2014年11月19日 (水)

あぜりあ丸の最終航海

あぜりあ丸(神新汽船)
貨客船四八〇総噸 一九八八年 三菱重工下関造船所で建造
一九八八年二月十六日~二〇一四年十一月十八日 下田~利島・新島・式根島・神津島航路に就航

 下田のあぜりあ丸が引退することになった。十月三十日に通常航海の乗り納めに行ってきたのだが、最終日の様子も見てきた。当初は船マニアらしくワンデークルージングで行こうと思っていたのだが、前の日に職場の夜間会議(飲み会とも言う)が入ったため東京発のさるびあ丸からの乗り継ぎに変更。さるびあ丸を式根島で下りて、村営船にしきで新島に渡ろうと思っていたのだが、当日あぜりあ丸は新島と神津島が条件付きという珍しい運航。ならば普通に式根島で乗り換えることにして、野伏港で一時間ほど釣りをして(ホシノエソという金魚の化け物みたいな魚が釣れた)、みやとらの弁当で昼食。野伏港に戻ると観光協会の方々が桟橋に太鼓を置いてさよならセレモニーの準備をしている。

 私が初めてあぜりあ丸に乗ったのは一九八八年八月十九日。高校三年だった私は、その年に引退するかとれあ丸(初代)に乗りたくて、神津島に旅行。せっかくだから往路は下田からあじさい丸に乗るつもりで、熱海から初島に寄り道しながら下田に向かった。前日の夕方下田の桟橋でカメラを構えていると、戻ってきたのは明るい青色の船。その年の二月に就航船が交替したことを知らなかったのだ。
 翌朝、まだピカピカのあぜりあ丸に乗り込むと、客室係の船員さんから声をかけられる。どうやら前日写真を撮っていたのを見られていたようだ。この方がtoshi@maruさんで、今日では東海汽船ファンの尊敬を一身に集める有名な方だ。かとれあ丸の写真を撮りに来たという話をすると、色々話を聞かせて下さり、かとれあ丸の写真を何枚も頂いた。以来四半世紀以上、あぜりあ丸に乗るイコールtoshi@maruさんにお会い出来るということで、楽しみが倍増している。もっとも、こちらは暇な客で、toshi@maruさんは乗務中。小さな船で客室も甲板も担当なさっているので、手を止めてしまうのも気が引ける。なかなかゆっくり話を伺う機会が無いのが残念だ。

 さて、個人的な思い出はさておき、あぜりあ丸が日本中の船マニアから注目される理由がある。全長五十六メートルの小型貨客船だが、離島航路の魅力がぎっしり詰まっているのだ。
 第一がデリックによるコンテナ荷役。これは橘丸やさるびあ丸もそうだが、離島の港湾条件が良くない(外洋に突き出した突堤での荷役)ため特徴的なT型のデリックポストを備えたデリッククレーンで荷役を行う。主に一〇フィートコンテナを積み下ろしするのだが、桟橋側では作業員が二人一組でコンテナにクレーンのフックを付け外しし、フォークリフトが次々コンテナを捌いていく。うねりが入っている時など船が大きく動揺しながらの作業になるが、見ていてハラハラする大変危険な作業である。
 第二に錨を使った離着岸作業。今日では殆どの船に装備されている船首の横移動装置、バウスラスターを装備していない。そのため、接岸時する時はまず岸壁に向かって直角に接近して右舷の錨を下ろす。その錨を支点にして右舵を切って船尾を回し、岸壁と船体が平行になったら後退して位置を決め、繋留索を巻いて接岸する。離岸は錨を巻き上げて船首を右に振り、左舵で前進をかけて出港していく(以上出船で左舷着けの場合)。現在の船ではスラスターが装備されているので平行移動は簡単だが、あぜりあ丸は離着岸のたびにこのような職人的な作業を行っているのだ。
 第三に盛大な揺れ。小型船で横揺れ防止装置のフィンスタビライザー(船底の左右に装備する可動式の羽)を装備していないため、楽しくなるほど揺れるのだ。船が揺れて喜ぶのは私たち船マニアくらいなのだろうが、ジェットフォイルや大型船では実感出来ない海の厳しさを感じることが出来る。

 野伏港に入ってきたあぜりあ丸には、十一月の平日にしては乗客が多い。見るからにその筋のカメラを持ったオッサンが多い。間違いなく私と同類の皆様方である。最終日らしく船長は制服制帽、toshi@maruさんは白いジャケットにネクタイ姿である。野伏港でのお別れセレモニーは船長と事務長へ花束の贈呈があり、あぜりあ丸からは船名入りの浮輪が贈られた。
 神津島は多幸湾へ入港。ここでは組織だったセレモニーは無かったが、てんでに集まった島民が手を振ってあぜりあ丸を見送る。荷役の最後はグーグルマップのストリートビュー撮影車で、船倉の蓋の上にデリックに吊されて乗せられる。何度も乗ったあぜりあ丸だが、乗用車を積んでいるのを見たのは初めてである。
 天気が良くて温かいので左舷側のベンチで海を眺めている。心地よい揺れでうとうとするが、時々大きく揺れて意識が戻る。至福の時間である。下田が近づくと、陽が傾いて夕日が船体を染める。神子元島を過ぎると吉佐美沖あたりに停泊している貨物船がいる。船長が双眼鏡で見ているが、あのハウスの大きいシルエットはゆり丸に違いない。明後日からフェリーあぜりあ就航の十二月までの下田航路代走に向けて待機しているようだ。
 下田湾に入ると大粒の雨が降り出す。そして桟橋に近づく頃には雹が混じり虹が出る。一日好天に恵まれたのだが、最後に雨雹虹という賑やかな天候になった。あぜりあ丸はいつも通りに下田港の桟橋に左舷付けになり、いつも通り荷役作業が始まる。これで営業航海は終了。この後は恐らくドックで整備して海外売船になるのではないかと思う。

 昭和生まれの船舶が伊豆諸島から消え、十二月からは伊豆諸島初のRORO船、フェリーあぜりあが下田航路に就航する。伊豆諸島航路の未来については、フェリーあぜりあに乗ってみてから考えたいと思う。
 最初から最後まで下田航路を全うしたあぜりあ丸。伊豆諸島航路の中では脚光を浴びることは無かったけれど、存在感のある名脇役として頼れる存在だったと思う。二十六年間ありがとう。お疲れさまでした。

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2014年9月28日 (日)

