« 2019年6月 | トップページ | 2019年11月 »

2019年7月22日 (月)

エッシェンバッハの千人

PMFプレミアム・コンサート

マーラー/交響曲第八番変ホ長調

独唱/エリン・ウォール、吉田珠代、安井陽子(Sop.)、藤村実穂子、山下牧子(Alt.)、
   ニコライ・シュコフ清水徹太郎(Ten.)、町英和(Bar.)、ミハイル・ペトレンコ(Bas.)
合唱/PMFプレミアム合唱団、札幌大谷大学芸術学部音楽学科、
   北海道教育大学岩見沢校音楽文化専攻
児童合唱/HBC少年少女合唱団
管絃楽/PMFオーケストラ
指揮/クリストフ・エッシェンバッハ

二〇一九年七月二十一日(日)札幌コンサートホール

 パシフィック・ミュージック・フェスティバル(以下PMF)が三十周年を迎えてマーラーの交響曲第八番(以下千人)を取り上げる。私は国内で演奏される千人は全て聴くと決めているので聴きに行くことにした。
 まず良かったことを書く。PMFオーケストラはプロと学生の混成オケみたいなものだが、一人一人のレヴェルは高い。音がひっくり返ったりするアマチュアらしいミスは無かった。合唱は実態はよく判らないが、地元の大学生も動員して音程もしっかりしていた。人数が多いので舞台の両サイドの客席まで合唱が配置されているので、一階席の中程にいると第一合唱と第二合唱の掛け合いが立体的に聞こえて、マーラーの意図が上手く表現できていたと思う。そして特筆大書したいのはテノールの独唱。プログラム冊子にはニコライ・シュコフとクレジットされているが、漫画家のやくみつるを若くしたような日本人らしい歌手だった。この人のテノールが絶品。何より声質が素晴らしく曲に合っている上に、表現が実に堂に入っている。大昔にFMで聴いた渡邉曉雄/日本フィルの小林一男(一九八一年)に並ぶ歌唱をやっと聴くことができた。あの人は一体誰だったのだろう。通常だとプログラム冊子に挟み込みが入っているものだが、謎のままである。その他の独唱陣は合格点の出来。後述するバス以外は大きなミスも無く、第三ソプラノの澄んだ声質も好ましかった。
 続いてダメだったところ。指揮者。これに尽きる。エッシェンバッハという指揮者は名前は知っているが初めて聴く。PMFの音楽監督を務めているのだから、大変な人格者で若者たちから尊敬されている人なのだろう。しかしダメなものはダメ。曲に対する理解も表現欲も全く感じさせないし、交通整理をする棒の技術も無い。音楽好きの爺さんがレコードに合わせて指揮真似をしているレヴェル。棒と音楽がオンタイムな上に、前拍を打たない指揮なので、下手でもないオケに落っこちが散見される。この棒じゃバスのソロはヤバそうだと思っていると、案の定バスソロは一小節ずれる。全体的に遅めのテンポ設定だがメリハリが無く、私が拡散型と呼んでいる音楽が広がっている音楽作りとはほど遠く、ただ緩い音楽が続いていく。怪我の功名だったのは第一部の最後。バンダが加わるところからテンポを上げて、合唱の上行音階をかき消してしまう指揮者が多いが、遅いテンポでもたもたしていたので合唱が良く聞こえたところのみが指揮者の手柄か。
 私は数十年前音楽関係の仕事をしていて、PMFオーケストラの東京公演に関わったことがある。実行委員会のスタッフは身勝手な連中で、文化祭の高校生レヴェル。段取りも最低で、演奏終了後も楽屋で打ち上げを始めるなどダラダラしていて大幅にホールの使用時間を超過。超過料金を請求されるとホールスタッフを悪罵するという、チンピラみたいな人たちだった。三十年も続いているのだから、今ではそんなスタッフもいないのだろう。
 バーンスタインの遺志を継いで、毎年盛大に開催されているPMFだが、正直なところ私は全く興味が無い。バーンスタインは指揮者としては大好きだが、死ぬ間際にちょっと関わっただけで、残りわずかな時間で学生の指導をするよりは、千人の新録音を残してもらいたかったと思う。そもそも私はフェスティバル的なものが好きでなく、普通の演奏会が好きだ。少なくとも今回のエッシェンバッハの千人よりは、四月のコバケン群響の英雄の方が遙かに感動的な演奏だったと思う。
 まあ、演奏会を口実に札幌まで行って、味噌ラーメンとジンギスカンを食べてきたからそれで良しとしよう。ところであのテノールは誰だったのか?

