2016年6月 5日 (日)

柳澤健「1974年のサマークリスマス 林美雄とパックインミュージックの時代」

柳澤健「1974年のサマークリスマス 林美雄とパックインミュージックの時代」(集英社)

初出「小説すばる」(二〇一三年八月号~二〇一四年十一月号)

 連載が始まったとき、久米宏がラジオで話しているのを聞いてすごく読みたいと思ったドキュメンタリー。連載が終わって一年経っても単行本にならないので半ば諦めていたのだが、単行本になったので即買い。

 本書ではTBSアナウンサー林美雄の、主に第一期のパックインミュージック(一九七〇年五月~一九七四年八月)とその後のあたりのエピソードを中心にまとまられている。二〇一三年末に「林美雄 空白の3分16秒」というTBSラジオの特別番組になった第二期パック(一九七七年十月~一九八〇年三月)のことや、それ以降のことは殆ど取り上げられていない。
 残念なことに、一九七〇年生まれの私にとって、林美雄は若者の支持を集める深夜放送のカリスマではなく、TBSアナウンス部の管理職。ラジオでは午後のワイド番組と、タイサン(太平洋産業)の「いか塩辛金印」のコマーシャルの人という印象だ。
 私は物心ついたときからラジオが流れている家庭で育ったのだが、最初に積極的に聴くようになった番組は「春風亭小朝の夜はともだち」(一九七九~八一年)。「一慶・美雄の夜はともだち」(一九七六~七七年)より少し後だ。第二期パックもまだ小学生だったのでさすがに聴いていなかった。それよりも、一九八〇年代の後半以降何をやってもダメだったTBSラジオの午後帯の中での二年間が印象に残っている。
 一九八五年の大改革「スーパーワイドぴぃぷる」の轟沈以降、TBSラジオの午後帯は迷走を続ける。その中で一九九三年十月に「林美雄アフタヌーン~オーレ!チンタラ歌謡族」が始まった。午前は大沢悠里、昼休みは小島一慶、午後は林美雄という、TBSのオジサンアナウンサー三人の並びは結構気に入っていて、大学生だった私は毎日楽しみに聴いていた。一年後に番組名が「ダントツ林の午後はどーんとマインド!」に変わるなどTBSの迷走は続き、たった二年で林美雄は降板。一九九五年からは「ゆうゆうワイド」が十二時台まで一時間延長し、十三時からは「北野誠の大胆!ヒルマーノ」が始まる。最初の内は習慣で聴き続けていたが、関西風の雰囲気に付いていけず、ラジオのチャンネルを変える習慣が無かった私が、遂に十三時からは文化放送の「吉田照美のやる気MANMAN」を聴くようになってしまった。
 ここからTBSラジオ同様に私も迷走を始める。しばらくは「やるMAN」を聴いていたのだが、一九九七年十月からはニッポン放送の「のってけテリー!渚の青春花吹雪」を聴くようになる。これは単純に大学の同じクラスだった川野良子アナ(現フジテレビ)がアシスタントを担当するようになったからで、川野アナが降板した一九九八年四月からはまた「やるMAN」に戻る。そして二〇〇一年頃からは、最初「FMかよ!」と思いつつ聴いていた松本ともこの「ストリーム」に戻って、今日まで再びチャンネルを変えないラジオ生活に落ち着いている。
 午後ワイドをやっていた時代の林美雄は、学生だった私にとっては大人のアナウンサーだったが、時々垣間見えるアナーキーな部分にかつての名残を感じられたような気がする。

 さて、そのTBSラジオだが、今春の大改変を越えて毎日ラジオが楽しみで仕方ない。大沢悠里は大好きだが、七十代半ばの爺さんに毎日四時間半は無理だろう。近年は聴くに堪えなかった。しかし土曜二時間ならばまだまだ行けるはずだ。朝の伊集院は期待通り白伊集院だが、月曜アシスタントの安田美佳が逸材だった。また午前のスーは随分おとなしめの白スーで、夜の番組みたいにもう少し弾けてもらいたい気もするが、その後にとてつもない暴走オバサンが控えているから今くらいでいいと思う。当面この、伊集院~スー~赤江ラインで安心して楽しめそうなTBSラジオである。