耕三寺

 生口島に進水式を見に行ったついでに、耕三寺を見物してきた。
 前日に瀬戸田に入り、造船所に近い民宿皇船荘(みふねそう)に投宿。一泊二食付きで七千五百円(税別)という宿で、周りのブロック塀にペンキでドラえもん、ミッキーマウス、アンパンマンなどが描かれている。良く見るとドラえもんは目が離れていてポケットが無く、タケコプターが青で描かれているので丁髷に見える。実はこの宿については数年前に伊集院光がラジオで面白おかしく話していたので覚えており、今回丁度内海造船のすぐ近くにあるので泊まってみたのだ。
 建物も部屋もどうということはなく、収穫期にはレモン風呂になるという風呂も、今はただ少し大きめの家庭風呂だ。しかし、夕食の豪華さは大変なものである。席に着いた時にお、ずらっと並んだおかずを見て、これで七千五百円なら大満足と思っていると、後から次々運ばれてくる。カレイ丸ごと一匹の唐揚げと、黒鯛半尾の煮付が出て来て、とてもとても一度に食べきれる量ではない。出来るだけ肴中心に食べていると厨房から坊主頭のご主人が出て来て、「お客さん魚好きみたいだからおまけ。太刀魚のポン酢ソーメン」と言って太刀魚の刺身が追加された。申し訳ないが二時間かかって食べたが、刺身とカレイの唐揚げ黒鯛の煮付け以外は、ちょっと箸を付ける程度。頼んだ燗酒は部屋に持ち帰って、落ち着いてから寝酒として飲んだ。

 朝食を終えて宿を立ち、耕三寺に向かう。生口島の観光地と言えばここと平山郁夫美術館くらいだが、私の興味は断然耕三寺である。由来縁起等は本家のウェブサイトを見ていただきたいが、第三者視線から簡単に説明すると、戦前の成金が母の死を期に出家し、財力に物を言わせて日本中の有名寺社のレプリカを所狭しと建てたという寺である。山門は京都御所、中門は法隆寺、五重塔は室生寺、孝養門は日光の陽明門、本堂は平等院鳳凰堂と、こんな調子の建造物が二十近くあり、その他に庭園や書院、総高十五メートルの観音像、そして千仏洞地獄峡という三五〇メートルにも及ぶ人工の洞窟霊場、瀬戸田の街全体を見下ろせるイタリア産大理石で造形された丘と、西日光を自称するだけのことはある。更にすごいのは、これらの建物の内戦前に建造された十五棟は登録有形文化財に指定されている。
 入口で千二百円の拝観料を払って入場するが、どこから見ていいか迷う。境内の見取り図を眺めて、端から潰していくことにする。朝一で訪れたので境内のあちこちで掃き掃除が行われており、足元の細かい砂利には熊手の目が立っている。これは珍スポットの雰囲気ではなく、真面目な寺院だ。しかし、次々現れる建物は確かに見応えがあり、一つ一つは立派なものと感じるが、やはりいくら何でも沢山ありすぎだ。生憎神社仏閣を廻る趣味はないので、オリジナルを知らないものばかりなのが残念。修学旅行で見た日光の陽明門を模した孝養門に感心する程度だ。珍スポットマニア、大仏マニアとしては観音像に興味があるがそれほど大きくなく、色も落ちてくすんでいるので今ひとつな印象だった(この時は)。裏山に広がる未来心の丘は杭谷一東という彫刻家の手による最近の作だが、小高い丘一面が真っ白な大理石のモニュメントになっている様は壮観である。それにしても昭和一〇年から始まって、二十一世紀になってもまだ拡張する耕三寺の財力に感心する。創設者は酸素溶接で鋼管を一手に作っていたらしいが、どれほど儲けたのだろうか。
 境内に戻って、もっとも興味のある千仏洞地獄峡に入る。珍寺の定番、洞窟霊場である。入ってしばらくは左右に仏像などが並んでいるが、閻魔と鬼の人形による裁きの場面を越えると、左右に額に入った立体的な八大地獄の絵が現れる。その後六道の同じような絵が続くのだが、この絵がなかなかリアルで素晴らしい。更に進むと水音がし始めるので期待すると、高さ十メートルはあろうかという空間に無数の仏像が並んでおり、真ん中を滝が流れ落ちている。まさかこの規模のものがあるとは思っていなかったので感動するが、これはまだ序の口。再び進むとまた大きな空間に滝があり、通路の両側は池になっている。そして右側の池の水面には飛び石があるので、道からそれてそちらに行くと、天井が一旦低くなった先にもう一つの大きな空間が現れる。ただし、ここを抜けるのが本来の道ではないので一旦戻って通路を進むと、広間内を立体的に通路は登っていき、狭い洞窟を抜けるともう一つの大きな空間の上部に出る。ここから通路をグルグル下っていくと、さっきの池の飛び石の崎先に出るという、凝りに凝った趣向となっている。大きく取った空間内に通路を立体的に配置することが素晴らしい演出効果を生んでいる。この辺はとても文章では表現しきれないので、是非実際に訪れて見て欲しい。最後に地中とは思えない八角堂に仏画が飾ってあるのを見て出口に向かう。コンクリートの通路が突き当たってUターンする形で急な階段に脚を掛ける。階段を見上げるとそこには先ほどのぱっとしない観音像、いや救世観音像様を仰ぎ見る形になっているのだ。地下の世界ですっかり感動したところへ、久しぶりに太陽の光が差したと思ったら観音様に見下ろされるというのは、実に巧みな演出である。この千仏洞地獄峡は単体でもいいが、救世観音像との組合せが本当に素晴らしい。大聖寺大秘殿や岩戸山風天洞と趣向は同じだが、演出の妙で一段上という気がする。これだけのためにしまなみ海道の途中で立ち寄ったり、三原まで来たついでに連絡船で渡ってみる価値はあると思う。
 最後に別館の金剛館に入る。こちらは財力に物を言わせて収集した仏像や美術品の展示室。古い仏像や胎内から出て来た文書などは感心するが、茶道具になるとさっぱり解らない。抹茶をしゃくう耳掻きの親玉みたいなヤツが芸術品だと言われても、ウチにあるヤツが三百年も経てば同じようになる気がする。どうもこの辺は理解の範囲外だ。

 耕三寺は所謂オヤジ系珍スポットの一つに含まれると思うのだが、今一珍になりきれていない。それは、創設者が没して後も寺としてしっかり管理されており、建物の管理や境内の清掃が行き届いているからだろう。途中で資金が尽きたり、遺産相続で揉めたりして管理が行き届かなくなると珍スポット化が進むと思うのだが。もっとも、千仏洞地獄峡だけで珍スポットとしての実力は横綱級だから、普通の観光客も、我々珍スポマニアも充分に楽しませる、瀬戸内の穴場として覚えておきたい。また内海造船で進水式があったら、皇船荘二泊くらいで来てみたいものだ。

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(千仏洞内部。写真では伝わりにくいです。)

Kousanji2
(千仏堂出口の階段から救世観音を見上げる。)



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2014年9月14日 (日)

