2014年7月16日 (水)

二〇一四年の見世物小屋

 二年前に「ニッポンの、みせものやさん」という映画を観た。日本で唯一の見世物小屋となった大寅興行社のドキュメンタリー映画で、普段見られない見世物小屋の裏側を見ることが出来て、とても面白い映画だった。靖国神社のみたま祭りのポスターを見かけて、そういえばと思って調べてみると、見世物小屋の様子が変わったという書き込みが沢山あるので、どんな様子なのか確認すべく、久々にみたま祭りに行ってみた。

 境内はもの凄い雑踏で、私のように目的地に向かって進みたい者にとっては何とも苦行だが、みたま祭りは何度も行っているので見世物小屋の場所は判っている。辿り着くと、例年と同じ場所にお化け屋敷と並んでいるが、正面に大きく「ゴキブリコンビナート」という看板が掲げられており、昔ながらの蛇娘の看板などは無くなっている。

 私の乏しい知識では、見世物小屋は二〇〇〇年代に入った段階で大寅興行社一社のみになっていたが、二〇〇一年頃に大寅興行社から若者が独立し、入方興行社を創業。みたま祭りなどでは大寅興行社のお化け屋敷と入方興行社の見世物小屋が並んで営業していた。しかし、見世物小屋の出し物は停滞し、社主の入方氏が一人でデビルマンのような格好をして、蛇を食いちぎる他に、蝋燭の火吹き、鼻から口に通した鎖で水入りのバケツを持ち上げる、扇風機を舌で止めるなどの芸をやっていて暗い雰囲気だった。そんな見世物小屋が急に活気づいたのが二〇〇五年頃。若い蛇娘の小雪さんと、デリシャスウィートスというイカれた女子バンドが参加するようになって急に舞台が華やかになった。特に美人の小雪さんが生きている蛇を食いちぎるのが人気を呼んで、見世物業界は活気づいたと思っていた。ところが、二〇一〇年頃に期待の新興勢力であった入方興行社の入方氏が死去し、見世物小屋は再び大寅興行社の興行となった。人気者の小雪さんは大寅興行社の見世物にも出演し、蛇娘の大先輩あるお峰さんと一緒に舞台を務めるようになっていた。映画「ニッポンの、みせものやさん」は、このお峰さんと小雪さんが一緒に大寅興行社の見世物に出ている時期のドキュメントであった。
 ところが、最近ネットで見た情報によれば、お峰さんは引退(高齢だから仕方ない)し、小雪さんは失踪したとの噂で、大寅興行社の小屋を使っているが、中身は劇団ゴキブリコンビナートがやっているということであった。
 劇団ゴキブリコンビナートのことはよく知らないが、小雪さんが蛇娘になる前に所属していた劇団で、エロとグロ(特にひどいグロ)を主眼にした劇団らしい。
 実際に見世物小屋に入ってみると、まず出て来たのは「ものすごい寝たきり老人」。全身白塗りに様々な色の点々をつけた(腫瘍のイメージか)爺さん(本当は若そうだ)が這って出て来て、鼻から口へ通したボールチェーンで水入りバケツを持ち上げる。次は首狩族。三人の土人(の扮装の日本人)が鎌を持って暴れ回るが、結局やるのはドライアイスを食べる芸。次が中国の串刺し男。長い鉄串を両頬に貫通させた男が、コンクリートブロック三個を載せた台車を、串に掛けた綱で引くという芸。続いてヤモリ女。埼玉で発見された人間の形をしたヤモリ女が虫(爬虫類飼育用のミルワーム)を生でむしゃむしゃ食べる。そして最後がアマゾネスのピョン子ちゃん。お峰さんがやっていた、蝋燭の蝋を口に含んで火炎を吹く。これで一回りである。
 やっている内容は、小雪さんが入る前に入方氏が一人でやっていた芸だが、それをゴキブリコンビナートの劇団員(アマゾネスのピョン子ちゃんは大寅興行社の興行でもいたので劇団員ではないかも)が手分けしてやっている感じだ。そして伝えられているとおり小雪さんの姿はなく、表の看板にも蛇娘の絵は無かった。ただ、出口で入場料を徴収していたのは大寅興行社のオバサンだった。

 好意的に解釈すればお峰さんは高齢で引退、小雪さんは寿退職して芸人が足らなくなったところで、ゴキブリコンビナートが大寅興行社の下請けに入って、興行は大寅興行社、中身はゴキブリコンビナートが請け負うことで、見世物小屋は再びピンチを切り抜けたということなのか。
 しかし、ネット情報では司会者が「小雪さんは失踪した」と言っていたという情報が飛び交っており、動物愛護団体の圧力で蛇が食べられなくなって……逃亡した云々などという噂が飛び交っている。残念ながら現在のゴキブリコンビナート主体の見世物は、小雪登場以前のレヴェルに戻ってしまい、何度も見ようという気にはなれない。というよりは、私にとって見世物小屋は小雪さんの芸を観に行く所だったので、もう行く理由が無くなってしまった感じがする。小雪さんのあの赤い長襦袢姿をもう見ることは出来ないのだろうか。実に残念だ。

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2013年12月 9日 (月)

