関西グスタフ・マーラー交響楽団第八回演奏会
関西グスタフ・マーラー交響楽団第八回演奏会
マーラー/交響曲第八番変ホ長調
独唱/安藤るり、老田裕子、端山梨奈(Sop.)、八木寿子、福原寿美枝(Alt.)、
マーラー/交響曲第八番変ホ長調
独唱/安藤るり、老田裕子、端山梨奈(Sop.)、八木寿子、福原寿美枝(Alt.)、
二塚直紀(Ten.)、小玉晃(Bar.)、武久竜也(Bas.)
合唱/京都大学音楽研究会ハイマート合唱団、大阪混声合唱団有志
児童合唱/寝屋川市立第五小学校、メイシアター少年少女合唱団
管絃楽/関西グスタフ・マーラー交響楽団
指揮/田中宗利
二〇一八年一〇月八日 京都コンサートホール
関西のアマオケによる千人。備忘録として、オケは十六型くらいで、対向配置。チェロが下手でコントラバスは正面一番奥。ピッコロ、小クラリネット各一。ハープ二、マンドリン三(絃楽器と持ち替え)。合唱は第一が約八〇名、第二が約七〇、児童が約二〇名で、並びは下手から男声、女声、児童、女声、男声。金管バンダは第一部がオルガン下手のボックス、第二部は上手側のオルガンと合唱の間。独唱者は第一部が舞台前面で、下手がソプラノ、上手がバス。第二部は合唱の前(P席一列目)で、バスの上手に栄光の聖母。マラ八を随分聴いてきたが、栄光の聖母が他の独唱者と並んでいるのは初めて見た。ティンパニは二組で両手打ちは無し。マンドリンを絃楽器奏者(第一ヴァイオリン、第二ヴァイオリン、ヴィオラ)が持ち替えるというのは、プロには出来ない素晴らしいアイディアだ。一ヶ所に纏まっていないのでバラバラに聞こえたのは御愛嬌であろう。
二〇一八年一〇月八日 京都コンサートホール
関西のアマオケによる千人。備忘録として、オケは十六型くらいで、対向配置。チェロが下手でコントラバスは正面一番奥。ピッコロ、小クラリネット各一。ハープ二、マンドリン三(絃楽器と持ち替え)。合唱は第一が約八〇名、第二が約七〇、児童が約二〇名で、並びは下手から男声、女声、児童、女声、男声。金管バンダは第一部がオルガン下手のボックス、第二部は上手側のオルガンと合唱の間。独唱者は第一部が舞台前面で、下手がソプラノ、上手がバス。第二部は合唱の前(P席一列目)で、バスの上手に栄光の聖母。マラ八を随分聴いてきたが、栄光の聖母が他の独唱者と並んでいるのは初めて見た。ティンパニは二組で両手打ちは無し。マンドリンを絃楽器奏者(第一ヴァイオリン、第二ヴァイオリン、ヴィオラ)が持ち替えるというのは、プロには出来ない素晴らしいアイディアだ。一ヶ所に纏まっていないのでバラバラに聞こえたのは御愛嬌であろう。
今回のマラ八ラッシュの中では、技術レヴェルは一番低く、人数も最小限(児童合唱は最小限未満)だが、これでマラ八が上演出来てしまうと云うのは凄いと思う。絃のレヴェルは十分。昔はアマオケと云えば絃が揃わなかったものだが、昨今のオケは本当にレヴェルが高い。金管の高音が盛大にひっくり返ったり、ここ一番でシンバルが空気打ちをやらかしたりしていたが、オーケストラのメンバーは楽しそうに演奏していた。合唱も人数が少なく音量は不足気味ではあったが、よく練習している感じだった。二つの常設合唱団が第一コーラスと第二コーラスを分担しているので、技術的にはもう一歩だが、よく纏まっていたと思う。先日の音大生寄せ集め合唱団(読響)は一人一人はちゃんと歌えていても合唱団としての纏まりが感じられなかった。音大生レヴェルを寄せ集めて一夜漬けで唱わせるよりは、下手でも常設の合唱団がしっかり練習した方が出来がいいようだ。児童合唱は頑張っていたが、さすがにこの人数(メンバー表によれば十八人)ではどうにもならない。客席の最前列にでも並べないと聞こえないだろう。
独唱陣はとても良かった。特に女声の四人が素晴らしいアンサンブルを聴かせていた、またテノールも特筆に値する素晴らしさで、感動的だった。一方、バスは音量的に苦しく、栄光の聖母は雰囲気の無い歌唱だった。
指揮者は時にテンポをぐっと落としたりして、なかなか面白い部分があった。職業指揮者なのかどうかはよく判らないが、オールアマチュアのこの面々をよくぞここまで纏めたと思う。一方で、第一部、第二部とも最後の部分を全く撓めずにあっさり進めてしまう辺り、盛り上げようという意思は全く感じられなかった。なので、途中はそれなりに良かったのに、最後があっさりなので拍子抜けという印象だ。
最後に疑問点を二つ。まず、金管バンダの扱い。第一部はオルガン左のボックス、第二部は上手側のオルガン前。第一部が終わってバンダが移動し始めたので、ボックスに栄光の聖母が入るのかと思ったら違った。この移動は指揮者の位置からだと何か違うのかも知れないが、客席から聴くと意味が無い。音響的には金管バンダは客席側に配置したい。費用の問題はあるが、インバルがやる二倍にして客席後方の上手下手に分けて、客席全体が音の渦に巻き込まれるのがいいと思う。次に独唱者の位置。第一部は指揮者の上下。第二部はP列一列目。曲の性格からして、独唱者は、第一部はオーケストラと合唱の間、第二部は舞台前面に配置したい。新日本フィルを振ったハーディングはバリトンとバスを、先日の読響を振った井上道義は男声三人を第二部だけ舞台前面に移動させていた。これが成功していたかどうかは別にして、やりたいことはよく判る。しかし、第二部で独唱を奥にして、栄光の聖母を並べてしまうのはどういうことか。オルガン下手のボックスでも、バルコニー席でも、栄光の聖母を配置する場所は幾らもあるだろうに。この、無意味又は逆効果としか思えないバンダと独唱の移動についてどんな効果を狙ったのか聞いてみたいものだ。少なくとも客席で聴いていて、「ハハン、なるほどね」と合点する部分は全くなかった。
あっさり曲が終わった瞬間、盛大にブラヴォーと絶叫する輩がいたのも興醒めだった。このオッサン、その後も発声練習みたいに騒ぎ続けていた。あれでは、ただ大声を出したい人だ。まあ、アマオケだと時々見かける頑張りすぎて周りを引かせるサクラだったのかも知れないが。
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