(追記)
 PMFのウェブサイトを見たところ、テノールは清水徹太郎という人だったようだ。という事は去年びわ湖で唱っていた人だ。びわ湖では席が遠かったせいか、今回ほどいいとは思わなかったのだが……。それにしてもPMFのウェブサイトには代演について一言も触れられていないようだ。結果オーライだったので別に文句は無いのだが、何だか違和感が残る。

| | コメント (0)

2019年7月15日 (月)

群馬交響楽団第五五〇回定期演奏会

群馬交響楽団第五五〇回定期演奏会

チャイコフスキー/ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品三十五
チャイコフスキー/交響曲第四番ヘ短調作品三十六

ヴァイオリン/木嶋真優
管絃楽/群馬交響楽団
指揮/小林研一郎

二〇一九年七月十三日 群馬音楽センター

 コバケンこと小林研一郎が四月から群馬交響楽団のミュージック・アドヴァイザーに就任した。群響は音楽監督だった大友直人が退任して後任は空席。メンバー表に載っているのは他に名誉指揮者のトゥルノフスキーと高関健だけだ。もう名誉職だけでよさそうな七十九歳のコバケンがどんな演奏をするのか聴きたくて、就任披露の四月定期を聴いた。清水和音をソリストに迎えた「皇帝」と「英雄」というベートーヴェンプログラム。協奏曲は相変わらずな感じだったが、英雄はオケも本気になった名演であった。馴れ合いになりがちな在京オケより面白そうなので、七月定期にも足を運ぶ。四月は一回限りの演奏だったが、今回は十一日に東京公演、十四日に上田定期と、同プロ三公演である。元気とはいえ七十九歳のコバケンにはきつい仕事であろう。群響の定期公演も今回を含めあと二回となった群馬音楽センターは満席札止めの盛況。
 前半の協奏曲は特段のことはない感じだ。コバケンは暗譜で振っているので他の協奏曲よりはのびのびやっている感じがする。ソリストは初めて聴くヴァイオリニストだが、終始不貞腐れたような態度と表情が大物っぽい。よく見ていると不貞腐れているのではなく、音楽に没入するとああいう表情と態度になるようだ。
 メインの交響曲第四番はコバケン節全開だが、群響は木管楽器の安定感が不足し、独奏の度に心細くなる。オーケストラも良く鳴っているが、前回の英雄より抑え気味に感じられるのは三公演の中日だからか。コバケンのチャイコフスキーはCD化された一九九三~一九九五年のツィクルスが懐かしく思い出されるが、やっていることはさほど変わらないのに、あのときの全身の血液が逆流するような感動は起こらない。それは自分が歳をとったせいだろう。涙腺は緩くなったが心の感覚は鈍くなってる気がする。良くも悪くも昔と変わらないコバケンのアプローチだが、この四番に関してはずっと不満に思っている部分がある。第一楽章の終結部。コバケンは定石通り、三八一小節からテンポを上げていき、四〇四小節からギヤチェンジをしてテンポを落とす。しかしここは実演で聴いた山田一雄やバーンスタインのCDのように、繰り返しから目一杯アッチェレランドをかけて、四〇〇小節のアウフタクトからガクンとテンポを落とし、さらに四〇三小節からもう一段階テンポを落とすと物凄く効果的なのだが。五番であれだけやり尽くしてくれるコバケンのへの、贅沢な不満である。
 コバケンは相変わらず元気で、髪は白くなったが若い頃と変わっていない。それはメリハリの効いた音楽作りもそうだし、終楽章アタッカ病も、何かしゃべらないと終わらないところも、最後をもう一回演奏してアンコールにするところもだ。三楽章の終わりで絃楽器奏者が順番に弓を拾って行く様子など、コバケンならではの光景である。私も若かった頃は、マーラーの三番の後にアンコールでダニーボーイを演奏し始めたので席を蹴立って退場したのも若き日の想い出だ。今ではいいところ悪いところ含めてコバケンのファンであり、追っかけまではしないが自分かコバケンが死ぬまで、時々演奏会は聴きに行きたいと思っている。
 群響は五月の高関も聴いたので立て続けに三回聴いたが、本当にいいオーケストラだと思う。勿論在京オケの一流どころに比べれば非力で下手だが、地元の人々に愛されている感じがひしひしと伝わってくる。今シーズンはコバケンの定期登場は終わりだが、来期以降のラインナップによっては、時々聴きに行きたいと思う。

| | コメント (0)

« 2019年6月 | トップページ | 2019年11月 »