明徳寺

 伊豆の修善寺から少し南下したところに明徳寺という寺がある。ここは俗に言う便所の神様、転じて下半身の神様として知られている。
 広い境内はどこにでもある田舎の寺だが、本堂脇にお守りなどを授ける授与品所がある。というよりはお土産コーナーと言った方が適切な感じの広さと品揃えで、お守りやお札よりはパンツなどの下着類が大量に並べられている。そして、本堂の裏に鳥枢沙摩明王が奉られる「おさすり おまたぎ」という一角がある。ここにはお馴染みの石や木で出来た男根が並べられており、鳥枢沙摩明王に参拝しながら足元の格子をまたぎ、男根をさすって下半身の健やかなることを祈るのである。
 珍スポットとしては小規模であるが、なかなか素朴でいいものを見たと思い境内を歩いていると、突然鐘楼から鐘の音がして仰天する。誰もいない鐘楼で鐘が鳴ったのだ。不審に思って近づいてみるとモーターのような音がする。鐘楼の撞木の上に何やら仕掛けがあるようで、そこからモーター音がしているのだ。これは自動鐘撞機的なモノらしい。見ていると撞木の上に接しているバーが反動のように動いて、再び鐘が撞かれる。何でも便利なモノを考える人がいるものである。お寺自体よりも鐘撞機に感心してしまった。
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(明徳寺の鐘撞堂 自動鐘撞機付き)





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2013年11月 1日 (金)

池袋演芸場十月下席(昼の部)

池袋演芸場十月下席(昼の部)

二〇一三年十月三十日(水)

「転失気」柳家さん坊
「使うかもしれない」古今亭駒次
(ジャグリング)ストレート松浦
「手紙無筆」金原亭馬遊
「四段目」初音家左橋
(漫才)ホンキートンク
「子ほめ」柳亭市馬
「彦六伝」林家木久扇
「二人旅」柳家小三治
   (仲入り)
(口上)柳亭市馬、林家木久扇、川柳つくし、川柳川柳、柳家小三治
(漫談)アサダ二世
「告知の作法」五明楼玉の輔
「ガーコン」川柳川柳
「目薬」古今亭志ん輔
(俗曲)柳家小菊
「健康診断に行こう」(+ウクレレ漫談)川柳つくし

 九月の鈴本に続いて池袋演芸場で川柳つくしの真打披露目を観る。
 駒次の新作は面白い。同じ鉄道好きなので多少贔屓目に見ていることは否定しないが、以前聞いた「鉄道戦国絵巻」は抱腹絶倒だった。東京在住で鉄道に興味がなければ全く面白くないが、噺家の数が飽和状態なのだから、得意ジャンルがあることはいいことだ。今日はゴミ屋敷に住む一家が断捨離する噺。妻の妄想ぶりが面白かったが、落げが読めてしまうのが少し残念。
 ストレート松浦のジャグリングは初めて見るが、太神楽の西洋版みたいなものだから、寄席とは相性が良く素直に楽しめる。馬遊、左橋とも短めの高座で、四段目は芝居を見ていたことが露見するところまで。ホンキートンクの漫才も勢いがあっていい。
 市馬は子ほめ、寄席で見るのは本当に久しぶりの木久扇はお馴染み彦六伝、小三治は二人旅と、披露目なので短めの高座が続く。
 口上は市馬、木久扇、つくし、川柳、小三治の五人、師匠の他が会長、副会長、相談役というのは豪華。木久扇の口上で、前座の時に川柳(当時さん生)の後援会発足について秩父へ行き、川柳が二日目の高座を酒で穴を開けた話は、以前つくしが話していたのを聞いていたが、当事者から語られると更に趣がある。小三治も川柳に迷惑をかけられた話が中心で、こんな師匠の元でよく頑張ったという論調。対して川柳は、自分が前座の頃圓生のお供で青山高校に仕事に行き、その時のさん生の弥次郎(本人は金明竹と記憶していたのを小三治が訂正)を聞いた郡山剛蔵少年が噺家になる決意をした。つまり、現柳家小三治会長はオレが作ったという話。その後ついでのように、古典落語は女には難しいという話。三本締めの前にもう一度小三治から、圓丈とは違う新しい新作を作れと言う激励があり、かなり内容たっぷりの口上を締めた。
 食いつきのアサダ二世は、楽屋が混んでいて手品を仕込めなかったと、シルクハットとトランプだけ持ってきたものの、今日は手品はやらないという。天一、天勝に始まる日本奇術界の草創期の話をする。見慣れている手品よりはこっちの方が面白かった。玉の輔は新米の医者が癌告知をする話。調べたところ告知の作法という演題らしい。回り落ちがとても良くできた噺だ。川柳は毎度お馴染みのガーコン。鈴本の時よりも調子がいいみたいで、「男の年寄りはダメだな」と小言も炸裂。「つくしの時は頼むよ」と弟子への思いやりもちょっと垣間見えた。志ん輔は目薬。マクラの医者の話が面白かったが、つくしの演題とついてしまったのが残念。小菊の俗曲も安心して聞ける芸で膝代わりにはぴったりだ。つくしは師匠川柳の話から入る。披露目直前にブラック師と飲んでいて階段から転落した話、続いて自分も原因不明の痣で医者に行ったら歳のせいだと言われた話に続いて「健康診断に行こう」。先日の「ソングコップ」に比べると落げが格段にうまく出来ている。主人公がオバサンなので、つくしが歳をとっても演じられるネタだと思う。一席終わったところでウクレレを持って漫談。お馴染みの「来世がんばれ」。聞いたことのあるネタが多かったが、牧伸二や堺すすむみたいに、このパターンで膨大なネタをストックすれば、どこでも使える飛び道具になるだろう。

