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2023年12月21日 (木)

新世界のティンパニ

 ドヴォルザーク:交響曲第九番ホ短調作品九十五「新世界より」

 私は小学校高学年でクラシック音楽(特にオーケストラ)に興味を持ち、ドヴォルザークの「新世界より」のファーストチョイスはバーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルのCBS盤(当時はまだグラモフォンの新盤は録音前)だった。甚だファーストチョイスに向かない選択だったと思う。
 その後FMのエアチェックなどで他の演奏も聴くようになり、第一楽章序奏部の最後(二十二小節)のティンパニの叩き方が、二通りあることに気がついた。ティンパニを擬音で書くと「ウン、ダン、ウン、ドロロロロ~」と叩いているものと、「ウン、ダン、ウン、ダン、ドロロロロ~」と叩いているものに分かれているのだ。
 中学に入って吹奏楽部に入部し、打楽器を担当するようになった。二年生の時、第四楽章の吹奏楽版を演奏することになり、参考用に音楽之友社のポケットスコアを購入した。私は今でも楽譜は読めないが、追うことは出来る。スコアで件の部分を確認すると、「十六分休符、十六分音符、十六分休符、十六分音符、四分音符トレモロ」となっている。

(音友スコア)

Ongakunotomo_score_20231221104801

 

 

 つまり「ウン、ダン、ウン、ダン、ドロロロロ~」が楽譜通りで、最初に聴いたバーンスタイン盤などの「ウン、ダン、ウン、ドロロロロ~」は二つ目の十六分音符からトレモロにしてしまっているので、ティンパニ奏者が譜読みを間違っているのか、指揮者による改変であることが判った。
 以来数十年も新世界を聴いているのだが、印象として楽譜通り派と改変派では、「ウン、ドロロロロ~」の改変派が相当数いると感じられるので、どうもティンパニ奏者の譜読み間違いなどではなさそうだし、指揮者の解釈にしては蔓延し過ぎの感がある。幸いネット時代の今日では、著作権切れの楽譜を公開しているサイトがあるので、そこを覗いてみた。
 新世界よりのスコアは、ジムロック版(一八九四年・初版)、SNKLHU版(一九五五年)、ブライトコプフ版(一九九〇)の三種がアップロードされており、その何れもが、私が改変版と認識していた「ウン、ダン、ウン、ドロロロロ~」(トレモロが二つ目の十六部音符から付いている)で記載されている。

(ジムロックスコア)

Simrock_score

 

 


(Snklhuスコア)

Snklhu_score

 


(ブライトコップフスコア)

Breitkopf_score

 

 

 

 トレモロの波線が十六部音符から四分音符まで伸ばされており、十六部音符の下のフォルツァティシモ(ffz)からディミヌエンド記号(>)が次小節の八分音符のピアノ(p)まで続いているので、どう考えてもひと続きのトレモロがディミヌエンドしていくのが正しい演奏となる。
 そこで今度はパート譜を見てみる。スコアと同じジムロック版(一八九四年・初版)、SNKLHU版(一九五五年)、ブライトコプフ版(一九九〇年)の三種がアップロードされているが、ブライトコプフ版はスコアと同じなのに対し、ジムロック版とSNKLHU版は「ウン、ダン、ウン、ダン、ドロロロロ~」となるように、トレモロ記号が十六部音符ではなく四分音符の上に付いているのだ。

(ジムロックパート譜)

Simrock_part

 

 

 


(Snklhuパート譜)

Snklhu_part

 

 

 

(ブライトコップフパート譜)

Breitkopf_part

 

 


 どうやら事の真相は、初版の段階でスコアとパート譜に相違があり、どちらかが間違っていると考えられる。こうなると音楽学者に自筆譜を調べてもらわないと、どちらが正しいのかは判らない。ただし、出版年が新しいブライトコプフ版では揃っているので、より校訂の目が入っている新しい版が正しいと推測は出来る。ただし確証が無い。そう思って何か手がかりはないかと思っていると、同じ楽譜のサイトに、ドヴォルザーク自身による四手ピアノ編曲版があることに気がついた。こちらの該当部分を見てみると、間違いなく「ウン、ダン、ウン、ドロロロロ~」と記されている。これで決着が付いた。