プラムの国

 群馬県最大の観光名所、プラムの国へ行ってきた。元々は普通のプラム農園で、収穫時期になるとプラム狩りをやっていたのだが、収穫時期以外にも来園者が楽しめるようにと、経営者が敷地内にアトラクションを手作りしていき、段々と独自の世界が出来上がった施設で、様々な遊具や動物ふれあいコーナー、そして今回の目的である恐怖の洞窟があるという。

 国道十七号沿いにある案内看板を頼りに進んでいく。普段は恐怖の洞窟が前面に出されているらしいが、プラム狩りの季節なので穏健な案内表示になっている。駐車場にクルマを止めると大きな案内板がある。非常に大雑把な園内案内図の下に、テレビ取材時の写真が掲げられている。そしてその脇には何やらオブジェのようなものがあり、半透明のドームの中で電球が光っている。
 入口でプラム狩り込みの入場料八百円(プラム狩り時季以外は四百円らしい)を払うと小さなビニール袋と皮むき用の果物ナイフを渡される。そしてプラム狩りの説明を受ける。実際に木の下に行って「赤いのではなく紫色のを取るように」と指示される。とりあえず一個もいで皮をむいて食べてみる。甘酸っぱくてなかなかおいしい。受付小屋の周辺には休憩所のような場所があり、水槽に入った巨大なミドリガメと、小さなケージに入ったウサギなどが居る。それらを眺めた後案内に従って坂を下り、遊具などがある広場に向かうと、どこかから若い女が楽しそうにキャアキャア叫んでいる声が聞こえる。先客が居るようだ。
 坂を下りて広場に着くと、先客のカップルが洞窟から出て来たところのようで、遊具のコーナーで独楽回しなどをして遊んでいる。眺めるとバスケットゴール、バドミントンのコート、シーソー、ぶら下がりシーソー、廃ガードレールの橋(平均台?)、パンチングボール、廃タイヤやガードレールの支柱の上を渡る遊具(かなり危険)、滑り台、ターザンロープなどの施設と、竹馬、リム回し、パターゴルフ、独楽回しなどの遊具が乱雑に置いてある。そして、大きなウサギ小屋があり、沢山のウサギが飼育されている。
 まずはウサギ小屋に入ってみる。ウサギが脱走しないように気をつけながら中に入ると、腹が減っているらしくウサギたちがワラワラと群がってくる。どいつもこいつも薄汚くて可愛くない。すぐに小屋を出ると、次はターザンロープで遊んでみる。これはちゃんとワイヤーロープを張って滑車がついているので、滑らかにスピードが出る。童心に返って楽しかったが、借りた果物ナイフを片手に持っているので、転んだりしたら結構危険だ。あとの遊具は正直どうでもいいので、この施設の核心である恐怖の洞窟に入ってみることにする。全長五十メートルほどの人工洞窟の中に、お化け屋敷的なアトラクションが色々あるようだ。筑波山のガマ洞窟と同様の趣向である。蚊に悩まされながら入口を入る。この手の施設では定番になっている人感センサーにより電動の様々なアトラクションが動く。特にここで感心したのは、他では見られないエアブローを上手に使った仕組みが何箇所かある。蝙蝠のぬいぐるみが天井から糸で吊されている。これだけでは面白くも何ともないのだが、人感センサーでエアブローが起動すると、この蝙蝠に空気が噴射され、不規則に動き回るさまは本当の蝙蝠の動きに近く、大変良く出来ている。その他におどろおどろしい人形が電動で動いたり、足元が突然クッションになっていてびっくりする仕掛けなどもある。なかなか凝っていて面白いが、もう少しメンテナンスをした方がいいなどと思っていると、突然何者かが飛んできて顔をかすめて飛んでいった。びっくりして懐中電灯を点けると、何と本物の蝙蝠が天井からぶら下がっている。これには相当肝を冷やした。最後にカーテンの隙間のような所からマネキンの手が出ていて、「これで洞窟とお別れです、握手をして下さい」と書かれている。何が起こるかと恐る恐る握手をしてみると、何と何も起こらない。最後に強烈なフェイント攻撃なのか、本当は電流仕掛けか何かがあったんだけど壊れているのかは定かではない。
 洞窟を出てプラム園に戻り、お土産用のプラムをもぎ取る。ビニール袋が小さいので五個しか入らない。駐車場に戻ると反対側に自転車周回コースがあり、何台かの自転車が置いてある。しかし、どれもサドルが破れて中のスポンジが覗いており、座ったら間違いなく泡状の水が出て来てズボンが濡れそうである。暫し逡巡していると、何だか駐車場が賑やかになる。見ると女子大生と思しき五六人連れの若い女の子が、ワイワイ言いながらこちらへ歩いてくる。見た感じ大学のテニスサークルの合宿帰りという雰囲気だ。プラムの国の看板や案内板を見て「何これ~」「すっご~い、怪しすぎる~」などと言い合っている。中で威勢のいいのが「こりゃ入ってみるしかないでしょ」と言うと、ぞろぞろプラムの国に入っていった。どんな集団で、どうしてこんな所に迷い込んだのか。近所にリゾート地があるわけでもなく、バス停すら無いところに身軽な格好でぞろぞろ歩いて来たのも不思議だ。周辺に駐めてあるクルマも無い。もしかすると谷川岳の雌狸たちが退屈しのぎに化けてきたのかも知れない。プラム園には犬は居なかったので、園主のオッサンが化かされなかったか心配である。

Kyofu

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2014年9月 8日 (月)

舳倉島

 念願の舳倉島へ上陸することが叶った。高校生の頃、第二次船ブームの最中だった私は、日本地図を眺めて能登半島の先にある小さな島が気になって仕方がなかった。しかし、インターネットも無かった時代、舳倉島に関する情報は余りにも少なく、また能登半島の先は余りにも遠くて実際に足を向ける機会は無かった。乗り鉄をやっていた時に、まだ鉄道が通じていた輪島までは行ったが、当然船には乗らずバスで宇出津へ抜けてしまった。
 昨年の九月に神通川に釣りに行った時、連日の雨で釣りにならず、北陸観光をしようと能登半島へ足を伸ばした。せっかくだから舳倉島に行こうと思いついたのだが、二日続けて荒天のため欠航。一旦行きたくなったら止まらなくなって、十月にも再びチャレンジしたものの、やはり荒天で欠航。三回も輪島港の岸壁に繋留されたままの連絡船ニューへぐらを悔しい思いで眺めてきた。