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2012年12月19日 (水)

圓朝全集

円朝全集(全十三巻・別巻二) 岩波書店

 岩波書店から圓朝全集が刊行されるという新聞広告を見て狂喜した。私が生きている間に、まさかそんなことがあるとは思っていなかったので即決で注文した。注文しておいてから改めて内容を見てみたが、これが大変に素晴らしいのだ。

 圓朝全集は過去二回編纂されて、三回出版されている。

春陽堂版(一九二六~全十三巻、後に世界文庫一九六三年~)
角川書店版(一九七五年~全七巻)

 どちらも現物を見たことはないが、春陽堂版は旧字旧仮名、昭和の名人達が読んだのはこちらだ。角川書店版は新字新仮名だろう。春陽堂版は後に世界文庫に納めらた。私が圓朝に興味を持った学生時代には、古本屋で見つけた「牡丹灯籠」と「真景累ヶ淵」が面白くて何度も読み返し、是非他の作品も読んでみたいと思ったのだが、全集の古本は滅多に出回らない上に貧乏学生に手が出せる値段ではなかった。
 その後、赤塚の松月院(怪談乳房榎の舞台)を訪ねた時、地元の顕彰会が出版していた私家版の乳房榎(後にちくま文庫に所収)を手に入れたりしたが、まとまった形で圓朝ものに触れることはなかなか出来ずにいた。
 近年になって青空文庫(インターネット上の電子図書館)で世界文庫版を底本としたデータが続々と閲覧可能になってきた。更に、以前このブログにも書いたが、国立国会図書館の近代デジタルライブラリーで初版本のスキャン画像が閲覧できるようになった。新字新仮名でスマートフォンでも読める青空文庫と、旧字旧仮名総ルビ句読点無しの初版が両方閲覧できるという、以前に比べれば十分満足できる環境と言える。しかし、私のような過去の遺物的人間は、どうしても文学作品は印刷された本の状態で読みたいという欲求を抑えきれない。仕方なく幾つかの作品を青空文庫からテキストデータでダウンロードし、ワープロソフトで縦書き印刷にして読んでみたりした。テキストデータをそのまま印刷するのではなく、フリーソフトやウェブのサービスを利用して仮名遣いを旧仮名に、漢字も旧漢字に変換(概ね一括出来るが、弁を辨、辯、瓣に戻すのなどは手動)したり、青空文庫では括弧書きになっているルビをワープロソフトで振り直したりという加工を加えたりするので結構な手間がかかる。それはそれで面白いので構わないのだが。

 今回の岩波書店版「円朝全集」は、ウェブサイトに内容見本が掲載されているが、嬉しいことに初版の挿絵入りで、何と旧仮名遣いである。流石に総ルビではないが、ほぼ初版並にルビが振ってあり、かなりオリジナルに近い作りとなっている。漢字が新漢字なのは仕方がないが、さすがは硬派の岩波書店。中途半端に圓朝などと表記せず、全て円朝で統一している所は方針がはっきりしていて良い。旧漢字を中途半端に使うと六代目三遊亭円樂みたいな噴飯ものの表記になるので、岩波書店(編集者?)の見識に敬意を表したい。

 既に第一回配本(第一巻、怪談牡丹燈籠、塩原多助一代記、鏡ケ池操松影)は刊行済みで、早速届くのが楽しみである。別巻含め十五巻、第一巻が八八二〇円なので、全巻揃いで約十三万円強くらいだろう。バラ売りはないので安い買い物ではないが、落語好き、圓朝好きだったらこの機会を逃す手はない。即決で購入である。
 なお、岩波書店のウェブサイトには内容見本として、塩原多助一代記から有名な青の別れの部分が掲載されている。ほんの二十ページほどだが、これをプリントアウトして読んだだけでもわくわくしてしまう。毎月一冊届く度にゆっくり読めるというのは何という楽しみだろう。これを読み終わる再来年の春頃までは頑張って生きようという気持ちになる。