 池袋演芸場は相変わらず客層はいい。ただし、食べるのと喋るのに夢中な婆さんグループはロビーでやってほしいし、一席終わる毎に便所へ行くらしい爺さんは出口の近くに座れと言いたい。極めつきは最前列に座ってずっとスマホのゲームをしている若造。私も学生の頃は、ぺぺ桜井が出てくると新聞を読んで、文句を言われたら「たまには違うネタやってみろ」と言い返してやろうと身構えていたりしたが、それは毎日同じネタしかやらない手抜き芸人に対する抗議の姿勢だった。後ろの席から画面が丸見えの位置でゲームをするのは、とても気が散って邪魔である。何を目当てに寄席に来ているのか判らないが、せめて他人に迷惑をかけないくらいの気遣いが出来ないのか。まあ、見た感じいかにも情緒不安定な感じだったので、その場で咎めれば逆ギレして、ゲームをする権利とか戯言を叫ぶのだろう。
 オイ、十月三十日池袋演芸場のA列7番の席でゲームをしていたゆとり世代。寄席では噺を聞け、ゲームは家でやれ!

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2013年9月25日 (水)

鈴本演芸場九月下席(夜の部)

「川柳つくし真打昇進披露興行」
二〇一三年九月二十三日(月祝)十七時二十分

「黄金の大黒」桂才紫
「犬の目」柳家小せん
(太神楽曲芸)翁家和楽社中(和楽、小楽、和助)
「夜の慣用句」柳家喬太郎
「目黒の秋刀魚」柳亭市馬
(漫才)ロケット団
「ガーコン」川柳川柳
「漫談」三遊亭円歌
「転宅」柳家三三
   ー仲入りー
(口上)市馬、つくし、川柳、円歌
(動物物真似)江戸家小猫
「つる」桃月庵白酒
(紙切り)林家二楽
「ソング・コップ」川柳つくし

 音楽家も噺家もメインストリームに興味がない私は、現役の噺家では川柳川柳師が一番好きである。その川柳師の最初で最後の弟子、川柳つくしが真打に昇進したので、披露目の口上が見たくて上野鈴本の前売券を購入。鈴本は公立ホールのような雰囲気が好きではないが、とにかく初日を見たいのである。

 披露目のせいか前座の高座は無し。ベテラン二つ目の才紫はおめでたい「黄金の大黒」の羽織のやりとりまで。なかなか歯切れがよくて良い。
 小せんは「犬の目」。この人の何だかのんびりした雰囲気は好きだ。やりようによってはグロになりかねない噺を、とぼけた味わいにするところは実力だろう。
 和楽社中の太神楽に続いて喬太郎の「夜の慣用句」。続いての市馬は「目黒の秋刀魚」。二人とも中堅の実力者で安定の高座。喬太郎は客によって新作も古典も自由自在だし、市馬はどんな客相手でも古典できっちり笑わせる。落語協会はこの世代に人材が厚いので将来が楽しみだ。
 ロケット団はここ数年で随分間が良くなった。いいテンポで客席を沸かせており、ネタも沢山あるので自由自在な感じが頼もしい。ずっと寄席にいて欲しい芸人だ。
 川柳のめくりが出ると客席から拍手が起こる。つくしファンが多い客席なので、川柳師を労う雰囲気だ。少し痩せた感じはするが、お馴染みの「ガーコン」で歌い始めれば相変わらずの声だ。時々つっかえるのもポンコツな感じでいい。途中多少刈り込んで脱穀機まで。立ち上がると若干ふらつくのもご愛敬だ。
 円歌は立ったままでの漫談。「最近寄席に出てないんだ。座れないから。座れって言うなら出ないって言ってるんだ」と相変わらずの毒舌。客席からは「座れないんじゃ口上には出ないのか?」という囁き声が聞こえる。
 仲入前の三三は転宅。この人もメキメキ実力を付けてきている。女にもう少し色気が出れば言うこと無しだと思う。

 つくしの真打披露口上は市馬、つくし、川柳、円歌の四人が並ぶ。円歌は正座椅子的な何かに座っての口上。期待の川柳師の口上は、八月十五日の独演会の時と同じ、落語は本来男が語る前提で出来ているので女には不利だという話。別に受けるような話ではなかったが、努力家で沢山ネタを作っている。オレは三つぐらいしかない。二つか三つオレにくれ! というところでドッと受けていた。
 子猫は小菊の代演。先代猫八から見ているが、実に寄席向きで安心の芸だ。このような芸を若い人が継承してくれるのは嬉しい。
 白酒は「つる」。この人は見た目で随分得をしている。出てきただけでそこはかとなくおかしな風貌で、噺も巧いのだから素晴らしい。新真打に遠慮して軽いネタ。
 膝替りは二楽の紙切り。鋏試しに桃太郎を切ってから、受けた注文は「杯に菊」、「柳につくし」の二題。柳につくしは柳の下につくしが生えており、その脇で川柳師がガーコンをやっている図だった。
 イエローサブマリンの出ばやしが始まり、つくしのめくりが出ると再び拍手が起こり、そのまま出囃子に手拍子となる。長く寄席に通っているが出囃子に手拍子が起こったのは初めて。つくしが登場すると盛大な拍手、お辞儀をして頭を上げても暫く拍手が収まらず、つくしも「鳴り止みませんね」と話し始める。まくらでは川柳が真打まで十九年かかったのに私は十六年などという差し障りのない話。初のトリネタは「ソング・コップ」。アレンジ禁止法という法律が施行され、あらゆる歌を編曲や音を外して歌うとソング・コップに逮捕されるという噺。荒唐無稽で面白い。つくしは川柳も褒めているように、創作力はなかなかの物を持っていると思う。以前は創作力と演技力の差で、物語の面白さより演技の下手さが目立つことが多かったが、段々と自分に合った噺をするようになってみたようだ。突き詰めれば名人になると云う芸風ではないが、師川柳同様、寄席の芝居の中でちょっと風変わりな高座をする噺家という立ち位置で頑張ってもらいたいものだ。