 今回は天候が良さそうなので期待を込めて九月一日に輪島入り。昨年行ってとてもよかった小料理屋、新駒で前祝い。残念なことに前回泊まって感じがよかった駅前の輪島ステーションホテルは廃業していた。翌二日は絶好の好天。船は予定どおり就航。定刻より若干前倒しの8時55分出帆。コンテナは満載しているが乗客は六名しか居ない。
 ニューへぐらは一九九七年墨田川造船建造の貨客船、一〇二総噸。船尾側にクレーンとコンテナを平積みするスペースが備えられているが、積まれているのは通常の一〇フィートコンテナではなく、一メートル四方ほどでやや縦長の小さなコンテナである。出港時に狭い港内で回頭するのだが、スラスターは装備していないらしく、船首のウインチで沖側に張られたロープを巻き上げている。岸壁側を見ている間に回頭作業が終わってしまい、ロープの先がどうなっていたのかは謎のまま。
 輪島港を出ると海上はべた凪。揺れてくれた方が楽しいのだが贅沢は言っていられない。全航程の丁度真ん中くらいで七ツ島に最接近する。この辺りまで来るとやっと船の進行方向に舳倉島の灯台の先端だけ見えるようになる。輪島の海岸から見ると約二十三キロ先で一番大きい大島の標高が六十一、七メートルの七ツ島はよく見えるが、約五十キロ先で標高十二、四メートルの舳倉島は全く見えない。地球が丸いことを実感させてくれる。
 一時間半の航海を終えて舳倉島港に近づくとあちこちに小舟やブイが浮かんでおり、ピンク色の旗が立っている。この時季は海女による素潜り漁が盛んであるとは知っていたが、こんなに大勢が漁をしているとは思わなかった。後で島内を散策して判るのだが、素潜り漁は島の周り一帯で行われているので、海女の人数は百人くらい居るのではないだろうか。
 ニューへぐらが舳倉島港に接岸し、島に上陸する。船からコンテナを降ろす荷役作業が行われているが、甲板上のクレーンで桟橋に下ろされたコンテナは、フォークリフトで島民のリヤカーに積み込まれる。輪島港で荷役を見ている時、何故こんな小さなコンテナしか使わないのか不思議に思っていたが、島内に自動車が無く運搬手段がリヤカーに限られるから、リヤカー輸送対応の特殊な小型のコンテナを使っているのだ。クルマのない島に上陸したのは初めてかも知れない。ネット情報では島内に自動販売機はなく、船が着くと島民が船内の自動販売機に飲料を買いに来ると書かれていたが、港に一台飲料の自動販売機が置かれていた。

 上陸してからのことは何も決めていなかったが、とりあえず島内を反時計回りに歩いてみる。海沿いの寒村らしい風景が美しいが、残念なことに殆どの家が木造の壁の外側に半透明の波板を貼って補強してしまっている。そして、屋根の上に太い綱がお好み焼きのマヨネーズのように蛇行して置かれている。何かのまじないなのかと思ったら、強風で瓦が飛ばされるのを防ぐためのようだ。集落を過ぎればお社くらいしか見るものは無い。島内の寺社をくまなく巡るが、特に島の北西側では寺社の周りに築かれた要塞のような石積みがすごい。冬の強風を避けるためと、平坦な島を少しでも高く見せるための二つの意味があるそうだ。しかし、案内図にある築山(ケルン)群というのは見当たらなかったし、シラスナ遺跡は看板だけで草むらにしか見えなかった。
 九月上旬の好天で、とにかく日差しが強くて暑い。遊歩道の周りは灌木と草むらばかりで日陰が殆ど無いので、寺社の軒先で休みながら島を一周して二時間。給水塔であるへぐら愛らんどタワーに登り、風通しのいい展望デッキの日陰側に座る。日差しを避けられれば風が心地よい。持参の握り飯とペットボトルの麦茶で昼食にする。島内には民宿が二軒あるが食堂などは無い。日帰り観光の場合、昼食は必携である。

 一通り島内を散策したので港に戻る。帰りの船まで二時間もあるので釣りをすることにする。リュックの中に短くたためるリール竿など釣り道具一式を入れてあるのだ。防波堤の先端、白い灯台の下で釣りの準備をしていると、海女達が次々とボートで帰港してくる。船上の篭にはいっぱいのアワビやサザエが積まれている。民宿に一泊したら夕食に供されるのだろうか。
 糸の先にジグヘッドというオモリ付きの針を結び、芋虫のようなソフトルアーを刺して釣り始める。すぐに魚がワラワラ寄ってくるが、一目瞭然の小フグの群れである。遊びなのでフグでも構わないと思っていたのだが、このフグたち歯が鋭くて、見る見るソフトルアーを食いちぎっていくのだ。これではかなわないと思い場所を移動するのだが、すぐにフグが寄ってきてしまう。そんな事をしていると、突然強い手応えがあり糸が引き込まれる。何かフグ以外のものが掛かったようだ。繋船の下に潜られないようやりとりして何とか釣り上げたのは、二十五センチくらいのワカシ(ブリの子)だった。晩のおかずにぴったりだが、クーラーボックスはおろかビニール袋も持ってきていないので、勿体ないが放流するしかない。もう一度釣れないかと思って同じ場所を探るが、すぐにフグが集まってしまった。

 帰りの船は往きと同じ乗船客もいたが、島で一泊したらしい二十代前半くらいのカップルが一組乗っていて、島民らしい爺さんから「星は見たか、ここで見る星は輪島で見る星よりずっときれいなんだ」と話しかけられている。出港するので甲板に上がって島を見ていると、件のカップルも上がって来て、並んで満足そうな清々しい表情で島を眺めている。若いカップルなのにこんな島に旅行に来るセンスもいいし、こんな何もない島を満足そうに振り返っている様子もいい。若いのにいい旅をしている二人に幸あれと願う。

 念願の舳倉島であったが、天気が良かったせいもあり期待以上に楽しめた。他に行ってみたい島がまだまだ沢山あるので、再訪するとしても少し先になるとは思うが、次回は是非一泊で来て、島で採れたサザエやアワビを食べてみたいと思う。

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舳倉島港で荷役中のニューへぐら

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2014年6月 3日 (火)

北海道珍スポット巡り

北海道珍スポット巡り

北海道天徳大観音 高さ八十八メートル 一九八九年竣工

 札幌交響楽団を聴きに久しぶりに北海道に渡ったのだが、せっかくだから幾つかの珍スポットを回ろうと画策。急行はまなすで札幌に朝六時着。演奏会は午後二時からなので、その間に北の京芦別の跡地にある北海道大観音を観に行く。特急スーパーカムイと富良野線を乗り継いで芦別に着いたのが8時35分。駅前からタクシーで北の京芦別跡へ向かう。
 北の京芦別は一九七〇年に芦別レジャーランドとして開業、一九八八年に北の京芦別と改称、一九八九年に北海道大観音が建立される、北海道では最大級のレジャーランドだった。しかし、二〇〇八年に経営破綻後、所有者が次々に変わって、二〇一三年八月末をもって閉鎖された。まだ閉鎖されて一年経っていないので、珍スポット探訪で良くある惜しいけど間に合わなかったパターンだ。最も今回は閉鎖されていることを承知の上で、跡地探訪のつもりで来ている。
 宿泊施設だったらしい五重塔や三十三間堂を眺めながら大観音に向かう。かつてはこの宿泊施設と大観音の間をモノレール(遊具扱い)で結んでいたらしい。観音の正面入り口は閉ざされているが、比較的新しいラミネート加工された張り紙に「北海道天徳大観音 拝観時間 土・日曜日祭日 10:00~17:00(法要など特別な場合を除く)」と記されている。何と大観音はまだ公開されているようだ。今日は土曜日だから是非参拝したいが、10時37分の汽車で戻らないと札響の演奏会に間に合わない。残念だが仕方ない。不法侵入だが観音の足元まで入り込む。とても美しい姿をした観音像だ。背中に避難用の螺旋階段を背負っているのもイカしている。ぐるっと眺めて大観音を後にする。