(岩波書店のサイト)
http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/092741+/index.html

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2011年12月 2日 (金)

熱海土産温泉利書

三遊亭圓朝「熱海土産温泉利書」(一八八九(明二二)金泉堂)

 国立国会図書館の近代デジタルライブラリーで発見した初版本のスキャンデータで読んでみた。後に春陽堂~世界文庫~角川書店と版を重ねる、鈴木行三校訂編纂による圓朝全集にも所収されているので、そちらの方が読み易いだろうが、生憎青空文庫に未所収なので初版で読む。旧仮名旧漢字、総ルビ、句読点改行無し、変体仮名ありでなかなか手強く、二日かかって読破した。
 旧字旧仮名だけならば慣れているから驚きはしないが、句読点無しは大変だ。更に、口演の速記なので、文章が長くて、読んでいる内に主語が判らなく成ってしまう。更に、変体仮名や崩し字が多く、平仮名の「に」「な」「え」、漢字の「申」「御」などは最初は読めなかった。しかし、読んでいる内には慣れてしまうもので、後半になってくると殆ど違和感なく読めるようになった。

 物語は、奉公先の次男といい仲になった武士の娘が、惚れた男のために吉原に身を売ったり、男を殺した敵夫婦を斬り殺したりするのだが、実はその男は金に困っても殺されても居なかったという話。大圓朝の作らしく、ストーリーの展開が早く飽きさせない上に、真景累ヶ淵みたいに筋が複雑すぎないのでとても面白い。また、いかにも高座の速記らしく、端々にくすぐりが効いていて、圓朝の口演を聞いたらさぞかし引き込まれる事であろう。また、話の舞台が小田原、三島、八王子、吉原、根岸、熱海で展開されて、わりと身近な地域だったのも親近感が沸く。

 実際の文章をテキストデータにしてみるとこんな感じになる。

熱海土産温泉利書
                三遊亭圓朝口演
                酒 井昇造速記
   第   一   席

さて此度のお話ハ物事の聞違ひ見違ひ想ひ違ひの間違ひだらけのお話で物ハ間違ひませんとお話にハ成りませんもので先達て茅場町の待合茶屋香川で筆記の節奥二階から下を見下すと丁度草津亭の後ろに大した立派な新築で料理茶屋だらうかと思ひますると此家が官員さまのお宅でござい升と云ふやうに見違へる事が有ります此間も圓朝が少々用事が有て左團治丈の處へ参りまして普請の出來た事を知りませんからズイと家へ這入りに掛ると石門で御坐いまして瓦燈口に成て左右へ開きが有りますからお醫者の家かと心得てお隣の格子作の宅をガラ/″\と開けて「エー左團治さんのお宅ハ御當家さまですかと云ふと取次に出た女中が「イヽエお隣で御坐い升と云た其お宅がお醫者さまでしたが然う間違ひます事があり升から何んでも間違たのについて却ツてお話に成るもので御坐い升物事が皆な間違ひ聞違ひ想ひ違ひを致しまして人を誤殺たり或ハ自分で身を捨てるやうな事が出來ます是ハ發端で御坐い升處は相州小田原にてお高ハ拾一萬三千○二十九石余と云ふ十露盤の勘定見たやうなお扶祿で大久保加賀守さまと申まして大したお家柄で御坐い升其お家へ極下役でお口番を勤めて居りました溝口三右衛門と云ふ仁が御坐いましたが・・・

 句読点がないというのは非常に読み難いと云うことがお判りいただけるかと思う。折角なので、同じ部分の実際の画像もご覧いただこう。

Atami

 いかがだろうか。一見難しそうだが、実際には大して難しくない。こんな面白い物が、無料で閲覧、ダウンロードできるとは、税金を納めた甲斐があったと思う。

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2011年10月 7日 (金)

