[群響創立80周年記念] 特別演奏会
二〇二五年一一月三〇日 高崎芸術劇場大劇場
菅野祐悟/祝祭(二〇二五初演)
マーラー/交響曲第八番変ホ長調
ソプラノ/小林沙羅、森谷真理、森野美咲、アルト/富岡明子、十合翔子
テノール/宮里直樹、バリトン/青山貴、バス/久保和範
合 唱/群馬交響楽団合唱団(合唱指揮:阿部純)、
藤岡市立小野小学校合唱部
管絃楽/群馬交響楽団、オーケストラ・アンサンブル金沢
指 揮/飯森範親
群響が創立八〇周年を迎えた。私は一九九五年発行の「群馬交響楽団50年史」という記録集を読んだが、その長い歴史、特に膨大な移動音楽教室活動の記録にただただ敬意を感じる。そんな苦難のオーケストラが創立八〇年の記念公演でマーラーの交響曲第八番(以下「千人」)を取り上げるので聴きに行ってみた。
飯森範親の「千人」はミューザ川崎の開館五周年記念コンサート(二〇〇九年)以来だ。その時は確か「今まで聞いた中で最悪」と書いた覚えがある。歌も矯めも何もなく、速いテンポでセカセカ進んでいくだけの演奏というイメージだった。
今回も基本的な評価は同じ。この指揮者は「千人」に向いていないのだと思う。プロオケをプロの指揮者が振るのだから、形になっただけでは困るのである。前回に比べれば全体的にテンポは少しゆったりして、フレーズ終わりのルバートなども加わった感じがするが、それが進歩ではなく緩みにしか聞こえない。指揮姿が妙に力んでいるのにそれが音楽に現れない。力の入れ所が的外れな気がしてならないのだ。第二部の後半になって、やっとオケが「乗って」来た感じがしたが、それは指揮者の手柄ではなく、記念公演で大曲を演奏しているという、奏者や合唱団員の体温が上がったせいだろう。
前回も今回も第一部の最後をテンポを上げて煽る。さらに前回同様バンダを舞台上(今回は上手コントラバスの後ろ、前回はオルガンバルコニー)に配置して、何をやっているか判らずただただやかましいだけだ。バンダは舞台外に置くからバンダなのだ。指揮者は自分にではなく、聴衆にどう聞こえるかを考えなけらばならない。
第二部の栄光の聖母も舞台下手の児童合唱の前に配置。栄光の聖母は客席に配置するから、マリア崇拝の博士と対峙する形になるのに。
更にはティンパニの二台打ちを多用。第一部冒頭と終結部、第二部終結部以外に出番が無いはずの第二ティンパニを、全体の三分の二くらい第一ティンパニと重ねて演奏させていた。ティンパニの二人打ちは音量ではなく視覚的効果を狙っているのに、ずっと二人で叩いていたらここ一番でマーラーが注目させたかった部分がぼやけてしまう。
オケの編成は十六型の最小編成。指揮者の目の前(二列目)にチェレスタではなくハルモニウムを配置。一番の聴かせ所はハープと一緒なので、チェレスタと一緒に下手に置けばいいのにと思った。マンドリンは一名でPA付。拡声すること自体は構わないのだが、拡声音が天井の吊り下げスピーカーから聞こえてきて興醒めも甚だしい。指揮者の指示なのか、館の音響スタッフの手抜きなのか。マンドリン奏者の足元に転がしスピーカーを一台置けば何の違和感も無いのに。
独唱者七名はは指揮者を囲む配置。バスを除きレヴェルが高かったが、特に第一アルトとテノールが素晴らしかった。第一ソプラノと第二ソプラノは発声やスタイルが全く異なる二人だったが、二重唱の部分などそれはそれで面白かった。
混声合唱は正面奥。アマチュアで大人数だから音程怪しいのは仕方がない。神秘の合唱もメゾピアノくらいで唱い始めていたが、ピアニシモでは唱えないから妥協したのか、指揮者の解釈なのかは不明。混声合唱の前、中央から上手側に打楽器群を配置し、下手側に児童合唱。児童合唱は公立小学校の合唱部(四~六年生)とは思えない大健闘。
ティンパニのzu2は第一部が二人で片手打ち、第二部は二人で二台打ち(に見えた)。複数シンバルは一回目が吊りシンバル一人(もう一人いたかも)、二回目は合わせシンバル三人。
高崎芸術劇場で群響を聴くのは二回目だ。我々昭和の爺さんには、どうしても群響=群馬音楽センターのイメージが強い。あの響きが無くて横にだだっ広い群馬音楽センターでだったら「千人」がどう響いたのか、聴いてみたかった気がする。
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