 久しぶりの鈴本は最終的に立ち見まで出る盛況だったが、すぐ後ろに座ったババア軍団が噺を聞かずに仲間同士で喋っていたり、芸人の話にいちいち溜息のように返事をするババアなどに悩まされた。こういう連中は家でテレビでも見ていて欲しい。究極はつくしの高座が終わった時に、高座に祝儀袋を置きに行った田舎者。以前国立演芸場で牧伸二に同じ事をしているバカがいたが、今回の田舎者は更に間抜けで、手渡さずに舞台上手に置いて去ってしまった。なので、つくしが這っていき祝儀袋を拾った瞬間に緞帳が下り切るという、最悪の幕切れとなってしまった。
 芸人に祝儀を切るときはこっそり前座かお茶子(今時いないか)に言付ける物で、公衆の面前で渡すなどは野暮の骨頂、とんだ杢兵衛お大尽である。寄席の客のくせにそんな事も知らずに祝儀を渡そうなんていうのは、思い上がりも甚だしい。本人はいい気になっているのかも知れないが、今年見た恥ずかしい人の断トツでナンバーワンだ。

 今回は五人同時真打昇進で、つくしの披露目は全部で十日しかない。もう一回くらい鈴本以外に見に行って、どう変化するか見てみたい気がする。

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2013年8月17日 (土)

川柳川柳 昭和音曲噺 夏のガーコン祭り

川柳川柳 昭和音曲噺 夏のガーコン祭り
~ 祝!つくし真打ち昇進 ~

二〇一三年八月十五日 座・高円寺2

「八 九 升」三遊亭 わん丈
「黄金の大黒」春風亭 一之輔
「 神々の唄 」林 家 彦いち
(口上らしきもの)彦いち、一之輔、つくし、川柳
「 終焉の地 」川 柳 つくし
   中入り
「大ガーコン」川 柳 川 柳

 すっかり寄席から足が遠のいている。川柳師を聞くのも二〇〇九年以来とすっかりご無沙汰している。ここ数年恒例になっているという真夏の川柳独演会だが、今年はこの秋につくしの真打ち昇進が控えているので、その前夜祭的要素も強いようだ。

 開口一番は圓丈の弟子であるわん丈。川柳に前座の弟子がいないから仲のいい元弟弟子、圓丈の弟子を頼むのだろう。思い起こせば、つくしが弟子入りする前のこの役割は同じく圓丈の弟子のにいがた(現白鳥)がよくやっていた。ネタは圓生系統の前座噺八九升。二〇〇九年の川柳独演会では三三が演じていた。聾者を揶揄する噺なので普段は演じにくいが、川柳独演会の開口一番には丁度いい。
 一之輔は真打ちになってから初めて聞く。元々ふてぶてしいキャラがいい感じだったが、真打ちになって磨きがかかったように感じる。おめでたい噺ということで黄金の大黒。最後の落げを大黒が「ガーコンガーコン」と脱穀機の真似をして「川柳の大黒」に変えていたのは大サービス。
 彦いちは嘘つきの噺。この人の噺は面白いだけでなく、何やらシュールな感じが好きだ。顔がどう見ても悪人なのもいい。菊之丞みたいな横町の若旦那風もいいが、その筋の人のような強面で、必ず袖から走って登場する雰囲気が何だかとても好きである。話の筋自体はさほど奇想天外でも、よく作り込まれているわけでもないが、実にバカバカしくて楽しい高座だった。
 一旦幕が閉まり、片しゃぎりで再び開くと下手から彦いち、一之輔、つくし、川柳の順に並んで真打ち披露口上の傾向と対策。口上と言うよりは雑談で、川柳師が真打ちになった時の話などが続く。一応最後は真面目に川柳師が口上らしきことを言って三本締め。川柳師は話し出すと次々色々な話が出てきてしまうので、本当の披露目の時はもう少し短くしないとまずいと思う。
 つくしの「終焉の地」は二〇〇九年の川柳独演会でも聞いたネタ。つくしの高座を前座の頃からずっと見ているので、どのように芸風を転換していくのか気になっている。若い頃の等身大のOL落語は新鮮だった。ウクレレ漫談をやってみたり、三題噺に挑戦したり色々試行錯誤しているようだ。お江戸日本橋亭でウクレレをラケットにしてピンポン球を客席に打ち込むという思い切ったギャグが完全に滑り、客席が凍り付いたのを目撃したのも懐かしい思い出だ。近年は行かず後家目線の噺に移行しつつあるようなので、喬太郎師が若者目線からオッサン目線に上手に移行して行っているように、佳いオバサン落語家になってもらいたいものだ。
 中入り後は川柳師の大ガーコン。始まったのが八時四十五分頃だったので、三十分弱で終わるかと思いきや、たっぷり一時間の長講。流石に八十二歳のポンコツじじいなので、途中で話がそれるとどこまでやったのか判らなくなったり、人や物の名前がすんなり出てこない事が多い。しかし、元々雑談のような噺で、途中を飛ばしたところで差し支え無い。それよりも、次々歌う軍歌の声量と声質はとても八十二の爺さんとは思えない。最後に立ち上がるところでふらついてハラハラさせるが、一時間正座してから立ち上がって、片足に重心乗せて脱穀機のポーズが出来ることは奇跡に近いと思う。流石に毎日毎日寄席で高座にかけているネタだけのことはある。川柳師も今後はこのガーコンだけに絞っていいから、ずっと寄席に出続けて欲しいものだ。
 来月からはつくしの真打ち昇進披露興行が始まる。川柳師にとって最初で最後の弟子の披露目だ。ここの所定席から足が遠のいているので、是非見に行きたいと思っている。

