小笠原航路
おがさわら丸(三代目)
小笠原海運 貨客船 一一、〇三五総噸
全長一五〇m 航海速力 二三、八ノット
二〇一六年 三菱重工下関造船所で建造
ははじま丸(三代目)
伊豆諸島開発 貨客船 四九九総噸
全長六五、二m 航海速力 一六、五ノット
二〇一六年 渡辺造船所(長崎)で建造
私の勤務する会社では勤続十五年と二十五年で勤続休暇を取らなくてはいけない。私は去年が勤続二十五年で、今年中に四連休を取らなければならない。コロナ騒動で旅行がしづらい中、念願の小笠原へ行くことにした。
船ヲタ、島ヲタである私は、十五年ほど前に小笠原渡航を計画し、当時は便乗可能だった共勝丸の予約までしたのだが、台風直撃であえなく断念。それ以来のリベンジである。十五年の間におがさわら丸、ははじま丸ともに三代目に代替わりしている。
コロナ騒動のおかげで、任意ではあるがPCR検査を受ける。小笠原海運から送られてきた検査キットに唾液二ccを採取して、東京発の前日か前々日に竹芝桟橋の受付に提出する。前日の夕方までに連絡が無ければ陰性だったという事なのだが、毎日通勤電車に乗っている私は陽性だったとしても不思議はない。久しぶりにドキドキしながら待機する経験をしたが、陽性の連絡は来ず無事に乗船が叶う。
三代目おがさわら丸は、浦賀水道で釣りをしていて間近に見たことはあるが、垂直ステムが印象的な船だ。貨客船でコンテナを積載するので、巨大なハウスに対して船首船尾ともに甲板が低い。これが見た目を悪くしている。船内はコロナ対策で定員を絞っているので快適。私は二等寝台を取ったが、二段ベッドは下段しか使っていない。船内は自動販売機コーナー、売店、レストラン、展望ラウンジの供食設備があるが、値段は高めだ。売店に電子レンジがあるので、冷凍パスタに心惹かれるが、内地で普通に食えるものを選ばずともと思い、レストランやラウンジで食事をした。
往復とも東方沖に台風がある気象状況だったので大きくうねりが入り、東京湾の外ではかなり揺れる航海。フィンスタビライザーが効いてローリングは全く無いが、盛大なピッチングは避けられない。これは、波を切り裂く形状の垂直ステムでもどうにもならないようだ。船が揺れると外甲板が閉鎖されるのがつまらない。六デッキの後部だけは開放されているので、閉鎖される二十二時まではここで過ごすことが多くなる。ここでは船尾側のデリックが目の前にあるので、遠目では解りにくいデリッククレーンの構造がじっくり観察できる。
また、おがさわら丸は衛星公衆電話を二台設置してあるが、無線LANなどは無い。携帯が繋がらない洲崎沖から父島まで通信は途絶する。私のように何の連絡も来ない人間は構わないが、スマホ依存の現代人には少々厳しいかも知れない。まあ、小笠原に行くこと自体が現代社会からの隔離みたいなものなので仕方ないのだろう。
さて、到着初日はそのまま母島へ渡って一泊しようと思っていたのだが、母島の宿は全て満室。なので、母島に渡るのは三日目に回して南島ツアーに参加する。民宿に荷物を置いて午後のツアーに参加。憧れの南島に上陸し、千尋岩(通称ハートロック)、ジニービーチ、境浦の濱江丸などを間近で見ながら回るがイルカには遭遇できず。イルカ目当ての同乗者たちは残念そうだったが、泳ぐ気のない私は座礁船が身近に見られて大満足。
二日目は嫁島へ行くドルフィンスイムツアーに参加。さすがに今日は泳がないわけにはいかず準備をする。嫁島でいきなりイルカに遭遇して泳ぐが、十数年ぶりのシュノーケリングでペースがつかめずヘロヘロになる。以降は湾のようなうねりの少ないところでのみドルフィンスイムに参加する。嫁島周辺を少し探ったところで船長が「四十分ほど走ります」と宣言。GPSの地図を見ると媒島か聟島へ向かうようだ。昼頃に聟島の小花湾に船は停泊し、昼休み&自由時間となる。まさか聟島へ行けて、更に上陸が出来るなどとは思っていなかったので狂喜。メシは後でいいからまずは上陸。砂浜は暑いらしいのでサンダルを持って。そして、上陸の軌跡を残したいのでGPS受信機を持って浜まで泳ぐ。望外の聟島上陸だ。砂浜は漂着したゴミだらけなのは残念だが、取り敢えず高台に登って景色を眺め写真を撮る。少し泳いで船に戻るが、カマスの群れがいたのでついつい潜水して観察する。そして船に戻るとGPSから警告音。「電池がありません電源を切ります」という表示が出ているが、電池は朝入れたばかり。そして画面が内側からの結露で曇っている。ここで五年ほど使ったGPSトレッキングナビ(ガーミン/GPSMAP64sJ)は息絶えた。その後龍の口で泳いだり、針の岩や媒島、嫁島周辺でドルフィンスイムをして父島に戻ったのは十七時半。
三日目は7時30分発のははじま丸で念願の母島へ。
