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2019年11月11日 (月)

藤岡幸夫のサロメ

東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団第三二九回定期演奏会

ヴォーン・ウィリアムズ/「富める人とラザロ」の五つのヴァリアント
プロコフィエフ/ピアノ協奏曲第三番ハ長調作品二十六
伊福部昭/舞踊音楽「サロメ」(一九八七)

ピアノ/松田華音
管弦楽/東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団
指揮/藤岡幸夫

二〇一九年十一月九日 東京オペラシティコンサートホール

 東京シティ・フィルが伊福部昭の「サロメ」を取り上げるという。伊福部作品の中でも滅多に取り上げられない大作なので、万難を排して聴きに行った。
 この曲の初演にあたる一九八七年五月十五日の新星日響第一〇〇回定期演奏会。山田一雄の追っかけを始めていた高校生の私は、伊福部ではなく前後の曲を目当てにこの演奏会を聴きに行った。この余りに無防備な田舎者の高校生に、伊福部のサロメは情け容赦なく襲いかかり、私はわけもわからずノックアウトされて呆然となったのを覚えている。これが私の伊福部初体験であり、その後ヤマカズ/新星コンビでラウダ・コンチェルタータ、日本狂詩曲を聴くことが出来た。そして今では伊福部を聴きに札幌まで出掛ける伊福部ファンになってしまったのだ。幸いにも初演の模様はCD化され、二十代の頃には本当に数え切れないくらい聴いたものだが、その後生演奏に接する機会はなかった。私にとって、まさに待望久しいサロメなのである。

 藤岡幸夫という指揮者は今まで注目したことはなかったが、今回のサロメは実に素晴らしかった。とにかくよくスコアを読み込んでおり、強弱の付け方やテンポの動かし方など、しっかりと頭の中で組み立てた音楽を、入念な練習で音に組み上げていったのがよく判る。こちらも今までに発売された四種類の録音(山田一雄、金洪才、岩城宏之、広上淳一)をよく聴き込んでレコ勉は十分だ。しかし、その期待以上に藤岡はこの曲をより面白く聴き応えのあるものに仕上げていたと思う。プレトークで話していたとおり、サロメの主題を指定のアルトフルートではなくバスフルートで吹かせたのも、より重苦しい感じが出ており。サロメの心の闇を見事に表現できていたと思う。また、終曲の最後をテンポを煽らずに行ったのも立派。シンフォニア・タプカーラや日本狂詩曲もそうだが、伊福部作品は安易にコーダのテンポを上げると台無しになることが多い。藤岡はさすがによく解っていて素晴らしい。
 久々に聴いたシティ・フィルも大熱演。決して上手いオケではないが、荒削りな音色が伊福部の音楽に合っていたと思う。ヤマカズ新星のCDと同じようなところで金管がひっくり返ったりしていたのはご愛敬だが、藤岡に煽られて乗りに乗った演奏になっていたと思う。

 心の準備は十分にして臨んだサロメだったが、期待以上の素晴らしい演奏に、居ても立ってもいられないような気持ちになり、十代だったあの日に戻ったような錯覚を覚えた。
 あの初演の日、火の鳥、サロメ、ボレロという考えられない高カロリーなプログラムを組んだ新星日響。ヤマカズの配分を考えない棒に煽られた新星日響は、サロメを大熱演で初演したが、休憩を挟まず演奏されたボレロで大事故が起こった。客席がみんな同情する気の毒な事故だったが、後に関係者に聞いたところ、その奏者はそれから程なく退団したらしい。懐かしくも悲しいサロメ初演にまつわるエピソードである。

 藤岡幸夫が伊福部振りという印象は今まで無かったが、このサロメを聴いた限りではシティ・フィルとの相性もいいようなので、伊福部の他の作品も取り上げてほしいものだ。

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2019年11月 4日 (月)

水星交響楽団第六〇回定期演奏会

水星交響楽団第六〇回定期演奏会
一橋大学管弦楽団創立一〇〇周年記念

マーラー/交響曲第八番変ホ長調

独唱/國光ともこ、朴瑛実、高橋美咲(Sop.)、加納悦子、中島郁子(Alt.)、
   松原陸(Ten.)、藪内俊哉(Bar.)、成田眞(Bas.)
合唱/東京オラトリオ研究会、立川コーラスアカデミー、新星合唱団、
   コーラスアカデミーJAPAN、オルフ祝祭合唱団
児童合唱/オーケストラとうたう杜の歌・こども合唱団、四街道少年少女合唱団、
     FCT郡山少年少女合唱団、にしみたか学園三鷹市立井口小学校
合唱指揮/郡司博
管絃楽/水星交響楽団
指揮/齊藤栄一