近代デジタルライブラリー

 携帯電話をスマートフォンにしたので、青空文庫のビューアーをインストールして三遊亭円朝の速記や海野十三のSFを読んでいる。先日も「札所の霊験」を読んでいたら、永禅和尚とお梅が高岡から逃げる道行き(円生の口演より後の部分)が、「高岡の宗慈寺(総持寺)~いすの宮(伊豆の宮)~大沓川(神通川)川上の渡し~笹津~のり原(楡原)~いぼり谷(庵谷)~片掛~湯の谷(猪谷)~小豆沢(加賀沢)~杉原~靱(打保)~三河原(三川原)」(括弧内は実際の地名)と記されており、何度も釣りに行っている神通川上流部から、私の遠い先祖の出所である杉原を通る事が判った。今でさえ谷の深い険しい道のりなのに、円朝が口演した明治半ばでは、どれほど困難な道のりだったのだろうかと想像が拡がった。
 ところが、近年では柳家喬太郎が高座に掛けているという「熱海土産温泉利書(あたみみやげいでゆのききがき)」が、まだ青空文庫でテキスト化されていないようだ。この噺は舞台が八王子と熱海を中心となるらしく、土地勘もあるので是非是非読んでみたいのだ。
 そこで、ネットで拾えないかと検索してみたところ、国立国会図書館の近代デジタルライブラリーで発見した。この、近代デジタルライブラリーというのは著作権の切れた書物をデジタルスキャンした画像を閲覧出来るサービスだ。なので、ここにある熱海土産温泉利書は明治二十二年に日本橋の金泉堂から発行された初版(恐らく)のスキャン画像である。ということは、私が常々この状態で読んでみたいと思っていた、旧字旧仮名総ルビ、句読点改行無し、更には変体仮名使用という、読み難いこと甚だしい代物である。しかし、明治の文学をリアルに楽しむには原文に近い方がいい。最上の状態である。
 有難いことにこのサービスでは、十頁毎に印刷かダウンロード(PDF形式)が出来る。早速全頁印刷してみた。画像が本の見開きで一枚なので、横長でファイルすることになるのがちょっと扱いづらいが、贅沢は言ってられない。慌てずにじっくり読んで、読み終わったら足跡を辿って熱海にでも行ってみたいと思う。

 この近代デジタルライブラリーでは現在二十四万冊の書籍が閲覧出来る。他の円朝作品のみならず、明治の文学、地図、楽譜に至るまで、様々な文書があるので、楽しみは尽きないと思う。一度は行ってみたいと思っていた国立国会図書館だが、このような形で気軽に利用出来るというのは本当に有難い。古いことを調べたりするのが楽しくなりそうだ。

近代デジタルライブラリー http://kindai.da.ndl.go.jp/

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2011年8月 2日 (火)

前島良雄「マーラー 輝かしい日々と断ち切られた未来」(アルファベータ二〇一一)

