群馬交響楽団第五五〇回定期演奏会
群馬交響楽団第五五〇回定期演奏会
チャイコフスキー/ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品三十五
チャイコフスキー/交響曲第四番ヘ短調作品三十六
ヴァイオリン/木嶋真優
管絃楽/群馬交響楽団
指揮/小林研一郎
二〇一九年七月十三日 群馬音楽センター
コバケンこと小林研一郎が四月から群馬交響楽団のミュージック・アドヴァイザーに就任した。群響は音楽監督だった大友直人が退任して後任は空席。メンバー表に載っているのは他に名誉指揮者のトゥルノフスキーと高関健だけだ。もう名誉職だけでよさそうな七十九歳のコバケンがどんな演奏をするのか聴きたくて、就任披露の四月定期を聴いた。清水和音をソリストに迎えた「皇帝」と「英雄」というベートーヴェンプログラム。協奏曲は相変わらずな感じだったが、英雄はオケも本気になった名演であった。馴れ合いになりがちな在京オケより面白そうなので、七月定期にも足を運ぶ。四月は一回限りの演奏だったが、今回は十一日に東京公演、十四日に上田定期と、同プロ三公演である。元気とはいえ七十九歳のコバケンにはきつい仕事であろう。群響の定期公演も今回を含めあと二回となった群馬音楽センターは満席札止めの盛況。
前半の協奏曲は特段のことはない感じだ。コバケンは暗譜で振っているので他の協奏曲よりはのびのびやっている感じがする。ソリストは初めて聴くヴァイオリニストだが、終始不貞腐れたような態度と表情が大物っぽい。よく見ていると不貞腐れているのではなく、音楽に没入するとああいう表情と態度になるようだ。
メインの交響曲第四番はコバケン節全開だが、群響は木管楽器の安定感が不足し、独奏の度に心細くなる。オーケストラも良く鳴っているが、前回の英雄より抑え気味に感じられるのは三公演の中日だからか。コバケンのチャイコフスキーはCD化された一九九三~一九九五年のツィクルスが懐かしく思い出されるが、やっていることはさほど変わらないのに、あのときの全身の血液が逆流するような感動は起こらない。それは自分が歳をとったせいだろう。涙腺は緩くなったが心の感覚は鈍くなってる気がする。良くも悪くも昔と変わらないコバケンのアプローチだが、この四番に関してはずっと不満に思っている部分がある。第一楽章の終結部。コバケンは定石通り、三八一小節からテンポを上げていき、四〇四小節からギヤチェンジをしてテンポを落とす。しかしここは実演で聴いた山田一雄やバーンスタインのCDのように、繰り返しから目一杯アッチェレランドをかけて、四〇〇小節のアウフタクトからガクンとテンポを落とし、さらに四〇三小節からもう一段階テンポを落とすと物凄く効果的なのだが。五番であれだけやり尽くしてくれるコバケンのへの、贅沢な不満である。
コバケンは相変わらず元気で、髪は白くなったが若い頃と変わっていない。それはメリハリの効いた音楽作りもそうだし、終楽章アタッカ病も、何かしゃべらないと終わらないところも、最後をもう一回演奏してアンコールにするところもだ。三楽章の終わりで絃楽器奏者が順番に弓を拾って行く様子など、コバケンならではの光景である。私も若かった頃は、マーラーの三番の後にアンコールでダニーボーイを演奏し始めたので席を蹴立って退場したのも若き日の想い出だ。今ではいいところ悪いところ含めてコバケンのファンであり、追っかけまではしないが自分かコバケンが死ぬまで、時々演奏会は聴きに行きたいと思っている。
群響は五月の高関も聴いたので立て続けに三回聴いたが、本当にいいオーケストラだと思う。勿論在京オケの一流どころに比べれば非力で下手だが、地元の人々に愛されている感じがひしひしと伝わってくる。今シーズンはコバケンの定期登場は終わりだが、来期以降のラインナップによっては、時々聴きに行きたいと思う。
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