 この日は午後二時から札幌コンサートホールで札響の演奏会。その後レトロスペース坂会館を訪ねる。ネット情報によれば営業時間は日祝を除き十一時から十八時半。しかし入ろうとすると「すみません、四時半で終わりなんです。片付けとかありますんで」とにべもない。時刻は四時五十分。今回のお土産は全部坂ビスケットで間に合わせるつもりだったのだが、まだやっている売店でビスケットを買う気にもならず撤収。(レトロスペース坂会館についての説明は省略)

 翌日はレンタカーを借りる。日産のデイズという軽自動車だが、アイドリングストップ機能が付いていて煩わしい。当初はゆったりしたスケジュールを組んでいたのだが、気が変わって強行軍に変更。まず定山渓温泉へ向かい北海道秘宝館跡を見物。一九八〇年の開業以来、残り少なくなった秘宝館の一つとして営業を続けていたが、二〇〇七年頃から不定期営業となり、二〇一〇年に展示物の盗難により閉館されてしまった施設だ。外の御涙観音こそ健在だが、建物は完全に廃墟と化している。入り口は閉鎖されていなくて中には入れそうだ。でも入るのはやめておこう。
 続いて定山渓温泉街を進み、岩戸観音堂へ向かう。ここは私の好きな洞窟系霊場。百二十メートルのトンネルに三十三体の観音像があるという。本堂に入ると向かって右側に洞窟への入り口があるが、扉は閉ざされており「洞窟拝観禁止のお知らせ 洞窟内は、危険な箇所がありますので安全上の理由により当分の間、拝観を禁止します。定山渓観光協会」と張り紙に書かれている。そっと扉を押してみると鍵はかかっていないようだ。ここも残念だが諦めるしかない。
 肩すかしを食らった気分で次の目的地、佛願寺へ向かう。ここには身の丈四十五メートルの釈迦涅槃像が安置されている。この涅槃像は、かつて函館の恵山モンテローザという施設にあったものだが、恵山モンテローザが倒産して廃墟となっていたところをこの佛願寺が引き取って移設したものだ。拝観したい旨申し出ると親切なおばさんが一人付いてくれて、色々説明してくれる。拝観は無料。お礼に二本百円の長い線香を買ってお供えする。涅槃像は金色だがFRP樹脂製。函館からの移送は幾つかに解体して運んだそうだ。オバサンが付いてくれるのは有り難いが、あまりバシャバシャ写真も撮れない。現在は真面目な宗教施設のようなので、丁重に礼を言って辞去する。
 続いて本日のメインイヴェント、真駒内滝野霊園へ向かう。ここは札幌郊外の大型霊園だが、本土では考えられない広さよりも、異国に迷い込んだかのようなモアイ群が有名だ。正門を入るといきなり左側にモアイ群が現れる。モアイは三十体あるらしいが実に壮観である。モアイをじっくり眺めてから、次に大仏やストーンヘンジへ向かう。まずストーンヘンジへ向かうと何やら工事中で重機が入っており、近づくことが出来ない。一部の石を下ろして何かしているのでストーンヘンジ自体の改修なのだろうか。仕方ないので霊園内をぐるっと回る。墓地は全く同じ墓石が完全な等間隔に並んでいる。個性が無くてつまらない気がするが、北海道ならではの合理的な墓地である。続いて大仏を見ようと遠くに見える大仏に向かうが、こちらも工事しているようで、大仏に向かう道が閉鎖されていて近づけない。クルマを降りて歩けば行けそうな気がするが面倒になってしまい断念。
 ここまで回って時刻は十一時前。帰りの汽車の時刻まで6時間あることを確認し、迷わずレンタカーのナビゲーションに芦別駅と入力。どうしても北海道大観音の体内巡りがしたいのだ。

 道央自動車道から国道三十八号を辿って、昨日来たばかりの北海道大観音へ辿り着いたのは十三時前。しかし、正面の門は相変わらずシャッターが閉じられている。あれはまだ営業していた頃の貼り紙だったのか。ガッカリするが、よく見ると貼り紙が変わっており「本日開館14時~15時」とされている。よかった、二時になれば入れるようだ。参拝に1時間かかるとして札幌まで二時間、五時までにクルマを返せば帰りの船には余裕で間に合う。近くの道の駅で名物と看板の出ていたガタタンラーメン(あんかけの乗ったラーメン)を食べ、セブンイレブンでコーヒーを飲んで時間をつぶす。
 二時を待ちかねて参拝へ。拝観料五百円を払ってエレベーターで二十階まで一気に上がる。大観音の胸の部分で、ベランダのような展望台に出ることが出来る。芦別の町全体が見渡せる素晴らしい展望だ。ここから緩い階段を下りながら階毎に祀られた仏像を順に拝観する仕組みである。楽に上れて展望を楽しめる。年寄りならエレベーターで下りてくることも可能だ。かなり楽しい大観音だ。
 帰ってから調べたところ、北の京芦別の内、大観音だけは石川県の宗教法人天徳育成会が所有運営しており、名称も北海道天徳大観音と改称されているようである。大仏大観音マニアの私の評価として、大きさ、姿の美しさ、設備の充実度、いずれも素晴らしく、多くの人に訪れていただきたい大観音だ。現オーナーには是非頑張っていただいて、他に何も無い土地柄、経営は困難とは思うが、是非この遺産を後世に伝えていただきたいものだ。

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2014年3月 2日 (日)

伊豆諸島航路の新造船ラッシュ

 私が大好きな伊豆諸島航路が、今年は俄に新造船ラッシュとなっている。単なる老朽化した船舶の入れ替えに留まらず、運行体系が変わる航路もあるので目が離せない。

 あおがしま丸(伊豆諸島開発 貨客船)