 新聞の広告を見て購入。価格を見てかなり躊躇したが、この手の本は文庫になったりはしないだろうと思い決断。三千円に近い本を買ったのは久しぶりだ。

 マーラに関する書籍やレコードの解説を読むと、マーラーの人物像がある一定のイメージで固まってくる。天才作曲家、指揮者でありながら協調出来ない性格が故に周囲とは常にトラブルを起こし、やっと手に入れたポストも周囲との軋轢で追われ、曲も理解されることがなかった。兄弟を早く亡くしたせいで常に死の恐怖に付きまとわれ、特に晩年は心臓疾患の悪化により、作品には濃い死の影が感じられる。生前は理解されることの無かった孤高の天才で、いずれ自分が評価されることを予言して死んでいった。簡単に書けばこんな調子である。私も中学生の頃から孤高の天才マーラーという人物像を疑うことなく信じてきた。
 しかし、筆者はそのようなイメージを払拭し、マーラーの実像に迫る。諸悪の根源は妻アルマ・マーラーの回想手記(未読)であり、その記述を無批判に様々な文章が引いたため、アルマの作ったマーラー像が一人歩きをしたのだ。有名人の未亡人というものは、その未亡人期間が長くなるほど亡夫の記憶を自分に都合良く取捨選択(時に捏造)する傾向があるようで、アルマの手記は、自分を孤高の天才を健気に支えた妻という位置に置きたいが為に、事実を歪曲し、エピソードを捏造している部分が多く見受けられるようだ。
 この本を読み終わると、当時作曲家としても指揮者としても第一人者で、楽壇の頂点に君臨したマーラーという正しい姿が見えてくる。指揮者としては三十代からヴィーン宮廷歌劇場の総監督、ヴィーン・フィル常任指揮者、メトロポリタン歌劇場指揮者、ニューヨーク・フィル常任指揮者という輝かしいポストを歴任た他、各地から客演の要請も多く、ヴィーン宮廷歌劇場では他に客演ばかりしているという批判が高まって辞任の要因になった。作曲家としては、自作曲はあちこちで演奏され、他の指揮者にも何度も取り上げられている。客演したオケでは、次回は自作の演奏をという要望が多かった。しかし、晩年まで多忙な演奏活動を積極的にこなしていたが、感染性の病に冒されて本人も予期しない死を迎える。確かに齢五十にして、欧米の最高のオペラハウスとオケのシェフを務め、作曲家としても売れっ子だったマーラーに、孤高の人というイメージはそぐわない。我々は初めてマーラーの実像を知らされたような気がする。
 大変よく調べてあり、マーラーが好きな人にとっては目から鱗が落ちるような一冊だ。この手の評伝では、翻訳の下手さに呆れることが結構あるので、最初から日本語で書かれているのは有難い。それにしても、主に書簡などが資料となる本書の執筆を、外国人である日本人の著者が書いたということは、語学が苦手な私のような人間にとっては信じられない偉業だ。著者への経緯を込めて、マーラーが好きだったら税込み二七五〇円は全然高くないと思う。

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2010年2月26日 (金)

ミーシャ・アスター「第三帝国のオーケストラ」(早川書房二〇〇九)

Misha Aster "Das Reichsorchester"
訳/松永美穂、佐藤英

 ナチス政権下でのベルリン・フィルハーモニー管絃楽団(以下BPO)の活動を、ナチスとの関係を中心に描くドキュメンタリー。

 古いフルトヴェングラーの評伝などを読むと、フルトヴェングラーがナチスと対峙し、BPOやユダヤ人音楽家を擁護したという判りやすい書き方がされる。一九三四年のヒンデミット事件で一切の公職を辞したフルトヴェングラーであったが、ナチスに巧みに操られドイツに留まったため、戦後非ナチ化裁判で無罪となっても、ナチの指揮者という謂われ無き非難を浴びたという史観だ。しかしながら本書を読むと、ことはそんなに簡単ではなかったようだ。
 フルトヴェングラーは翌一九三五年からBPOの指揮台に復帰する。この時、音楽監督や常任指揮者というポストには復帰しなかったが、ほぼ実権を握る特別待遇は手にしている。早い話が、民主党が政権を取って調子づいていた時の小沢一郎のように、政府の肩書きは無いが実権は掌握したのだ。ナチスとフルトヴェングラーの関係は、お互いに相手を巧く利用しようとして微妙な駆け引きをしていたように感じる。
 大人になってからは薄々感じていたのだが、従来語られてきた人物像よりも、フルトヴェングラーという人は相当嫌な奴という感じがする。ナチスを利用して相当美味しい思いをしていたのに、表面上はドイツ音楽の守護者のふりをして、ナチスに迎合したドイツ音楽至上主義プログラムをBPOに課していたとも判断出来る。ただ、フルトヴェングラーは相当嫌な奴だが、カラヤンは更に嫌な奴だ。どちらも金と権力の亡者と感じるが、紡ぎ出す音楽の真実味において、カラヤンは表面的な俗物、フルトヴェングラーは精神性を備えた俗物だと思う。
 残念ながら本書には、一九三六年にニューヨーク・フィルがフルトヴェングラーに音楽監督就任を要請したのを、休暇中だったフルトヴェングラーが知らない(?)内にゲッペルスが国立歌劇場音楽監督就任の報道をして潰した事件には一切触れられていない。この時代のフルトヴェングラーとナチスの関係を語る上で絶対外せない事件なのに、全く触れられないのは理解に苦しむ。また、近年になって知られるようになった、一九三七年のBPO日本楽旅計画にも全く触れられてはいない。
 翻訳者は頑張ったのだろうが、この手の本で常に問題になる「音楽に詳しい人に翻訳して欲しい」という一般的な望みは叶えられていない。一九三七年に日本の作曲家で指揮者の「山田一男」がBPOを指揮したなどという初歩的な誤りは、たとえ翻訳者が知らなくとも、編集者、出版社の誰かが気づかなければいけない。
 全体の感想としては、ナチス時代のBPOの通史としてではなく、エピソードの拾遺として読むべき内容だと思った。

