走るのかと思ったら、十一連打から少し行ったところで突然大きくテンポを落とす。これは大変面白かった。そしてコーダ直前(練習番号一八〇)でもう一度大きくテンポを落とす。それも直前のルフトパウゼを大きく取って、トロンボーンのグリッサンドを強烈にデフォルメするので、かなりのインパクトがある。春の祭典のような複雑な曲の場合、急にテンポを変えると何が起こったのか解らなくなる事があるが、バッティストーニもそれを狙ったのだろう。一瞬わけが解らなくなったが、暫くすると何が起こっているのか理解し、「やられたあ!」と思う。バッティストーニには急なギヤチェンジや、急な最弱音などで何度か驚かされているが、今回もしてやられたりという感じだ。ところが、コーダで再び普通のテンポに戻ったところから、何故だか急に緊張感が緩んでしまい、オーケストラも全然鳴らなくなる。自分の集中力が途切れたせいかと思ったのだがそうではない感じだ。結局そのままコーダまで行ってしまい、あっけなく終了。何が起こったのかはよく解らなかったが、最後まで緊張が持続すればかなりの名演だったと思うので残念である。
二〇一七年五月二十一日(日)Bunkamuraオーチャードホール
バッティストーニが春の祭典を振るというので、聴いてみることにした。金曜夜のオペラシティと日曜昼のオーチャードホールとの二択だが、迷わずオーチャードホールを選択。どうも、オペラシティというホールは大編成のオーケストラには不向きという印象が強いのだ。その点、オーチャードホールは音響自体は悪くないと思う。ところが、会場に向かおうとすると渋谷周辺は何やら祭りをやっていて、道玄坂通りも文化村通りも横切ることが出来ない。春日八郎が「ラブラブ渋谷」と唄う渋谷音頭に合わせて踊る人々を暫し眺めてから会場へ辿り着く。
曲目を眺めると踊りがテーマなんだなということが理解出来る。前半の二曲は聴いたことがないが、後半が春の祭典一曲だから結構長い曲なのかと思っていると、二曲合わせて十五分程度。と言うことは演奏時間正味五〇分ということになる。死にかけの爺さん指揮者じゃあるまいし、若い指揮者が組むプログラムではない。バッティストーニはいつから大巨匠になったのか。本人が決めた曲目だとしたら、思い上がりも甚だしい。
ヴェルディとザンドナーイの舞曲は楽しい小品。あっという間に終わって休憩。お目当ての春の祭典は、冒頭のファゴットの第一音を、ヴィブラートをかけて目一杯伸ばす。冒頭から遊んでくれて面白い。ただし、第一部はそれ以外に大きな外連もなく、前へ前へ進む演奏。東フィルも良く鳴って迫力満点だ。圧倒的な迫力のまま第一部は走りきる。この調子で第二部も突っ走るのかと思ったら、十一連打から少し行ったところで突然大きくテンポを落とす。これは大変面白かった。そしてコーダ直前(練習番号一八〇)でもう一度大きくテンポを落とす。それも直前のルフトパウゼを大きく取って、トロンボーンのグリッサンドを強烈にデフォルメするので、かなりのインパクトがある。春の祭典のような複雑な曲の場合、急にテンポを変えると何が起こったのか解らなくなる事があるが、バッティストーニもそれを狙ったのだろう。一瞬わけが解らなくなったが、暫くすると何が起こっているのか理解し、「やられたあ!」と思う。バッティストーニには急なギヤチェンジや、急な最弱音などで何度か驚かされているが、今回もしてやられたりという感じだ。ところが、コーダで再び普通のテンポに戻ったところから、何故だか急に緊張感が緩んでしまい、オーケストラも全然鳴らなくなる。自分の集中力が途切れたせいかと思ったのだがそうではない感じだ。結局そのままコーダまで行ってしまい、あっけなく終了。何が起こったのかはよく解らなかったが、最後まで緊張が持続すればかなりの名演だったと思うので残念である。
何回かのカーテンコールの後、流石に短すぎると思ったのだろう、本定期にしては珍しくアンコール。それも、外山雄三のラプソディから八木節。音楽鑑賞教室以外ではなかなか演奏されない曲なので、素直に生で聴けて嬉しい。ただ、春の祭典の後にやるアンコール用選曲としてどうかは疑問が残る。
アンコールをやっても終演は十六時半。休憩、アンコール込みで九〇分という、とても短い演奏会だった。今回も録音用のマイクが立っていたが、今日の演奏はCDにはならないのではないか。二日前のオペラシティでは、最後まで緊張が持続したのだろうか。
アンコールをやっても終演は十六時半。休憩、アンコール込みで九〇分という、とても短い演奏会だった。今回も録音用のマイクが立っていたが、今日の演奏はCDにはならないのではないか。二日前のオペラシティでは、最後まで緊張が持続したのだろうか。
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