二〇一九年一一月四日(月祝)すみだトリフォニーホール

 水星交響楽団は一橋大学管弦楽団のOBオーケストラらしい。私は一九九三年にマーラーの交響曲第三番を聴いたことがあるが、コンサートマスターが高校の同級生のK薗クンで驚いた記憶がある。そして、派生団体として国立マーラー楽友協会があり、年一回マーラーの交響曲第九番を演奏しているらしく、これは二〇一二年に聴いた。どちらもアマチュアらしい感動的な演奏だったので好印象を持っている。
 今回は一橋大学管弦楽団の創立百周年記念企画の「国立マーラー音楽祭」の一環で交響曲第八番(以下「千人」)を取り上げるということらしい。詳しい経緯は配布されたプログラム冊子に書いてあるようだが、老眼が進んで本もプログラム冊子も目次くらいしか読む気になれないのだ。

 アマチュアオーケストラなので、ラッパがひっくり返ったりすることは結構ある。しかし、そんな細かいミスが気にならないほど、齊藤の指揮は確固たる音楽を構築している。第九番を聴いたときにも感じたのだが、この指揮者の頭の中にはハッキリと自分の考える演奏の形が出来上がっているのではないか。だからオーケストラや合唱が付いてこられなくても音楽作りがブレない。そうなると聞き手側は、落っこちたりひっくり返ったパートを補完して聴くので、指揮者と聴き手の間に理想のマーラーが完結するのではないかと思う。
 もっとも、オーケストラは慣れているから阿吽の呼吸で引っ張って行けるが、慣れない独唱陣を合わせるのは大変だ。七人の独唱者を舞台前面に並べており、独唱者が指揮者を見にくいので余計に緊張感があった。勢いで行ける第一部は良かったが、独唱が多い第二部が安全運転気味になるのは仕方あるまい。エヴェレストの登山道ではないが、往年のバス歌手の死屍累々たる第二部のバス独唱など、合わせるのに精一杯だった感じだが、とにかくズレずに唱いきったのは立派。
 その独唱陣はレヴェルが高かった。アンサンブルとしてバランスが良く、特にバリトンとバスは声量も十分で聴き応えあり。テノールは表情は素晴らしかったが、もう少し声量が欲しかった。とは言え、神秘の合唱の前の長い独唱を、超スローテンポで唱い切ったのはお見事としか言い様が無い。女声陣は文句なし。アマチュアオーケストラの演奏会でこれだけのレヴェルの高いソリストが集められるというのは、日本の声楽界も人材が豊富なのだと感心する。
 混声合唱は五団体がクレジットされているので寄せ集め感があるが、実際は郡司博が指導する合唱団の集まりだ。これを博友会とか郡司合唱連盟とせず、各団体名を表記するのがいいと思う。あくまでそれぞれの合唱団であるが、共通の指導者の下で一つの音楽を作り上げていく姿勢が素晴らしいと思う。指導者が同じだから一体感があり安心の出来である。特に合唱の実力が試される、間奏曲の後から第二ソプラノの前までや、神秘の合唱の前などは素晴らしい出来だった。児童合唱は健闘していたが、声量が足らずやや埋没気味であったのが残念。
 合唱は三百人弱、児童合唱七十人強。オーケストラの編成は十八型くらいの絃に管楽器はほぼスコア通り。バンダはオルガンの左右でトランペット八、トロンボーン五。ティンパニは二対で両手打ちあり。鐘はチューブラーベルではなく鉄板のようなモノを使用していた。
 齊藤の指揮は時にテンポをぐっと落としたり、内声部を強調したりする部分もあったが、基本的にはキッチリと合わせる棒。オーケストラだけだと自由だが、児童合唱や独唱が入る部分では、非常に判りやすい指揮で、しっかりとまとめていた。この人の指揮に比べたら、七月に聴いたエッシェンバッハなんて子供の指揮真似である。アマオケにはこういう指導者が必要なのだと思う。
 水星交響楽団はマーラーをかなり積極的に取り上げているアマチュアオーケストラなので、かなり期待して臨んだ演奏会だったが、期待通りの素晴らしい演奏だったと思う。アマオケが千人をやることは今や珍しくないが、技術的にレヴェルが高いだけではなく、とても感動的な演奏であったと思う。

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