 せっかく戦中のBPOの事を読んだので、フルトヴェングラーが戦中最後にBPOを指揮したブラームスの交響曲第一番の第四楽章を聴いてみた。演奏会は前半のモーツァルトの途中で空襲による停電で中断。電力復旧後演奏されたブラームスだ。照明よりも録音機材の復旧に手間取ったらしく、録音は第四楽章しか残されていないが、実に感動的な演奏だ。この時フルトヴェングラーが一週間後に実行する亡命のことを、どこまで具体的に考えていたのかは判らない。しかし、BPOと最後の演奏かもしれないと覚悟はしていただろう。音楽に没入するフルトヴェングラー、それに応えるBPO、ベルリンの聴衆、専任録音技師シュナップ博士の録音と、全てが感動的なレコード(記録)である。

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2009年10月16日 (金)

保田武宏「志ん生の昭和」(アスキー新書二〇〇九)

 新書が薄くなったと思う。物理的なページ数もそうだが、活字が大きく、余白が広く、情報量が少なくなった。そうでないと売れないのだとどこかで聞いたことがある。個人的には新書はもう少し読み応えのある分量が欲しい気がする。

 本書の筆者も同じ思いではないだろうか。「昭和」と題名にあるが、まえがきにもあるとおり震災以降の志ん生について書かれているが、とにかく駆け足の感じがする。
 志ん生の伝記は結城昌治の「志ん生一代」という、文庫二冊にわたる大作があり、志ん生の生涯を語る場合この本が基礎資料になっている感がある。「志ん生一代」を読むと、生涯を伝記にしようとしたのだが、資料が少なくて小説にした感じがする。通しで語るにはどうしても憶測によらねばならない部分があるので仕方なかったのだろう。
 本書では満州行きの部分などはあっさり割愛している。その代わり震災から戦後までの落語界の離合集散について頁を費やしており面白い。この部分はもう少し詳しくても良かったと思う。また、当時の噺家の名前を、何代目かではなく本名を併記している点も判りやすい。ただ、馴染んでいる代数は併記しても良かったのではないか。
 新たに知ったのは改名遍歴の内、全亭武生という名前は亭号が全亭ではなく金原亭武生だったという事と、その直前に名乗ったとされる吉原朝馬という名前は名乗った形跡がない事。自伝の「びんぼう自慢」では確かに「芸名のいろいろ」で「それまでにあたしは、三遊亭朝太から円菊……ここで、先代の志ん生師匠の弟子になって 古今亭馬太郎、全亭武生、吉原朝馬、隅田川馬石、金原亭馬きん、古今亭志ん馬……と、もう八回も名前を変えている。」と述べているので、これを否定するには相当な調査をしたのだろうと思う。
 せっかくそこまで調べているのならば、薄い新書ではなく単行本でもっと詳細に書いて欲しかった。時流に乗って内容を薄めてしまったのは、やや残念だ。なので、本文はあっという間に読み終わってしまうが、巻末のホール落語や放送の演目リストが資料として価値が高い。「泳ぎの医者」「三助の遊び」などの珍しい噺は、録音が残っているなら聞いてみたいものだ。

