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2018年10月20日 (土)

岩崎御嶽社

 名古屋で時間があったので、浅野祥雲作品を幾つか見てきた。
 犬山成田山、桃太郎神社、春日井駅前弘法、慈眼寺弘法、勝川大弘法、東風公園弁財天、五色園、岩崎御嶽社と回ったのだが、桃太郎神社と五色園は再訪なのでちょっと覗くだけの感じ。慈眼寺は疑問作、勝川と東風公園は雲岳作品だ。
 興味のない片にはサッパリ解らないかも知れないが、浅野祥雲は昭和の初めから四〇年代まで活躍した名古屋のコンクリート仏師で、雲岳は昭和初期のコンクリート仏師。活動地域と作風が被っているので同一人物説が強い。
 犬山成田山、桃太郎神社、五色園、岩崎御嶽社は複数の祥雲作品が集まっているスポットだが、難関は岩崎御嶽社である。これは江戸末期に木曽の御嶽大神を勧請した山で、山頂に御嶽神社があるのだが、その山中にあちこちの御嶽講中が作った霊場が点在しているのだ。山の斜面を十メートル四方くらいに仕切って、沢山の石碑、仏像などが林立しており、規模の大きな物になると管理用の建物などが付随していたりする。これが何の規則もなく隣り合って配置されており、手入れされている物もあれば、荒れ放題になっている物もある。そして、だれもそれらを統括している者はなく、地図も何もないのだ。鬱蒼と茂った森の中にあるので、航空写真でも全く把握不可能である。事前にネットで情報を集めると、素人が下準備無しに足を踏み入れてはならないカオスなスポットと紹介されていることが多い。
 今回は下見のつもりで土曜日の午前中に二時間ほど探索してみた。確かに森の中の荒れた霊場は気味がいいとは言えないが、かつての御嶽信仰というのは随分盛んだったことが解る。私の興味は祥雲作品なので、石碑類には目もくれず、人物像、仏像だけをチェックしながら回ってみた。有名な山頂駐車場周辺や西側の駐車場周辺の像の他に、祥雲らしい感じのコンクリート像がかなり存在しているようだ。ここは是非一度、大縮尺の地図とGPS、カメラを持って、二日くらい掛けてじっくり調査してみたい所だ。ちょっと覗いて回る程度では勿体ない。
 とにかく山の中で道無き道を藪漕ぎして進むので、調査するなら冬場でないと無理だろう。当日は十月なのに蝉が鳴いている陽気で、藪蚊と服にくっつく草の実に悩まされ、何よりも蜘蛛の巣だらけでまともに歩けない。以前四国の鵜来島を歩いた時みたいに、手頃な棒切れを振り回して蜘蛛の巣を払いながらでないと進めないのだ。
 是非冬に再訪してみたいと思う。
Pa134181

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2018年10月15日 (月)

名古屋フィルハーモニー交響楽団第四六一回定期演奏会

名古屋フィルハーモニー交響楽団第四六一回定期演奏会

マーラー/交響曲第八番変ホ長調

独唱/並河寿美、大隅智佳子、三宅理恵(Sop.)、加納悦子、福原寿美枝(Alt.)、
   望月哲也(Ten.)、宮本益光(Bar.)、久保和範(Bas.)
合唱一/グリーン・エコー
合唱二/名古屋市民コーラス、名古屋混声合唱団、一宮第九をうたう会、
    混声合唱団名古屋シティーハーモニー、クール・ジョワイエ
合唱指揮/河辺康宏、荻野砂和子、神田豊壽
児童合唱/名古屋少年少女合唱団(合唱指揮:水谷俊二、谷鈴代)
管絃楽/名古屋フィルハーモニー交響楽団、、中部フィルハーモニー交響楽団
指揮/小泉和裕

