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2023年12月29日 (金)

展覧会の絵の大太鼓

ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」(一八七四) ラヴェル編曲管絃楽版(一九二二)

 新世界よりのティンパニについて書いたついでに、展覧会の絵についても気になっていたことがあるので調べてみた。
 ラヴェル編の管絃楽版、終曲「キエフの大きな門」の最後のクライマックスと言える部分、練習番号一二〇の「poco a poco rallentando」の二小節目と五小節目の各二拍目に大太鼓の一打がある。どれだけ腹に響く音が出せるか、大太鼓奏者の見せ場というべき部分だ。
 演奏によってこの大太鼓が半拍遅れるのだ。最初は奏者の叩き損ないかと思ったのだが、二回ともきれいに半拍遅れるとなるとそうでもなさそうだし、更に色々な演奏で聴き比べると、結構な割合で半拍遅れる演奏があるのだ。
 最初に気がついたのはイーゴリ・マルケヴィチが最後にN響に客演した一九八三年一月二三日の演奏だったと思う。これはテレビで見たのだが、後に音源、映像ともに何度か商品化されている演奏だ。実演で気がついたのは一九八七年六月二一日の山田一雄指揮新交響楽団の演奏。これは抜粋だがプライヴェート版のCDになっている。
 これも恐らく楽譜に何か問題があるのだろうと思って調べてみた。幸いにもインターネット上には、ラヴェルの自筆譜だけではなく、ムソルグスキーの原曲の自筆譜も掲載されている。ラヴェル編曲版までの経緯を調べると、ムソルグスキーの原曲(ピアノ)の次に、リムスキー=コルサコフが改訂した出版譜があって、ラヴェルは編曲にあたり原曲の楽譜が手に入らなかったため、コルサコフ版のピアノ譜を元に編曲したとされている。そのコルサコフ版ピアノ譜も見ることができた。

 問題の部分を整理すると、この曲「キエフの大きな門」は、基本二分の二拍子の曲だが、ピアノの原曲では二拍三連が多用されている。ラヴェルはこれを編曲する際に、二拍三連が続くパートについて拍子を二分の三拍子に変更して編曲しているのである。その拍子変更がパートごとにバラバラに行われているので、該当部分の直前からスコアに記載されているシンバルと大太鼓のパートが何拍子なのかが、ラヴェルの自筆譜の段階で判らなくなっているのだ。

 キエフの大きな門後半のクライマックス部分、十六部音符で下降してきて、ルフトパウゼの後練習番号一一五「Meno mosso semple maestoso」から管楽器と打楽器は引き続き二分の二拍子のままだが、絃は二分の三拍子になる(ピアノ譜では二分の二拍子のまま、ずっと二拍三連符で進行していく)。そして練習番号一一九(問題箇所の八小節前)からフルート、オーボエ、クラリネット、ホルンが二分の三拍子になり、その四小節後からトランペットが、更に四小節後の練習番号一二〇「poco a poco rallentando」からバスクラリネット、ファゴット、トロンボーン、チューバ、ティンパニが二分の三拍子になる。シンバルと大太鼓は練習番号一二〇の二小節前からスコアに記載されるが拍子記号は無く、練習番号一二〇にも拍子記号は無い。
 そしてそこから大太鼓は「全休符|二分休符+四分音符+四分休符|全休符|全休符|二分休符+四分音符+四分休符|全休符」となっているので、一小節の中は二分音符が二つ入る二分の二拍子に見える。だとすれば二分の三拍子である他のパートと二拍目の四分音符は合わないのが正しく、他の全パートの二拍目の裏に大太鼓の「ドスン」がズレて聴こえるのが正解なはずだ。だが一方で、ティンパニのパートで拍子変更しているので、打楽器全体が二分の三拍子になっているので、二分休符が一つ書き忘れられているという推測もできる。

Photo_20231229165901

(ラヴェルの自筆譜)


 回りくどく書くのはやめると、次の練習番号一二一で、シンバルと大太鼓にも二分の二拍子の拍子記号が付けられているので、練習番号一二〇はシンバルと大太鼓を含む全パートが二分の三拍子。二拍目は揃うのが正解である。改訂された楽譜には、二小節目と五小節目の四分休符の後に二分休符が書き加えられている。そもそもラヴェルともあろう人がクライマックスで大太鼓だけズレるような珍妙なオーケストレーションをするわけがないと思う。自筆譜が間違っているのを、一九二九年初版のロシア音楽協会(パリ)版では修正されているのだが、一九六五年頃発行のムジカ社(モスクワ)版では自筆譜通りに戻している。この頃から間違いが始まったのではないだろうか。