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2009年10月 3日 (土)

宮脇俊三「終着駅」(河出書房新社二〇〇九)

 私の鉄道熱は、二〇〇二年に国鉄完乗を達成し、二〇〇三年に宮脇俊三が亡くなってから一気に醒めてしまい、すっかりアクティブでなくなってしまった。思い返せば、休みのたびにせっせと乗り鉄に出かけ、その様子を文章にして一人悦に入っていた私は、実は鉄道マニアだったのではなく、宮脇俊三マニアだったのではないかと思う。だから、没後六年を経て、未刊行のエッセイと雑文を集めた本書の刊行は望外の喜びである。

 本書は「終着駅は始発駅」「汽車との散歩」「旅は自由席」の三冊に続くエッセイと雑文集になるが、前の三冊と決定的に違うのは、表題、構成ともに作者があずかり知らないということだろう。前の三冊は単行本未所収の文章から選んで構成するという作りだったのに比べ、今回は残り物を寄せ集めた感があるので、やはり一冊の本としての出来は良くない。内容的にも既刊の文章と重複する内容が多く、目新しかったのは「突然、アガらなくなった」「テニスで心機一転」などの鉄道とは関係のないエッセイで、紀行作家のエッセイ集に所収されなかったのも納得がいく内容のものだ。
 宮脇ファンにとっては、このような形で新たな文章に接する事が出来るのは嬉しい。しかし、宮脇俊三の著作として見ると褒められるものではない。どう評価するかは難しいところだが、正直なところ自分は読めて良かったが、宮脇ファン以外の人には他のエッセイ集から入ってもらいたい。そして、宮脇ファンになって他に読むものがなくなったら読んで欲しい。

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2009年8月11日 (火)

眞鍋圭子「素顔のカラヤン」(幻冬舎新書二〇〇九)

 作者の名前に既視感を感じたが、四半世紀以上前に私が駆け出しのクラヲタだった頃、当時大人気(で亡くなったばかり)だったカール・ベームの評伝を書いた人だった。

 作者は主に来日時のお世話係をした関係で、カラヤンと家族ぐるみで交流があったという。一九七七年から死までということは、帝王と呼ばれ確固たる地位を築いてから、晩年の一連のゴタゴタまでを間近で見てきたと言うことだろう。
 夫人の回想録(読んでないが)ほどではないにしても、両目がハートマークになっている筆者の姿が思い浮かび、時に微笑ましさを感じる。私はそもそもカラヤンが好きではないので、オイオイそんなに美化しちゃって大丈夫?という感じもするし、確固たる地位を築くまでは相当策略を巡らしてライヴァルを追い落として来たんじゃないのとも思う。
 しかし、作者が身近で見た普段着のカラヤンの様子がとても良く伝わってくるし、終始作者の目線から見たカラヤンという視点がぶれないので、安心して読むことが出来る。そして、読み手なりの解釈をすることが出来て、大変面白く読める本である。芸術論を振りかざすふりをして、内容は「オレはカラヤンが嫌い」というだけの空虚なカラヤン論などとは一線を画している。
 中でも私が面白く読んだのは、一九八四年来日時の振り間違い事件のくだり。当時の記憶では、プログラムが「ドン・ファン」「ディヴェルティメント」「ローマの松」の順で、カラヤンが一曲目と二曲目の順番を間違え、「ドン・ファン」を「ディヴェルティメント」のつもりで振ったのだと思っていた。しかし、振り間違えたのは「ディヴェルティメント」を演奏した後で、順番を間違えたのではなく完全に違う曲(チャイコフスキーの五番)だと思っていたというのは初めて聞いた。