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2011年12月 6日 (火)

談志の芝浜

 NHKの談志追悼番組で芝浜(抜粋)を放送していた。二〇〇六年の収録とクレジットされていたので晩年の姿だ。
 談志の噺を見るのは太田光がプロデュースしたDVD以来だが、かのDVDでは切り替わるカメラアングルに惑わされて、談志の芸自体を評価しづらかった。今回の映像は普通の映像なので、安心して観ることが出来た。
 結論を一言で言えば、独りよがりな芸だ。どの登場人物(芝浜は二人しかいないが)も談志自身をしか感じさせず、徹頭徹尾談志が演じている次元から離れない。そして、科白がスラスラと出ないものだから、唸り声と身振り手振りと表情で表現する。これがまた紋切り型だ。噺の筋に入ってからは「斜めの圓菊」と全く変わらない。こう成ってしまうと映像無しでは聞き手に伝わらない。話芸でなくて顔芸である。かつて榎本滋民が圓生を評した「眼技」とは、似ているようだがメダカと航空母艦ほどの違い。どちらかと言えば、師五代目小さんの座敷芸、百面相のタコに近い。
 女房が真実を告白して、亭主に「別れないでちょうだい、あんたが好きなの」と掻き口説く場面など、談志はこれがリアリズムだと思っているのかも知れないが、女房が談志のままなので観ていて居たたまれないし気持ち悪い。こういう芸が好きな客と、こういう芸を目指す噺家が結構居ることも事実だが、私には噺とは違う芸の一ジャンルとしか思えない。そして、高座全編で発散している「どうだ俺は巧いだろう」というオーラが煩わしい。
 はっきり言えば談志の噺は下手である。立川談志という芸としては極まっているけれども、噺としては異端。立川談志としては名人。噺家としては普通かそれ以下。TBSが録った志ん朝の芝浜と観比べれば、噺家としての両者の実力の差は明らかだ。志ん朝や圓生の高座を映像で観ていると、何時の間にか演者の姿が消えるのである。例えば圓生の「木乃伊取り」。清蔵の最後の科白の後、圓生が向き直って頭を下げた時、「あ、圓生だったんだ」と我に返る瞬間がある。それまで観客は噺の世界に入り込んでしまい、酔っ払って楽しくなっちゃった清蔵を観ており、演者の存在を忘れているのだ。談志の高座ではこの感覚が皆無だ。
 談志のファンというのはクラシック音楽界で云えば宇宿允人のファンみたいなもので、談志ファンであって、落語ファンではないのである。

 一九七八年の落語協会分裂騒動を見ると、談志は志ん朝に嫉妬して、何とか志ん朝を超えようとあらゆる策略を練ったが、どうしても超えることが出来なかったようだ。いや、何とか追いつき追い越そうとすればするほど、差は広がっていくばかりだったと思う。将来落語協会のトップに君臨するために、圓生の不満に乗じて志ん朝と圓樂を追い出したが、計略外れて戻った志ん朝の香盤は下がらなかった。仕方ないからほとぼりが冷めた頃、真打昇進試験を言いがかりにして、協会から出て行った。
 もし談志が協会に留まっていたら、圓歌の次の会長は談志だったろう。しかし、それは志ん朝が早死にした結果であり、志ん朝が生きている限り談志がトップに君臨することはなかった。志ん朝を追い越したかった談志は、どうしたって協会に留まることは出来なかったのだろう。

 圓樂と談志が死んで、一九七八年の落語協会分裂騒動の首謀者が全員片付いた事になる。やはり気になるのは弟子たちの動向だ。圓樂と談志は自分が大将になるために弟子を道連れにした。追悼報道では両者とも弟子思いみたいに書かれているが、分裂前からの弟子は完全に被害者だと思う。先代金馬のように知名度のある自分はフリーになるが、弟子は協会に預けるというのが本当の弟子思い。圓樂の居ない圓樂党や談志の居ない立川流は苺の無いショートケーキみたいなもので、テレビに出ている数名を除けば、芸だけで食っていける芸人は殆ど居ない。しかし、今更協会に戻ろうにも難しいだろう。
 黒円楽(楽太郎)は歌丸のつてで芸協に合流を画策したようだが、断られたようだ。圓樂が弟子入り五年程度の粗悪真打を量産したせいで、基本真打十五年の芸協が受け入れられるはずもない。立川流も独自制度なので同様だろう。

 この際だから、圓樂党と立川流が合併して第三の協会を作るのがいいのではないか。客が呼べる(知名度があるという意味で、噺が巧いという意味ではない)のが円楽、好楽、志の輔、談春、志らく程度で。寄席の芝居は打てないだろうが、落語会ならばそこそこ工夫が出来るのではないか。
 落語界の二悪人、圓樂と談志が野心に燃えて掻き回した落語界を、弟子たちがどう収拾を付けるのか、はたまた数名を残して野垂れ死にとなるのか。虎は死して皮を残し、談志圓樂死して弟子路頭に迷う。
 さてこの収まりがどう付きますか。お時間で御座います。