 だのに大太鼓がズレる演奏が一定数存在するのは、間違った楽譜通りに演奏すると実に奇妙な世界が現れるので、楽譜通りという建前にして、指揮者と打楽器奏者が面白がってやっているのだろう。流石にリハーサルで気が付かない指揮者はいないと思う。

 ウェブに上がっている音源や手元の音源で確認した感じでは、以下のような感じだ。一九六五年以前の録音でも二拍子で叩かせているように聞こえるクーベリックとロジンスキーの録音は、叩き損なっているようにも聞こえるので微妙ではある。また、同じ指揮者でも扱いが変わっている三人(マルケヴィチ、チェリビダッケ、山田一雄)が偶然だが三人とも一九一二年生まれというのも面白い。

(二分の二拍子)
クーベリック/シカゴ響(一九五一)?、ロジンスキー/ロイヤル・フィル(一九五五)?、アンチェル/チェコ・フィル(一九七四)、マルケヴィチ/N響(一九八三)、山田一雄/新響(一九八七)、チェリビダッケ/ミュンヘン・フィル(一九八九)、チェリビダッケ/ミュンヘン・フィル(一九九三)、ゲルギエフ/ヴィーン・フィル(二〇〇〇)、シモノフ/モスクワ・フィル(二〇一一)、

(二分の三拍子)
クーセヴィスキー/ボストン響(一九三〇)、トスカニーニ/NBC響(一九三八)、トスカニーニ/NBC響(一九五三)、マルケヴィチ/ベルリン・フィル(一九五三)、ライナー/シカゴ響(一九五七)、アンセルメ/スイス・ロマンド管(一九五九)、レイボヴィッツ/ロイヤル・フィル(一九六二)、セル/クリーヴランド管(一九六三)、カラヤン/ベルリン・フィル(一九六五)、マルケヴィチ/日本フィル(一九六五)、山田一雄/日本フィル(一九六八)、マルケヴィチ/ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管(一九七三)、カラヤン/ベルリン・フィル(一九七九)、チェリビダッケ/ロンドン響(一九八〇)、チェリビダッケ/ミュンヘン・フィル(一九八六)、カラヤン/ベルリン・フィル(一九八六)、カラヤン/ベルリン・フィル(一九八八)、山田一雄/新星日本響(一九九一)、小林研一郎/日本フィル(一九九九)

 

 

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2023年12月21日 (木)

新世界のティンパニ

 ドヴォルザーク:交響曲第九番ホ短調作品九十五「新世界より」

 私は小学校高学年でクラシック音楽(特にオーケストラ)に興味を持ち、ドヴォルザークの「新世界より」のファーストチョイスはバーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルのCBS盤(当時はまだグラモフォンの新盤は録音前)だった。甚だファーストチョイスに向かない選択だったと思う。
 その後FMのエアチェックなどで他の演奏も聴くようになり、第一楽章序奏部の最後(二十二小節)のティンパニの叩き方が、二通りあることに気がついた。ティンパニを擬音で書くと「ウン、ダン、ウン、ドロロロロ~」と叩いているものと、「ウン、ダン、ウン、ダン、ドロロロロ~」と叩いているものに分かれているのだ。
 中学に入って吹奏楽部に入部し、打楽器を担当するようになった。二年生の時、第四楽章の吹奏楽版を演奏することになり、参考用に音楽之友社のポケットスコアを購入した。私は今でも楽譜は読めないが、追うことは出来る。スコアで件の部分を確認すると、「十六分休符、十六分音符、十六分休符、十六分音符、四分音符トレモロ」となっている。

(音友スコア)

Ongakunotomo_score_20231221104801

 

 

 つまり「ウン、ダン、ウン、ダン、ドロロロロ~」が楽譜通りで、最初に聴いたバーンスタイン盤などの「ウン、ダン、ウン、ドロロロロ~」は二つ目の十六分音符からトレモロにしてしまっているので、ティンパニ奏者が譜読みを間違っているのか、指揮者による改変であることが判った。
 以来数十年も新世界を聴いているのだが、印象として楽譜通り派と改変派では、「ウン、ドロロロロ~」の改変派が相当数いると感じられるので、どうもティンパニ奏者の譜読み間違いなどではなさそうだし、指揮者の解釈にしては蔓延し過ぎの感がある。幸いネット時代の今日では、著作権切れの楽譜を公開しているサイトがあるので、そこを覗いてみた。
 新世界よりのスコアは、ジムロック版(一八九四年・初版)、SNKLHU版(一九五五年)、ブライトコプフ版(一九九〇)の三種がアップロードされており、その何れもが、私が改変版と認識していた「ウン、ダン、ウン、ドロロロロ~」(トレモロが二つ目の十六部音符から付いている)で記載されている。