二〇一八年一〇月一二日(金)、一三日(土)名古屋市民会館大ホール

 基本的な曲作りは先日の九響と変わらないが、充実感は大きく違った。九響を聴いた時も非常な感動と満足感を感じられたが、名フィルはそれを上回る。間違いなく今年のマラ八ラッシュの中で白眉の演奏と断言出来るだろう。私が聴きたいのはこういうマーラーである。とは言え、何か特別な外連があるわけではなく、旋律をたっぷり歌わせ、呼吸を大きく取り、時にテンポにメリハリを付けるという、ごく普通の事をやっているだけなのだ。フルトヴェングラーの逸話を持ち出すまでもなく、いい指揮者というのは立っているだけでいい演奏になるのだと思う。先日の九響と今回の名フィルを聴いて、今まで堅実な中堅指揮者という認識だった小泉和裕が、いつの間にか巨匠の域に達している事を感じた。
 小泉が指揮する音楽を聴いていると、自然体で小賢しい所は無い。テンポの動かし方や表情の付け方も極端ではないのだが、何とも恰幅が良く安心して聴いていられる。マラ八では、昨年聴いた広上淳一も素晴らしかったが、広上にはまだ計算ずくな所があり、思わぬディフォルメに感心しつつも、ちょっと音楽の流れが止まってしまう感じがあった。その点で、小泉は大向こうを唸らせようという意識は感じられず、自由に思ったとおりの音楽を作っていく感じだ。あまり練習できっちり作り込んだ感じではなく、大きく方針を決めて、後は奏者の自発性に任せている印象なのだ。なので、音楽に身を委ねていて誠に心地よく、いつまでも音楽が終わらないでほしいという気持ちになる。とにかく素晴らしいマラ八で、今まで聴いたマラ八の中でもベストを争う出来であったと思う。
 備忘録として、絃は二〇型、テューバ二、ハープ二、マンドリン一、ティンパニ三台×二人で両手打ちは無し。鐘はチューブラーベル使用。第一部のシンバルは一回目が吊りシンバル×三、二回目が合わせシンバル×三。第二部の冒頭、シンバルは摩擦奏法なし。独唱はオケと合唱の間。合唱の並びは奥が男声、手前中央が児童で両側が女声。金管バンダは上手側の花道に配置、栄光の聖母は下手の側壁にある照明用?の窓から唱っていた。
 独唱は第三ソプラノ、第二アルト、バリトン以外は九響と同じ。九響同様第二ソプラノが大変素晴らしく、特に第二部の罪を悔いる女の最後の所は鳥肌が立った。九響ではいなかった第三ソプラノ、第二アルト、バリトンは好演、一方でテノールは頑張っていたが声質が悪く、バスは音量が足りなかった。第一ソプラノは、最後の神秘の合唱でハイCの後の二つの音を唱っていなかった(又は聞こえなかった)。九響ではハイCを絶叫した後、息継ぎをして歌っていたと記憶しているが、二日ともそうだったので、ここは指揮者の解釈(妥協?)なのかもしれない。
 合唱は地元の合唱団で、第一コーラスと児童合唱は単一の団体、第二コーラスは五団体の合同。特別上手というわけではないが、よく纏まって安定感があった。小泉は合唱団を第一部では立たせたまま、第二部でも立ったり座ったりを最小限にしていたが、これは素晴らしいと思う。全曲立っていろとまでは言わないが、某アマチュア合唱団みたいにやたら立ったり座ったりするだけでなく、第二部の最初は座って唱うみたいなやり方は気が散っていけない。また、初日は合唱団員が二人倒れてハラハラしたが、二日目は倒れる人はいなかったようだ。今回の合唱を聴いて、先日の読響のときに音大生合唱団に感じた纏まりの無さは、声の若さ故ではないかと改めて感じた。

 今回は愛知芸術劇場が改修中の為、古い名古屋市民会館での公演だったが、舞台が広く取れるので結果的には良かったのかもしれない。オルガンが電子オルガンだったのは残念だが、音響的にも過剰な残響はかえって邪魔な曲なので、各パートが見通良く聞こえたと思う。
 今回は金土定期の二日とも聴いたが、三日目があったらもう一度聴きたい。それぐらい素晴らしいマラ八だった。名古屋まで遠征して本当に良かった。

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2018年10月 9日 (火)