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2011年8月 4日 (木)

志ん朝と老松

 古今亭志ん朝が亡くなってから早いものでもう十年。北海道へ向かう寝台特急の車内で訃報を聞いた時の事を思い出す。
 生前は本人が許可しなかったため、CD等が少なかった志ん朝だが、没後色々な音源や映像が発売されたのは嬉しいことだ。最近になって二種類のCDボックスを聴くことが出来た。

「志ん朝初出し」(来福/ソニー CD十二枚組)

 畏友K女史から貸していただいた。一九六六年から一九九五年までの東京放送(TBS)の放送音源。この中でもっとも貴重なのはCD四の「ちきり伊勢屋」と「崇徳院」である。この二席だけは志ん朝と春風亭柳朝が続けていた勉強会「二朝会」の実況録音である。ブックレットの解説によれば、それ以外の何席かも二朝会の録音としているが、ここが曖昧なのだ。「よってたかって古今亭志ん朝 (文春文庫) 」の巻末資料によれば、自主的な二朝会は霞ヶ関のイイノホールで一九六九年七月から当初不定期、後に隔月(偶数月)で行われ一九七四年十二月の第二十八回が最終回となっている。なので、一九七七年録音の「鰻の幇間」や「大山詣り」が二朝会の録音のはずはない。しかし、どうやら二朝会という名称は本家の自主公演以外に「柳朝・志ん朝二人会」のタイトルとして地方営業などもしていたようだ。なので、もしかするとラジオ番組としての二朝会での録音なのかもしれない。なお、「ちきり伊勢屋」は前半のみの口演なので、オマケとして柳朝が口演したであろう後編も収録して欲しかった。
 「ラジオ寄席」は現在も継続(野球がない季節だけ)している番組だが、東北地方での収録となる。二千人規模の会場に地方の招待客という最悪の客層なので、反応が悪いのが残念。「ビアホール名人会」は銀座ライオンで公開収録していた落語番組で、こちらは客が殆ど酔っぱらい。反応はいいのだが、時に悪受けする客がいるのが苦々しい。
 「犬の災難」「坊主の遊び」「ちきり伊勢屋」「宮戸川」「片棒」「野ざらし」「紙入れ」「風呂敷」「へっつい幽霊」「妾馬」は他に音源が出ていないので貴重だ。放送用の録音では避けて通れない時間の制約を感じさせる口演も幾つかあり、「妾馬」などは端折りすぎで勿体ない。一方放送音源なので、録音状態は良好で、AMステレオ導入(九二年三月)後はステレオ収録の音源もある。

「東横落語会 古今亭志ん朝(小学館 CD二十一枚組)」

 一九五六年から一九八五年まで続いたホール落語会の老舗、東横落語会での高座の内、一九七七年以降の記録用録音。テープの保存状態が悪く、一部聞き苦しいものもある。東横落語会の音源は、圓生や小さんのものは結構出ているので期待していたが、このように纏まった形で出してくれたのは有難い。特に「鰻屋」「近江八景」「首ったけ」「稽古屋」「蒟蒻問答」「千両みかん」「たがや」「豊志賀の死」「猫の皿」は唯一の音源である。一九七八年五月二十九日の「船徳」のマクラで、「宗珉の滝」を予告して稽古も始めていたのだが、それどころでなくなったと断っているのは、丁度落語協会分裂騒動の最中で、五日前の二十四日に記者会見、翌二十五日に席亭勧告により圓蔵と志ん朝一門は協会に復帰したゴタゴタの事を言っているのだろう。この日、当の圓生はトリで「樟脳玉」を演じ、開口一番「時の人がお目通りを致します」と言っている。

 さて、この二組のシリーズだが、どちらも若干の不満がある。出囃子がしっかり収録されていないものが多いのだ。「初出し」の録音時期が古いものは生演奏の出囃子だが、「ラジオ寄席」「ビアホール名人会」はテープ。「東横」の方は全て生演奏だが、途中からフェードインして、出囃子の終わりの所しか収録されていない。東横落語会のお囃子は、八〇年頃まで平川てる、橘つやの名人コンビが弾いていたはずなので勿体ないと思う。志ん朝は圓生と違って、出囃子一杯で上がる(出囃子の曲の長さに合わせて高座に上がり、曲の終わりとお辞儀がピタッと合うようにする)ことをしなかったので、変なところで終わったり、曲一杯になるかと思ったらちょっと足らなかったりというお囃子さんの苦労が面白いのだが、このCDセットではそれらを楽しめる部分は少ない。ちなみに、ソニーの「落語名人会」「志ん朝復活」シリーズでは出囃子がきっちり収録されているので、大変面白く聴ける。