 八丈島~青ヶ島航路では伊豆諸島開発の還住丸(一一九噸、一九九二年横浜ヨット建造)と黒潮丸(四四〇噸、一九八八年日立造船向島マリン建造)が退役し、今年の正月から新造貨客船あおがしま丸(四九九噸、三菱重工下関建造)が就航した。巡航速度一七、五ノット、定員五〇名、コンテナ三十八個積載という仕様で、八丈島~青ヶ島間を日曜以外毎日往復していた還住丸と東京~青ヶ島間を週一往復していた黒潮丸の機能を集約した運行時刻となる。毎週月曜日、土曜日と第一第三水曜日、第二第四火曜日が10時20分八丈島発、毎週金曜日が東京発便で八丈島8時30分発。前の晩に東京を出港するが東京~八丈島間は貨物のみの運行で旅客扱いはしない。運行が曜日固定にならないのは、船員の休暇を日曜日と第一第三火曜日として、隔週で週休二日にするということだろうか。だったら毎週月火土運航にして、完全週休二日すればいいと思うが、欠航無しでも水木は二日続けては船が来ない(東京に行っている)というのに抵抗があるのだろうか。いずれにしても判りにくい運航時刻だ。
 八丈島の入港地が八重根漁港固定だった還住丸の時と違い、底土港を基本とした東海汽船の入港地と同じになるので、乗り継ぎ客には便利になる。出来ることならば運航日を毎週月火土10時20分、金曜8時30分八丈島発にして、木曜夕方の東京発便及び水曜八丈島発便に通し(東京~青ヶ島)で乗船する客のみ東京~八丈島間も乗船可能にしてくれれば有り難い。供食設備などが無いが、事前に注意喚起すれば飲料の自販機だけで大丈夫だろう。東京から乗り込んで、青ヶ島目前まで行って接岸出来ず引き返しなんて、考えただけで痺れてしまう。

 橘丸(東海汽船 貨客船)

 東海汽船では貨客船かめりあ丸(三八三七噸、一九八六年内海造船瀬戸田建造)の代替船として橘丸(五七〇〇噸、三菱重工下関建造)が就航する。これにより基本的な配船は片航路(東京~大島~利島~新島~式根島~神津島)と夏の東京湾納涼船にさるびあ丸(四九九二噸、一九九二年三菱重工下関建造)、三八航路(東京~三宅島~御蔵島~八丈島)に橘丸という配置が基本となるようだ。
 橘丸の就航で画期的なのは、貨客船二隻の速度が揃うことだ。従来の船隊だとさるびあ丸の巡航速度約二〇ノットに対し、かめりあ丸は十七、五ノットとかなり鈍足だった。そのためドック時期や納涼船運航期間に三八航路に配船されるかめりあ丸の為に、運行時刻は余裕を持って組まれていた。それでもかめりあ丸就航時は東京着が二十分繰り下げられていた。橘丸は巡航速度十九ノットなので、ドック時期にさるびあ丸が代走しても同じダイヤが維持出来る。そのために上り便の大島寄港が実現することになった。三八航路の上り大島寄港は、俊足だったすとれちあ丸(一九七八~二〇〇二年)就航時代に夏のみ行っていた時期があった。手元に一九八七年夏の時刻表があるが、大島着15時40分で、大島発16時10分発の稲取経由伊東行き高速船シーホーク2、及び16時20分発の熱海行き高速船シーガルに接続していた。現在はジェットフォイルが就航しているので、当然橘丸から大島乗り換えで東京、熱海行きのジェットフォイルに接続することになるだろう。在来船での大島~東京の約四時間という所要時間は、往きの夜行便では気にならないが帰りでは長い。そこで、片航路も三八航路も大島でジェットフォイルに乗り換えれば東京まで一時間四十五分、熱海までなら四十五分だ。利島、三宅島以遠からの乗客にとっては有り難い改善であるし、熱海に上陸する選択肢が出来ることにより、静岡、神奈川方面へ向かう乗客にとっては大幅な時間短縮及びショートカットになるので、新たな輸送需要を喚起出来る可能性もあると思われる。

 あぜりあ丸の後継船(神新汽船 カーフェリー?)

 下田~利島~新島~式根島~神津島~下田(曜日により逆回り)航路を運航している神新汽船では貨客船あぜりあ丸(四八〇噸、一九八八年三菱重工下関建造)の後継船が十二月頃就航する。まだ正式な発表はされていないようだが、この航路の後継船問題については大きく三つの案があった。

A特急接続案 船足を速くして下田帰着を早くし、下田16時05分発の特急踊り子に接続する案
B大島寄港案 大島寄港を追加し、航路を下田~大島~利島~新島~式根島~神津島~下田(曜日により逆回り)とする案
C大島伊東案 起点港を下田と伊東を交互にして、大島寄港を追加し、航路を伊東~大島~利島~新島~式根島~神津島~下田(曜日により逆回り)とする案

 A案は現ダイヤでも土日祝日は臨時踊り子(17時10分発)に間に合うので、平日のみの効果しかない。C案は欠航すると翌日の便も運航出来ないという大問題が解決出来ない。私は個人的に、船足を十九ノット程度まで上げてB案を採用し、大島でジェットフォイルとの接続をはかればよいと思っていた。しかし聞いたところによると、大島に寄港すると補助航路の条件から外れてしまうそうで、補助金漬け体質の神新汽船には無理な話である。
 そして最近になって耳にした情報によれば、航路自体は従来通りだが、新造船は大型化して快適性を高め、RORO船(ロール・オン・ロール・オフ、車輌がランプウェイを自走して荷役が出来る構造の船)とするようだ。従来のあぜりあ丸は昔ながらの貨客船で荷役はデリック(クレーン)のみ。スラスターやスタビライザーなどの小賢しい機能が無いのが魅力だったが、今度は一気に伊豆諸島航路初のカーフェリー就航ということになるようだ。とは言え、伊豆諸島の港湾事情は外洋に突き出した桟橋に接岸する島ばかりだから、通常のカーフェリーとは事情が違う。従来の貨客船同様、船首側に船倉とクレーン(デリック)を装備し、波のある時はクレーンでコンテナを積み卸しし、凪の時は船尾のランプウェイからフォークリフトが直接出入りしてコンテナを積み卸しする形のようだ。つまり、相変わらず荷役の中心はコンテナだが、状況が良ければROROで荷役が出来、車輌航送も可能な貨客船ということになる。ここまで書けば船オタならピンと来るはず。そう、トカラ列島航路に就航しているフェリーとしまとそっくりな船になりそうなのである。
 正直なところカーフェリー化と聞いた当初は、あんな狭い島にカーフェリーを入れることはないと考えたが、観光客の車輌航送よりは荷役の効率化が主目的であるようなので、これはやってみる価値があると思う。これが上手く行くようならば、もう数年先には考えなければいけないさるびあ丸の後継船もこのタイプの船になることだってあり得ると思う。蓋を開けてみたら、RORO方式で荷役作業が大幅に効率化されるのか、はたまた現実には殆どRORO方式は使えずランプウェイは無用の長物になるのか。実際の運用が楽しみな下田航路である。