(四手編曲版)

Piano

 

 

 

 

 結論を言うと、初版のパート譜が間違っていて、それがずっと踏襲されていた。音楽之友社版のスコアは誰が校訂したのか知らないが、間違っていたパート譜の方に寄せてしまったということだろう。

 さて、結論は出たものの、最初のパート譜の間違いが、これ程まで間違った演奏の蔓延を招いているらしい状況を考え、実際にはどれくらいの割合になっているのかが気になった。Blue Sky Lebelという著作権切れのクラシック音楽の音源を公開している大変有り難いサイトがある。そこに上がっている音源を中心にYouTubeなども覗いて、色々な録音を聴いてみた。
 その結果、この部分のティンパニの演奏パターンは、この二種類ではないことが判った。

一、「ウン、ダン、ウン、ドロロロロ~」作曲者の指示通り
二、「ウン、ダン、ウン、ダン、ドロロロロ~」初版のパート譜通り
三、「ウン、ダン、ウン、ドロロ、ドロロロロ~」二回目の十六分音符をトレモロにして、四分音符のトレモロを叩き直す
四、「ウン、ダン、ウン、ダンロロロロ~」トレモロをディミヌエンドにせず、フォルツァティシモピアノ(ffzp)にする

 誰がどう演奏しているのかを年代順に纏めると次の通り・
一、「ウン、ダン、ウン、ドロロロロ~」作曲者の指示通り
メンゲルベルク/コンセルトヘボウ管(四一)、ケンペ/ベルリン・フィル(五七)、ヴァルター/コロンビア響(五九)、セル/クリーヴランド管(五九)、ケルテス/ヴィーン・フィル(六〇)、パレー/デトロイト響(六〇)、ジュリーニ/フィルハーモニア管(六一)、バーンスタイン/ニューヨーク・フィル(六二)、カラヤン/ベルリン・フィル(六六)

二、「ウン、ダン、ウン、ダン、ドロロロロ~」初版のパート譜通り
クライバー/ベルリン国立管(二九)、セル/チェコフィル(三七)、トスカニーニ/NBC響(五三)、イッセルシュテット/北ドイツ放送響(五三)、フリッチャイ/ベルリン・フィル(五三)、ロジンスキー・ロイヤル・フィル(五四)、ターリッヒ/チャコ・フィル(五四)、クーベリック/ヴィーン・フィル(五六)、ライナー/シカゴ響(五七)、バルビローリ/ハレ管(五八)、アンチェル/ヴィーン・フィル(五八)、シルヴェストリ/フランス国立放送管(五九)、カイルベルト/バンベルク響(六一)、アンチェル/チェコ・フィル(六一)、ホーレンシュタイン/ロイヤル・フィル(六二)、ケルテス/ロンドン響(六六)、カラヤン/ヴィーン・フィル(八五)、など

三、「ウン、ダン、ウン、ドロロ、ドロロロロ~」二回目の十六分音符をトレモロにして、四分音符のトレモロを叩き直す
オーマンディ/フィラデルフィア間(五六)、シルヴェストリ/フランス国立放送管(五七)、フリッチャイ/ベルリン・フィル(五九)、クーベリック/チェコ・フィル(九一)

四、「ウン、ダン、ウン、ダンロロロロ~」トレモロをディミヌエンドにせず、フォルツァティシモピアノ(ffzp)にする
セル/クリーヴランド管(五二)、イッセルシュテット/北ドイツ放送響(五七)、カラヤン/ベルリン・フィル(五七)、カラヤン/ベルリン・フィル(六四)

 割合は概ね一が四分の一、二が半分強、三と四は一割程度という分布である。その中でもセルとカラヤンは一二四の三種類、ケルテスは一二、イッセルシュテットは一四、クーベリックは二四の二種類の叩き方をしている。これが意味するところは、指揮者にとってこの部分のティンパニはどう叩こうがさほど問題ではないということではないか。

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