 志ん朝の出囃子は老松という曲だが、本当に志ん朝の芸風とぴったりな出囃子だ。
 学生時代に新宿末廣亭や旧池袋演芸場で志ん朝の出番が来ると、本当にドキドキしたものだった。当時は予告無しの代演は当たり前で、客席に座って出番が来るまで目当ての噺家が出るかどうか判らなかった。そんな時、前の演者が下がって老松が流れると高座が急に華やかな雰囲気になったものだ。志ん朝が出るという喜びと、何をやるんだろうという期待(何故か寄席では宿屋の富に当たることが多かった)が客席全体を包む中、扇子と手拭いを両手で持ったいつもの格好で袖から現れると、何とも言えない寄席の醍醐味を味わえたものだ。
 私の親くらいの世代の落語ファンは、同じ気分を文楽の野崎、志ん生の一丁入り、圓生の正札附、柳好の梅は咲いたか、可楽の勧進帳などで味わったのではないかと思う。
 近年では出囃子を先代から引き継ぐことが多いようだ。噺家の名跡はケチケチしないで下手でも何でも継いだ方がいいと思うが、出囃子は継がない方がいいと思う。芸風が違うと違和感を感じるし、似ていると物真似のように感じてしまう。現正蔵、可楽、円楽、金馬、(名前は継いでいないが)伯楽、鳳楽などは師匠の影を引きずっているようで損をしていると思う。
 私は一時期真剣に噺家になろうかと思っていた時期があったが、その時既に出囃子は「波浮の港」か「鞠と殿様」にすると決めていた。現在では「鞠と殿様」は林家彦いちと新山真理が使っているが、「波浮の港」はまだ誰も使っていないようだ。

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2010年10月 4日 (月)

笑う超人 立川談志×太田光(Contents League二〇〇七)

五代目 立川談志

「黄金餅」(スタジオ収録)
「らくだ」(スタジオ収録)
(特典映像)「鼠穴」 (二〇〇六年十二月十四日時事通信ホール「タイタンライブ」収録)

 太田光が監修して談志の芸を伝えるというDVD。発売当時、ラジオで伊集院光が絶賛していたが、特段興味もなかった。久々に覗いた貸しビデオ屋にDVDがあったので借りてみた。

 まず、改めて談志の芸の力を改めて実感する。特に畳みかけるらくだと鼠穴の後半は鬼気迫ると言っていいと思う。もう既に声も出ていないし、言いよどみ言い間違いも多いが、勢いがついてくると気にはならない。特にスタジオ収録の二編はピンマイクを付けているので、音声が聞き取りやすく、PA屋泣かせの談志の声が明瞭に聞き取れるのは有難い。残念ながら地の部分が多くなる「黄金餅」は面白くない。そうでなくても「あー」とか「うー」とか言っているのが多いのに、地の部分だとそればっかりで聞き苦しい。談志信者にはあの理屈っぽいマクラがたまらないのだろうが、そうでもない者には時に退屈でうんざりする。私の感想は「談志好きが観ればいいDVD」という感じだ。
 そこで考えるのは、何故太田光がこのようなDVDを作ったのかということ。画面から感じられるのは、太田光の「談志ってこんなに凄いんだぜ、観てよ観てよ!」というメッセージのみだ。その談志に対する惚れ込みようというか崇拝心というか、無邪気にはしゃいでいるのは微笑ましく感じるほどだ。
 しかし、それを商品化するということについては疑問を感じる。太田光が談志の「黄金餅」と「らくだ」が好きなのは構わない。だが何で一枚のDVDにこんなついた(内容が似通った)ネタを並べるのか。合間に収録された対談で繰り返される、陰惨な犯罪と芸術の話とは、どっちがタマゴでどっちがニワトリか知らないが、面白くないし納得も出来ない。
 そして映像については、以前に志の輔のDVDを観たときにも感じたのだが、何故複数台のカメラでアングルを切り替えながら見せなければならないのか。これは、映像の作り手が面白がっているだけで、観る者にとっては余計なお節介以外の何者でもない。もし太田光が談志の芸を伝えるのにこのカメラワークが必要だと思っているのなら、太田は談志の芸はおろか、噺の何たるかも理解できていない、単に談志の偉そうな芸談に当てられたバカだ。場面場面で切り替わるアングルや、手持ちのカメラで顔面を接写しわざと画面をぶれさせることが、談志の芸を伝える上で必要なのか。だとしたらCDやラジオでは芸は伝わらないことになるだろう。
 出囃子を廃して、既に談志が喋っているところから映像に入る手法も、太田光らしい発想だ。つまり彼は客席で噺を聴いたことが殆ど無いのだろう。寄席やホールで、自分の好きな噺家の出囃子が鳴り、めくりがかえり、袖から姿が見えた瞬間の胸の高鳴りというものを知らないのだ。長く一緒に仕事をしているから、袖から舞台に出ていく後ろ姿は観ていても、客席でわくわくした経験がないのだろう。噺家が高座に登場する姿というのは、その物真似だけで宴会芸になるほど味のあるものなのに、そこをバッサリ切り落とすとはちょっと考えられない。

 全編観終わって感じたのは、このDVDは談志の芸を観るものではなく、談志を素材にした太田光の「オレの感覚」を見せびらかすものだということ。元々私は談志は嫌いな噺家だが、このDVDを観て、改めて凄い所があるということを見直し、噺家としての評価は少し回復気味だ。しかし、太田光についてはハチャメチャで面白い芸人だと思って好意的だったのだが、偉そうな論をぶつわりに、本質が解ってないんだなとガッカリした。
 談志信者や太田信者にはいいのかも知れないが、「太田が好きだから太田が薦める落語を聞いてみようかな」という向きや、単に落語を聞いてみようという初心者には決して薦められないDVDである。

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2010年2月 6日 (土)

落語DEBAYASHI~出囃子~

徳間ジャパン/TKCA-七三三一九(二〇〇八)