 ジェットフォイルの入替

 東海汽船では二〇〇三年からジェットフォイルの運用を始めている。ジェットフォイルとはボーイング社が開発した水中翼船で、本家ボーイング社が一九七四~一九八五年に二十八隻、ライセンスを受け継いだ川崎重工が一九八八~一九九四年に十五隻、合計四十三隻が製造された。東海汽船が当初購入したのは次の三隻である。

・セブンアイランド愛(ボーイング十七番艇、一九八〇年製)
・セブンアイランド夢(ボーイング十九番艇、一九八一年製)
・セブンアイランド虹(ボーイング二十番艇、一九八一年製)

 いずれも購入時船齢二十年以上で、東海汽船は自社に整備部門を設けたが、故障の多さに泣かされている。また、二〇〇七年五月十九日にはセブンアイランド愛が波に突っ込み、一階前面の窓が割れて浸水するという大きな事故を起こし、三隻とも一階席前面の窓を鉄板で塞ぐ改造を施されたりした。機関故障も多く、数年前には動けなくなったジェットフォイルの代わりに下田のあぜりあ丸が熱海~大島航路の応援に就いた事などもあった。それに懲りたのか、東海汽船は二〇一三年四月にジェットフォイルをもう一隻購入して四隻態勢となった。

・セブンアイランド友(川崎重工二番艇、一九八九年製)

 最初の三隻よりは八~九年新しい(とは言っても購入時点で船齢二十四年)の船体である。これで繁忙期は四隻態勢で余裕を持った運航、通常期間は三隻態勢プラス予備船で、故障等に対応出来るようになった。十年目にしてようやくという感じだ。
 ところが、更にもう一隻ジェットフォイルを購入することが、二月十三日付で発表された。福岡~釜山航路を運航するJR九州高速船から一隻譲受して、二〇一五年二月に就航させるというのだ。古い三隻のうち、余程調子の悪い船体があるということだろうか。JR九州高速船は現在四隻のジェットフォイルを所有しており、全て川崎重工製で三、五、八、十四番艇(一九八九~一九九四製)である。福岡~釜山航路のダイヤを見ると、繁忙期でも日本側三隻、韓国側二隻の五隻で、通常期は日本側二隻、韓国側一隻の三隻態勢なので四隻所有する必要は無いということだろう。JR九州高速船が一隻余っており、東海汽船側が状態のいいものを一隻欲しいという利害関係が一致したのだからめでたいことだ。しかし、間違いなく言えるのは、福岡からやってくるのは四隻の内で一番状態の悪い船体であり、船齢二十年以上であるということだ。ジェットフォイルが一九九五年以来製造されない理由は知らないが、新造されない以上はジェットフォイル以降の航路展開についてそろそろ考えなければならないだろう。当面はジェットフォイル四隻体制で推移するものと思われるが、ジェットフォイルの命脈が尽きた時どうするのか。真剣に考えないと、意外に早くその時はやってくるような気がする。

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2014年1月12日 (日)

関ヶ原ウォーランド

 浅野祥雲作品を巡る旅は、いよいよ最大の聖地、関ヶ原ウォーランドへ向かうことになった。午前中岩戸山風天洞を見てから関ヶ原に向かう。十二月二十八日土曜日、年末年始九連休の初日で天候は雪である。悪い予想通り名神高速は帰省ラッシュと関ヶ原の雪で大渋滞。関ヶ原インターチェンジから一般道に出ても大渋滞である。
 やっと辿り着いたウォーランドは、職員が駐車場の除雪をしていて、積雪は十五センチほど。それでも営業はしているようなので入場料三百円を払って中に入る。主な通路は一度除雪をしたようで雪が浅いが、Gパンにスニーカーの足元ではどうにもならない。一通り園内を回るが、せっかくの浅野作品群もすっかり雪を被ってしまい、何だかよく判らない。雪の無い時に見たことがあれば、この雪景色も比較して楽しめるのであろうが、初めてではどうにもならない。
 仕方ないので屋内の資料館をじっくり見て回る。残念だが私が興味があるのは浅野祥雲のコンクリート塑像である。関ヶ原の合戦は、最後に小早川とかいうやつが裏切ったくらいの知識しかない。戦国時代の甲冑などにも興味はなく、関ヶ原で発掘された鉄兜などに若干考古学的な興味がある程度である。そもそも関ヶ原の合戦に興味があるのなら、ここではなく関ヶ原町歴史民俗資料館の方に行くであろう。
 浅野祥雲作品巡りは残すところ小規模な所ばかりになってしまったが、それらとウォーランドの再訪を兼ねて、雪の無い季節に再び来てみようと思う。

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武将も生首も雪が積もる

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2014年1月11日 (土)