関西グスタフ・マーラー交響楽団第八回演奏会

関西グスタフ・マーラー交響楽団第八回演奏会

マーラー/交響曲第八番変ホ長調

独唱/安藤るり、老田裕子、端山梨奈(Sop.)、八木寿子、福原寿美枝(Alt.)、
   二塚直紀(Ten.)、小玉晃(Bar.)、武久竜也(Bas.)
合唱/京都大学音楽研究会ハイマート合唱団、大阪混声合唱団有志
児童合唱/寝屋川市立第五小学校、メイシアター少年少女合唱団
管絃楽/関西グスタフ・マーラー交響楽団
指揮/田中宗利

二〇一八年一〇月八日 京都コンサートホール

 関西のアマオケによる千人。備忘録として、オケは十六型くらいで、対向配置。チェロが下手でコントラバスは正面一番奥。ピッコロ、小クラリネット各一。ハープ二、マンドリン三(絃楽器と持ち替え)。合唱は第一が約八〇名、第二が約七〇、児童が約二〇名で、並びは下手から男声、女声、児童、女声、男声。金管バンダは第一部がオルガン下手のボックス、第二部は上手側のオルガンと合唱の間。独唱者は第一部が舞台前面で、下手がソプラノ、上手がバス。第二部は合唱の前(P席一列目)で、バスの上手に栄光の聖母。マラ八を随分聴いてきたが、栄光の聖母が他の独唱者と並んでいるのは初めて見た。ティンパニは二組で両手打ちは無し。マンドリンを絃楽器奏者(第一ヴァイオリン、第二ヴァイオリン、ヴィオラ)が持ち替えるというのは、プロには出来ない素晴らしいアイディアだ。一ヶ所に纏まっていないのでバラバラに聞こえたのは御愛嬌であろう。
 今回のマラ八ラッシュの中では、技術レヴェルは一番低く、人数も最小限(児童合唱は最小限未満)だが、これでマラ八が上演出来てしまうと云うのは凄いと思う。絃のレヴェルは十分。昔はアマオケと云えば絃が揃わなかったものだが、昨今のオケは本当にレヴェルが高い。金管の高音が盛大にひっくり返ったり、ここ一番でシンバルが空気打ちをやらかしたりしていたが、オーケストラのメンバーは楽しそうに演奏していた。合唱も人数が少なく音量は不足気味ではあったが、よく練習している感じだった。二つの常設合唱団が第一コーラスと第二コーラスを分担しているので、技術的にはもう一歩だが、よく纏まっていたと思う。先日の音大生寄せ集め合唱団(読響)は一人一人はちゃんと歌えていても合唱団としての纏まりが感じられなかった。音大生レヴェルを寄せ集めて一夜漬けで唱わせるよりは、下手でも常設の合唱団がしっかり練習した方が出来がいいようだ。児童合唱は頑張っていたが、さすがにこの人数(メンバー表によれば十八人)ではどうにもならない。客席の最前列にでも並べないと聞こえないだろう。
 独唱陣はとても良かった。特に女声の四人が素晴らしいアンサンブルを聴かせていた、またテノールも特筆に値する素晴らしさで、感動的だった。一方、バスは音量的に苦しく、栄光の聖母は雰囲気の無い歌唱だった。
 指揮者は時にテンポをぐっと落としたりして、なかなか面白い部分があった。職業指揮者なのかどうかはよく判らないが、オールアマチュアのこの面々をよくぞここまで纏めたと思う。一方で、第一部、第二部とも最後の部分を全く撓めずにあっさり進めてしまう辺り、盛り上げようという意思は全く感じられなかった。なので、途中はそれなりに良かったのに、最後があっさりなので拍子抜けという印象だ。
 最後に疑問点を二つ。まず、金管バンダの扱い。第一部はオルガン左のボックス、第二部は上手側のオルガン前。第一部が終わってバンダが移動し始めたので、ボックスに栄光の聖母が入るのかと思ったら違った。この移動は指揮者の位置からだと何か違うのかも知れないが、客席から聴くと意味が無い。音響的には金管バンダは客席側に配置したい。費用の問題はあるが、インバルがやる二倍にして客席後方の上手下手に分けて、客席全体が音の渦に巻き込まれるのがいいと思う。次に独唱者の位置。第一部は指揮者の上下。第二部はP列一列目。曲の性格からして、独唱者は、第一部はオーケストラと合唱の間、第二部は舞台前面に配置したい。新日本フィルを振ったハーディングはバリトンとバスを、先日の読響を振った井上道義は男声三人を第二部だけ舞台前面に移動させていた。これが成功していたかどうかは別にして、やりたいことはよく判る。しかし、第二部で独唱を奥にして、栄光の聖母を並べてしまうのはどういうことか。オルガン下手のボックスでも、バルコニー席でも、栄光の聖母を配置する場所は幾らもあるだろうに。この、無意味又は逆効果としか思えないバンダと独唱の移動についてどんな効果を狙ったのか聞いてみたいものだ。少なくとも客席で聴いていて、「ハハン、なるほどね」と合点する部分は全くなかった。
 あっさり曲が終わった瞬間、盛大にブラヴォーと絶叫する輩がいたのも興醒めだった。このオッサン、その後も発声練習みたいに騒ぎ続けていた。あれでは、ただ大声を出したい人だ。まあ、アマオケだと時々見かける頑張りすぎて周りを引かせるサクラだったのかも知れないが。