(ジムロックスコア)

Simrock_score

 

 


(Snklhuスコア)

Snklhu_score

 


(ブライトコップフスコア)

Breitkopf_score

 

 

 

 トレモロの波線が十六部音符から四分音符まで伸ばされており、十六部音符の下のフォルツァティシモ(ffz)からディミヌエンド記号(>)が次小節の八分音符のピアノ(p)まで続いているので、どう考えてもひと続きのトレモロがディミヌエンドしていくのが正しい演奏となる。
 そこで今度はパート譜を見てみる。スコアと同じジムロック版(一八九四年・初版)、SNKLHU版(一九五五年)、ブライトコプフ版(一九九〇年)の三種がアップロードされているが、ブライトコプフ版はスコアと同じなのに対し、ジムロック版とSNKLHU版は「ウン、ダン、ウン、ダン、ドロロロロ~」となるように、トレモロ記号が十六部音符ではなく四分音符の上に付いているのだ。

(ジムロックパート譜)

Simrock_part

 

 

 


(Snklhuパート譜)

Snklhu_part

 

 

 

(ブライトコップフパート譜)

Breitkopf_part

 

 


 どうやら事の真相は、初版の段階でスコアとパート譜に相違があり、どちらかが間違っていると考えられる。こうなると音楽学者に自筆譜を調べてもらわないと、どちらが正しいのかは判らない。ただし、出版年が新しいブライトコプフ版では揃っているので、より校訂の目が入っている新しい版が正しいと推測は出来る。ただし確証が無い。そう思って何か手がかりはないかと思っていると、同じ楽譜のサイトに、ドヴォルザーク自身による四手ピアノ編曲版があることに気がついた。こちらの該当部分を見てみると、間違いなく「ウン、ダン、ウン、ドロロロロ~」と記されている。これで決着が付いた。

(四手編曲版)

Piano

 

 

 

 

 結論を言うと、初版のパート譜が間違っていて、それがずっと踏襲されていた。音楽之友社版のスコアは誰が校訂したのか知らないが、間違っていたパート譜の方に寄せてしまったということだろう。

 さて、結論は出たものの、最初のパート譜の間違いが、これ程まで間違った演奏の蔓延を招いているらしい状況を考え、実際にはどれくらいの割合になっているのかが気になった。Blue Sky Lebelという著作権切れのクラシック音楽の音源を公開している大変有り難いサイトがある。そこに上がっている音源を中心にYouTubeなども覗いて、色々な録音を聴いてみた。
 その結果、この部分のティンパニの演奏パターンは、この二種類ではないことが判った。

一、「ウン、ダン、ウン、ドロロロロ~」作曲者の指示通り
二、「ウン、ダン、ウン、ダン、ドロロロロ~」初版のパート譜通り
三、「ウン、ダン、ウン、ドロロ、ドロロロロ~」二回目の十六分音符をトレモロにして、四分音符のトレモロを叩き直す
四、「ウン、ダン、ウン、ダンロロロロ~」トレモロをディミヌエンドにせず、フォルツァティシモピアノ(ffzp)にする

 誰がどう演奏しているのかを年代順に纏めると次の通り・
一、「ウン、ダン、ウン、ドロロロロ~」作曲者の指示通り
メンゲルベルク/コンセルトヘボウ管(四一)、ケンペ/ベルリン・フィル(五七)、ヴァルター/コロンビア響(五九)、セル/クリーヴランド管(五九)、ケルテス/ヴィーン・フィル(六〇)、パレー/デトロイト響(六〇)、ジュリーニ/フィルハーモニア管(六一)、バーンスタイン/ニューヨーク・フィル(六二)、カラヤン/ベルリン・フィル(六六)

二、「ウン、ダン、ウン、ダン、ドロロロロ~」初版のパート譜通り
クライバー/ベルリン国立管(二九)、セル/チェコフィル(三七)、トスカニーニ/NBC響(五三)、イッセルシュテット/北ドイツ放送響(五三)、フリッチャイ/ベルリン・フィル(五三)、ロジンスキー・ロイヤル・フィル(五四)、ターリッヒ/チャコ・フィル(五四)、クーベリック/ヴィーン・フィル(五六)、ライナー/シカゴ響(五七)、バルビローリ/ハレ管(五八)、アンチェル/ヴィーン・フィル(五八)、シルヴェストリ/フランス国立放送管(五九)、カイルベルト/バンベルク響(六一)、アンチェル/チェコ・フィル(六一)、ホーレンシュタイン/ロイヤル・フィル(六二)、ケルテス/ロンドン響(六六)、カラヤン/ヴィーン・フィル(八五)、など