岩戸山風天洞

 以前に蒲郡市の大聖寺大秘殿を訪れて、人工洞窟の十界巡りに感動した。その大聖寺大秘殿と同じ住職が経営している岩戸山風天洞を訪れてみた。豊田市街から国道一五三号と県道三四四号を辿った大蔵町という所にあるが、近づくと電柱や角角に案内板が出ているので解りやすい。
 駐車場にクルマを駐めて大きなモニュメントがある参道を登る。入口は派手だが、道沿いに色々な看板や仏像があることを除けば軽い山登りの雰囲気だ。二百メートルほど登ると道が広くなり、左側に十二支の守り神の祠が並ぶ。この辺りから能天気な歌(音頭?)が聞こえ始め、それぞれの祠の前に立つと人感センサーで中の照明が点くようになっている。この先境内のあらゆる箇所で、この人感センサーで電動式の何かが作動する仕組みが無数に仕掛けられている。個人的な印象だが、省電力のためというよりは参詣者を驚かす演出のために仕掛けられている印象で、大変にいい味を出していると思う。
 洞窟の入り口で千円の拝観料を払いいよいよ洞窟に入る。大秘殿の十界巡りは人工洞窟とは言うものの、見るからに建物の地下室を迷路状に仕切って、内装屋さんが腕をふるって洞窟風に仕上げましたという雰囲気だったが、こちらは造園業者が重機を駆使して大きな岩を組み合わせて造った洞窟だ。壁面がコンクリートではない部分が多いので、自然洞窟に近い雰囲気で、鍾乳洞に近いものがある。洞内は曲がりくねっている上にアップダウンもある。各所に仏像などが配置されており、全長は五百メートルにも及ぶという。洞内の白眉は風天神で、太い柱の前面に阿修羅の面が配され、その奥に風天神像があり、そこから急な階段を上るという趣向である。最後の出口の扉がいかにもプレハブ小屋のようなアルミの扉なのはご愛敬であろう。
 洞窟を出て順路を進むと大楽乗仏殿という建物に入る。四角い建物内に通路が蛇行するように仕切られており、通路の両側には無数の聖徳太子像が並べられ、仕切りの壁面には歴代天皇の肖像画が並べられている。大秘殿では歴代総理大臣だったが、ここでは歴代天皇だ。それならばきっとと思って探すと、やはりあった。顔だけ描かれて背景が真っ白なままの肖像画。大秘殿もここも何故か肖像画は完成していないのだ。どういう事情なのか判らないが、並びの最後が昭和天皇で、今上天皇だけ明らかに後から付け足した位置に掲げられているので、途中で肖像画家が死んでしまったわけでもなさそうだ。そして、大楽乗仏殿の出口には何故か横綱千代の富士の肖像画と優勝額、そしてロッキード事件でお馴染みの全日空若狭得治社長らしき肖像画、そして一日一善の笹川良一が母を背負って讃岐の金比羅様詣りをする有名な絵が掲げられている。もうこうなってくると何が何だか判らない。
 更に先に進むと楊柳観音がある。別名寝拝み観音といわれ、洞窟状になっている天井の部分に観音像が描かれており、ベンチのような寝台に仰向けに寝て拝むというものだ。天橋立の股覗きではないが、妙な姿勢で拝むという発想がすばらしい。さらに、この平らな天井に見える岩を少し離れて見ると、十メートル立方もありそうな巨大な自然岩なのである。どう見ても自然に出来た配置ではなく人工的に作ったものだ。よくぞこんな山中で、大がかりな工事をしたものである。
 これで大体見るところは終わり。休憩所や土産物コーナー、研修室のような部屋のある建物があり、その前には小型の重機が置かれている。その先に更に裏山に続く道があるので進んでみる。道の両側には相変わらず仏像などが並んでいるが、そのうちに古い墓石などが並び出す。沢山の墓石が積み木のように積んであったりするのだが、どう見ても何処かの寺で墓地の整理をした時に、廃棄する無縁の墓石をもらってきてとりあえず置いた感じである。そしてその先は山の斜面に道路を造成する工事中になっている。重機があったのはこの為か。残念ながら道路開鑿工事は中止されている雰囲気だが、更に道を造って色々なものを並べて欲しいものだ。
 踵を返して帰路を進むと下り坂の途中に小さな祠があり、戦艦陸奥の遺材が祀られており、その両脇を東郷元帥と乃木大将のの像が固めている。これも大秘殿で見たなあと思っていると、その先には大聖寺という建物がある。
 大聖寺大秘殿と岩戸山風天洞、同じ住職が造った姉妹寺の人工洞窟だ。どちらも見応え満点だが、規模と仕掛けの大きさで風天洞の方がより面白いと思う。両方行くのであれば大秘殿を先に見て風天洞に行くのがいいだろう。

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風天神

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2014年1月10日 (金)

五色園

 日進市にある五色園は、大安寺の管主であった森夢幻により一九三五(昭和九)年に設立された広大な宗教公園だ。五色とは園内に植えられた松竹梅に桜と紅葉の彩りを楽しめる故の命名で、現在でも桜の名所として知られているようだ(通常は入園無料だが、花見時季は有料)。しかし、本来の目的は仏教の視聴覚伝導であり、園内各所に親鸞聖人の故事を表現したジオラマが配されている。ここまで書けばもうお判りと思うが、そのジオラマ群が浅野祥雲作のコンクリート塑像で構成されているのである。

 ウェブサイトによれば園内のジオラマは二十の場面があるようで、結構広いので歩いて回るのは大変だ。幸い園内には広い車道とあちこちに駐車スペースが整備されているので、クルマでちょっと移動して、幾つか見たらまたクルマで移動というのがくたびれなくていいと思う。なかなか見応えのある場面が多く彩色もきれいなので、浅野作品の魅力が十分に堪能出来る。躍動的なポーズにも感心するが、私が一番心を奪われたのは「桜ヶ池大蛇入定の由来」という場面。実際に池の畔に置かれているのだが、この大蛇(と解説されているが実際の姿は龍)の姿が素晴らしい。水面に背中を出し首をもたげている姿は、実に生き生きとしており、次に雨が降ったら昇天しそうな勢いである。
 なお、この五色園のコンクリート像群は極彩色の塗装が大変きれいに保たれており、浅野作品が大変良好な状態で鑑賞出来る。これは浅野祥雲作品再生プロジェクトというグループが、手弁当で桃太郎神社と五色園の像の修復保全作業を行っているおかげのようだ。浅野作品を愛する人たちの行動に心から敬意を表したいと思う。

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桜ヶ池大蛇入定の由来

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2014年1月 9日 (木)

桃厳寺大仏

 名古屋市千種区の名古屋大学の北に桃厳寺(とうがんじ)という寺があり、本堂の墓地の間の一段低い場所にコンクリート製高さ十メートルの大仏が鎮座している。名古屋の街中とは思えない、広くて静かな境内を歩いて大仏と対峙する。一九八七年建立とかなり新しい大仏だが、新しいだけに状態は良く、全身が鮮やかな緑色に塗られているのが珍しい。庄川大仏が同じくコンクリート製で緑色だが、こちらの方が遥かに鮮やかな色で、唇や目、白毫は金色に塗られている。そして面白いのは台座に八頭の象が大仏を守るように配されている。こちらも真緑の象達である。
 本堂の脇に入り口があり、軒に吊された鐘を叩いて住職を呼ぶ。弁財殿の拝観料千円を払う。本堂には直径一メートルはあろうかという巨大な木魚があり、その先の弁財殿には秘仏裸弁天が安置されており、その奥には多数の木彫り男根が並べたれた一角もある。更に屋上に上がると仏塔があり、木々の上に顔を出した大仏を眺めることも出来る。周囲には大きなビルが林立しているので、ここだけが異空間であることを確認出来る。
 また、廊下の壁の至る所にいろいろなパネルが展示されており、大仏の建造過程の記録などの他に、来訪した有名人の色紙や記念写真が貼られている。売れない噺家や漫才師の色紙が多いが、一部大物芸人のものも含まれている。聞いたことのないヨガの権威の写真などはどう反応していいのか判らないが、田原俊彦がザ・ベストテンで、この寺から生中継をしたという、限りなくどうでもいい知識を得る事が出来る。
 正直なところ、オレちゃん博物館としてはそれほどの規模でもなく、目玉は巨大木魚とくらい。不確かな情報では、年に数日の開帳の日には裸弁天の衣が脱がされるらしいが、正直どうでもいい。なので、千円の拝観料は高く感じるが、拝観記念に金色の小さな男根の入ったお守りが貰える。首席の馬鹿話のネタには使えそうなので、それを含めて千円ならまあまあだろうか。
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