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2018年10月 3日 (水)

井上/読響の千人

東京芸術劇場presents 井上道義&読売日本交響楽団

マーラー/交響曲第八番変ホ長調

独唱/菅英三子、小川里美、森麻季(Sop.)、池田香織、福原寿美枝(Alt.)、
   フセヴォロド・グリフノフ(Ten.)、青戸知(Bar.)、スティーヴン・リチャードソン(Bas.)
合唱/首都圏音楽大学合同コーラス(合唱指揮:福島章泰)
児童合唱/TOKYO FM少年合唱団
管絃楽/読売日本交響楽団
指揮/井上道義

二〇一八年一〇月三日 東京芸術劇場大ホール

 周年事業などではない東京芸劇の自主事業。予算が余っているのだろうか。
 絃は十六型、ハープ四、マンドリン二、ティンパニは二組で、両手打ちは無し。合唱は首都圏の音大(上野、国立、昭和、洗足、桐朋、東京、藝大)の学生と、OBと東響コーラスの男声が賛助出演で約二五〇名、児童合唱は約三〇名。金管バンダと栄光の聖母はオルガンバルコニーに配置。
 合唱はここのレヴェルは高いのだが、やはり寄せ集めのせいか纏まらない感じがした。一方、児童合唱は少年だけと云うこともあり、人数は少ないが理想的な発声で大健闘していた。もっとも私の席は一階前方上手側で、児童合唱(舞台上手のバルコニー席)に近いので聞こえやすかったのだが。
 声楽陣は女声は及第点だが男声に不満が残る。バリトンは好演だったが、見せ場の一番高い音が苦しいと云うよりは出ていなくて残念。外人歌手のテノールは下品な唱い方で興醒め。同じくバスは吠えるところは大声なのだが、それ以外は体格ほど声量はない。何故わざわざ外人歌手をキャスティングしたのか疑問。独唱は一部ではオーケストラと合唱の間だが、第二部は男声だけ指揮者の左右に移動。これはいいと思う。
 井上道義の指揮は、何年か前に名古屋のアマオケ&合唱団の寄せ集めを指揮した時の印象で全く期待していなかったのだが、今回はプロオケと音大中心の合唱と云うことで随分印象が変わった。前回は全く何をやりたいのかが伝わってこなかったが、それは巨大編成の素人たちを纏めるだけで精一杯だったと云うことなのだろう。今回は特にオーケストラだけの部分がそこそこ充実した音楽になっていたと思う。所々で普段聞こえにくい金管が聞こえたりして、面白く感じる部分があったのは収穫だと思う。アマオケ相手の時には神秘の合唱で照明を落とすような小細工をしていたが、今回は第二部全体で照明をやや落とす程度で、わざとらしい感じにはなっていなかった。
 今回特筆すべきは児童合唱の好演。学生の合唱団も纏まりは無かったが、健闘していたと思う。CD化用らしいマイクロフォンが林立していたが、バランスを調整すればCD化は可能だろう。ひっくり返る木管奏者や、携帯を鳴らす客がいなくて本当に良かったと思う。

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