三、「ウン、ダン、ウン、ドロロ、ドロロロロ~」二回目の十六分音符をトレモロにして、四分音符のトレモロを叩き直す
オーマンディ/フィラデルフィア間(五六)、シルヴェストリ/フランス国立放送管(五七)、フリッチャイ/ベルリン・フィル(五九)、クーベリック/チェコ・フィル(九一)

四、「ウン、ダン、ウン、ダンロロロロ~」トレモロをディミヌエンドにせず、フォルツァティシモピアノ(ffzp)にする
セル/クリーヴランド管(五二)、イッセルシュテット/北ドイツ放送響(五七)、カラヤン/ベルリン・フィル(五七)、カラヤン/ベルリン・フィル(六四)

 割合は概ね一が四分の一、二が半分強、三と四は一割程度という分布である。その中でもセルとカラヤンは一二四の三種類、ケルテスは一二、イッセルシュテットは一四、クーベリックは二四の二種類の叩き方をしている。これが意味するところは、指揮者にとってこの部分のティンパニはどう叩こうがさほど問題ではないということではないか。

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2023年12月17日 (日)

ルイージの千人

NHK交響楽団第二〇〇〇回定期公演

二〇二三年一二月一六日(土)NHKホール

マーラー/交響曲第八番変ホ長調「千人の交響曲」

独唱/ジャクリン・ワーグナー、ヴァレンティーナ・ファルカシュ、三宅理恵(ソプラノ)、
   オレシア・ペトロヴァ、カトリオーナ・モリソン(アルト)、ミヒャエル・シャーデ(テノール)、
   ルーク・ストリフ(バリトン)、ダーヴィッド・シュテフェンス(バス)
合唱/新国立劇場合唱団、NHK東京児童合唱団
管絃楽/NHK交響楽団
指揮/ファビオ・ルイージ

 N響の第二〇〇〇回定期公演を聴く。コロナ以降初の「千人」なので聴き逃がせなかった。N響の千人は一九四九年山田和男、一九九二年若杉弘、二〇一一年デュトワ、二〇一六年P.ヤルヴィに続く五回目。

 久々のNHKホールは張り出し舞台を最大に出して、音響反射板を一間程後ろに下げた状態(デュトワの時と同様)だが、編成はオケが十六型で、ハープが四台いる以外は最小編成。混声合唱は約一二〇人、児童合唱は約五〇人で、舞台上全部で三百人くらい。おそらく千人を上演するには最少の人数。なお、ティンパニは二対で両手打ちは無し。

 とにかく声楽が重要な曲なので、合唱の出来が重要なのだが、新国立劇場合唱団はさすがプロと感心させられる出来。正に少数精鋭という感じで素晴らしかった。児童合唱も安心のN児。人数もそこそこいるので、埋もれることなくしっかり聞こえていた。これは当たり前なのだが、日本国内では児童合唱を揃えるのは大変だから、N児がキャスティングできれば間違いないのである。
 一方独唱陣は酷い。ルイージの人選なのだろうか。第二ソプラノとテノールが特に酷く、中でもテノールは何とか唱い切ったレヴェル。声は悪いし、唱い切れない部分を誤魔化してばかり。ほぼブチ壊しに近い出来である。そして、第二ソプラノは単に下手。そして重唱部分ではフレーズの終わりがバラバラ。歌手も悪いが指揮者はもっと悪い。 オケも管楽器にミスが散見される注意力散漫な演奏。特にこの曲に沢山ある、フレーズの終わりでルバートして次で戻るような部分が揃わない。縦の線を合わせるという話ではなく、指揮者のやりたいことが奏者に伝わっていない感じがする。
 ルイージの指揮は取り立てることもない。テンポは中庸で目立った外連も工夫もない。第一部の二六二小節(Accende~の部分)にかなり速いテンポで突入したので、オヤっと思ったが、合唱が唱い切れず、途中から普通のテンポになってしまい消化不良な気がした。一番の問題は、曲に対する指揮者の思い入れが感じられなかった所か。
 N響レヴェルのオケになれば、千人も特別な祭りではなく、定期公演で取り上げる編成大きめの曲という程度なのだろう。二〇〇〇回だから特別という感じは無かったのは構わないのだが、独唱陣の力不足で不出来な演奏というイメージが残ってしまった。久々の千人だったのに途中で飽きてしまい、早く終わらないかなあと思ってしまった。何とも残念である。

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