 二〇〇八年に発売されて、すぐに廃盤になった出囃子のCD。TSUTAYAの宅配レンタルで発見して借りてみて、二つの事に驚いた。

 一つ目はCDの内容。噺家の世界にありがちな、ぞろっぺな仕事だ。今までに色々発売されている出囃子のCDは三味線二挺と太鼓、笛を基本編成とし、随時鳴り物を追加する感じだ。ところがこのCDは基本三味線一挺と太鼓のみ。普段の寄席で聞くのと同じ状態だ。
 さらに、演奏も決してほめられたものではない。まず、出囃子というのは長唄などの一部を使うのだが、曲の切り出し方が短い。「元禄花見踊り」などは第二主題(とは言わないだろうが便宜的にそう呼ぶ)まで行かず、第一主題のみを繰り返しておしまい。その繰り返すきっかけの太鼓の合いの手が間抜けでガッカリする。三味線も太鼓も、時に寄席で聞かれるヨレヨレの状態ではないが、決して上手とは言い難い。そして、もう一つの疑問が演奏時間。一曲の演奏時間が一分弱の物が多い。落語会などで生のお囃子代わりに使いたい場合、出囃子の演奏時間は一分半くらい欲しい。前の演者が高座から降りるところから演奏を初めて、高座返しをして次の演者が板に付くまでは結構時間がかかる。一分弱ではやや心許ない気がするのだ。
 つまり、出囃子を聴かせる事を目標とするには演奏がお粗末だし、実用向けにしては演奏時間が短いので、何をめざして作ったCDなのかが判らないのだ。ついでに個人的な感想を言わせてもらえれば、「白鳥の湖」の太鼓をスキップリズムで叩くのは反則。「野崎」や「菖蒲浴衣」みたいな大太鼓の刻みにしなくては、難曲らしさが出ない。

 もう一つ驚いたのは、TSUTAYAの宅配レンタルの方法。ネットで予約するとゆうメールで届き、ゆうメールで返却というシステムは良くできているが、送られてきたのは裸のCDのみ。ブックレットもインレイも無し。それだけでは曲名すら判らない。ネットで予約できるんだから、曲目もネットで確認せよということなのだろうか。曲名はネットで調べられたが、演奏者が誰であるかは結局判らず終い。それ以上のデータは全く不明。クラシック音楽を聴くことが多い私が知りたい、録音データなどは知りようがないのだ。そういうことが知りたいならCDを買えということなのだろう。今回は廃盤になっていたのでレンタルで借りたが、すぐに返却して退会手続きをした。古い人間は宅配レンタルCDには馴染めないようだ。

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2010年1月28日 (木)

金馬の芝浜

「真打ち競演」NHK第一放送二〇一〇年一月二十五日放送
 二〇〇九年十一月二十五日井原市民会館(岡山県)にて収録

「芝浜」四代目三遊亭金馬

 岡山県での公開収録で、大瀬ゆめじ・うたじ、堺すすむ、志らく「短命」、コント山口君と竹田君、ぴろき、金馬「芝浜」という顔ぶれ。前の週に放送された堺すすむが異様に受けていた。

 まず、二〇分程度の持ち時間しかない真打ち競演で「芝浜」をかけることに喫驚。通常すっと本題に入っても三十五から四十五分くらいかかる噺を、二十分に縮めるにはどうするのか。まさか「これから魚金が酒をやめて一所懸命に働きまして、表通りに魚屋の店を構えて大いに繁盛するという、芝浜の上でございました」と切ることは出来ないだろう。
 金馬師は前説を取っ払って、女房が魚金を起こすところから始める。そして一眠りしてから仲間を呼んで飲み食いする場面は省略し、翌朝起こすところで昨晩の飲み食いについて判るようにしていた。なかなか巧く刈り込んでいて感心する。金馬師はもう八十を過ぎていると思うが、滑舌はいいし言い間違えも少なくて大したものだと思う。芝浜を二十分でやることの是非はともかく、このような応用が利くのも凄い。
 ところが、最後の落げを聞いてもっとびっくりしてしまった。「芝浜」の落げは有名な「また夢になるといけねえ」で、落語好きならば誰でも知っている。ところが金馬は「また、金が夢になるといけねえ」と落げていた。

 今まで私は勝手に、魚金(演者によって名前は変わるが)が「夢になって欲しくない」と思っているのは五十両の金ではなく、自分を危ういところから救ってくれた女房と、それによって立ち直ることが出来た今日の自分であると思っていた。志ん朝師の演出だと五十両を見せられて女房のへそくりと勘違いし、かえって「僅かな間に随分とやりゃがったな」と感心している。その様子に五十両という金への執着は感じられず、五十両ばかりの金で今日の自分が揺らぐことのない精神的な余裕を感じられる。しかし、金馬師は落げの直前で魚金に「金と酒で両手に華だ」と言わせて、無邪気に五十両を喜んでいる。そして何より五十両の金が再び夢になることを恐れている。この状態で金を渡して酒を飲ませる女房の判断は正しいのだろうか。まだ暫くは隠して置いた方がいいのではないかと心配になってしまう。
 この違いは「また夢になるといけねえ」の「また」をどう解釈するかの問題だろう。言葉的には「また、手にしたと思った金が夢になる」と解釈出来る。しかし「また、喜ばしい状況が夢となって破れてしまう」ことを恐れる方が人情噺としていいのではないか。
 金馬師がどういう考えで「金が」の一言を加えたのかは判らないが、先代譲りの「素人にも解りやすい語り口」のサービスとして加えたとしたら、ちょっと余計な一言という気がする。

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