ははじま丸はおがさわら丸と同じく三代目。三菱重工か内海造船製が多い東海汽船系列では初の、渡辺造船(長崎)が建造した船だ。下田のフェリーあぜりあ(内海造船)、あおがしま丸(三菱下関)と同じ五百トン級の貨客船で、長いバルバスバウ(球状船首)と荷役用のクレーンが特徴だ。同じ頃に建造された三隻の貨客船が、フェリーあぜりあはデリックを、あおがしま丸とははじま丸はトラックに付いているようなクレーンを採用しているのが興味深い。その違いは何なのかは判らないが、好みとしては従来のデリックの方が、荷役作業を見ていて楽しいと思う。さておき、滅多に見ることの出来ないははじま丸は、いかにも離島航路向けの精悍な船という印象だ。
母島に着くとレンタバイクを借りる。島の北部にある東港、北港まで行ってから、今度は島の南側を目指す。都道の終点にバイクを置いて、母島最南端の小富士を目指して歩く。山道だが距離は二キロ程で大した距離では無い。しかし猛烈に暑いのだ。一昨日の南島もそうだったが、地上を歩いているととにかく暑い。体感温度は間違いなく体温以上だ。船の時間もあるので取り敢えず行きは早足で歩く。小富士直前が急な登り、最後ははしごを登って小富士の山頂に立つ。目の下に南崎海岸、鰹鳥島を見渡せる絶景であるが、とにかく暑い。日陰が無くて風も無い。逃げ場が無いのである。絶景を楽しむ余裕も無く引き上げる。
母島航路は往復とも鏡のようなベタ凪。湖の遊覧船のような静かな航海で、ずっと甲板のベンチで過ごすことが出来て快適だった。海が荒れるとどんな感じなのか知りたいと思うのは贅沢な望みかも知れない。父島に戻ると二見港には共勝丸が着いている。共勝丸、おがさわら丸、ははじま丸の三隻が並んでいるので高台から写真を撮ろうと思ったのだが、船を下りた途端にスコールが来てしまい、いつまで待っても止まない。この日は残念ながらスリーショットは撮れなかった。
最終四日目のおがさわら丸出港までが父島観光。早起きして船の写真を撮りに行くが既に共勝丸の姿は無い。残念だが大神山の展望台に上り残り二隻の写真を撮るが、思ったほどいいアングルで撮れなかった。宿で朝飯の後、レンタバイクを借りて父島探索。途中スコールが来たので、Tシャツと海パンに着替える。島の北部から二見湾沿いを回り、コペペ海岸、小港海岸、常世の滝を見て中央山に登る。ここで再び激しいスコール。展望台の階段の下で暫く雨宿りをする。
私は離島に行くと、その島の最高峰に行ってみたいと思う。母島の乳房山には時間的に行く余裕は無かったが、父島の中央山には登ることが出来た。しかし本当は父島の最高峰は標高三一九メートルの中央山ではなく、中央山の南東約六百メートルにある標高三二六メートルの名前の無い山だ。しかしそちらには道が無いどころか、都道沿いに動物除けのフェンスが続いており近づくことも出来ない。なので、七メートル低い中央山で納得するしかない。
雨が上がったので次は初寝浦に向かう。都道から歩いて二キロほどだが標高差が二百メートル位ある。再び雨も降り出したので、山道の脇ににリュックをデポして歩くが、石鹸があれば頭が洗えるような激しい雨で、登山道を沢のように水が流れる。誰もいない初寝浦に辿り着いたが、まるで見通しがきかない土砂降りなので引き返す。日頃運動不足の体に標高二百メートルの急登はきつい。ようよう都道まで戻った頃にスコールは去って青空が戻る。全く間が悪い。
昨日の小富士、今日の初寝浦に行ったのには訳がある。それはこの二ヶ所が東京都の東と南の涯だからである。いや、地理的には東京都の東端は南鳥島、南端は沖ノ鳥島だ。しかし、自力で行ける、ガイドの同行や船のチャーターが必要でなく、普通に歩いて行けるという縛りだと南端は小富士、東端は初寝浦というのがオレルールなのである。もっとも遥かに行きやすいはずの東京都の北端(天目山付近)と西端(雲取山付近)に行くつもりはないのであるが。
おがさわら丸の出港は名物のレジャー船団の見送りが行われる。「行ってらっしゃーい!」と叫んで次々海に飛び込んでいく光景は微笑ましい。小笠原は今日本国内で一番行きにくい観光地だと思う。六連休が必須ということは、行けない人は生涯行けないが、行ける人は何度も行くのかも知れない。二日目の聟島ツアーの参加者は八名だったが、私以外は全員船長から○○ちゃんと下の名前で呼ばれてる常連ばかりだった。遠ざかる父島を眺めながら、「次に来るのは定年後か、あるいは最初で最後の小笠原旅行だったのか」と思ったが、帰宅して冷静になると、その気さえあれば来年も行けそうだと思うのである。
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