 私がカラヤンを生で聴いたのは、後にも先にもこの一九八四年の来日時のみで、東京公演直前にこの振り間違いニュースを聞いて心配したのを覚えている。確か当時スポーツ新聞の記事になったのを読んだ記憶がある。そしてその数日後普門館の舞台で見たカラヤンは確かにカッコ良かったが、ベルリン・フィルのホルンが派手にひっくり返ったところ以外はレコードで聞いたのと同じだという印象だった。
 そんなリアルタイムの世代には、来日時のエピソードが多いので、自分の思い出と重ねながら読むことの出来る本だと思う。

 以前同じ新書で「カラヤンが云々」というタイトルの羊頭狗肉の極致のような本を読んでしまい随分後悔したが、この本は文章は読みやすいし、内容も面白くて一気に読み通してしまった。前回のように粘着質な作者が本ブログに降臨したりしないことを祈るが、今回は褒めているから大丈夫かな?。

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2008年11月30日 (日)

宮下誠「カラヤンがクラシックを殺した」(光文社新書二〇〇八)

 今年(二〇〇八年)はカラヤン生誕百年。来年(二〇〇九年)は没後二十年ということで、カラヤンに関する本やCDが続々と発売されている。
 たまたま本屋の店先で見かけ、タイトルの過激さだけに釣られて買ってしまったが、最初の数ページ読んだだけで激しく後悔した。
 厚めの新書で、全二八六ページ。内容を要約すると以下の通り。

「哲学や美術の教養豊かなオレちゃんは、高尚で「世界苦(ヴェルトシュメルツ)」の表現者であるクレンペラーやケーゲルが大好き。低俗なカラヤンと、それを支持する愚かな大衆は大嫌い。」

 これだけである。たったこれだけの事を、延々と繰り返し、比喩に哲学用語を羅列するばかり。二度と読み返す気はないが、「世界苦(ヴェルトシュメルツ)」(カギ括弧で括り、括弧で読み?を付けるのは本文の表現のまま)という言葉が何度繰り返されるのだろう。
 私が音楽に興味を持った頃、図書館にある古い音楽評論の本を読むと、この手の文章に当たる事が多かった。音楽が高級な教養であった時代、音楽評論は教養豊かな評論家が難解な文章で書くのが主流だった。哲学、文学や美術の知識をちりばめて、簡単な事を出来るだけ解り難く書く。それを理解できるのが教養人であり、高尚なクラシック音楽を楽しむオレちゃんは一般大衆とは人種が違うんだ。という選民意識をくすぐって、高価なレコードを買わせるという役割があったのだと思う。
 しかし、宇野功芳以降の音楽評論家は、その演奏の良さ悪さを具体的に指摘し、批評する事が主流になってきた。LP時代には小節数だったのが、CDになってから「トラック○の何分何十秒から」という、具体的な箇所がより解りやすくなった。具体的に指摘すれば、納得出来る場合と出来ない場合が生じ、その評論家と自分との相性も判る。場合によっては「宇野功芳の褒めるCDなんか買わない」という選択も出来るのである。

 本書には具体的にカラヤンのここがダメで、クレンペラーとケーゲルのここがすごいというような事は書いていない。筆者はカラヤンの日本最終公演を、チケットを手に入れながら、前半のモーツァルトはラジオの生中継で、後半のブラームスは最終楽章だけをホールのロビーで(モニタースピーカーの音?)聴いて、初めてカラヤンの音楽に惹かれたと書いている。単にチケットがあるのに臍を曲げて行かないでいたのに、ラジオで聴いたら凄そうで思わず駆けつけたという、シチュエーションが凄かった気にさせているのだろう。最初から普通に客席で聴いていたら、さほどではなかったのではないか。単なる個人的な思い出話である。

 私は実演を聴いて以降のアンチ・カラヤンである。しかし、カラヤンの演奏には首を傾げる事が多いが、彼が音楽界に残した功績が大きい事は否定しない。カラヤンが金と権力を欲望のままに追い求めた事が、結果として音楽の大衆化に大きく貢献した。どうせカラヤンを批判するなら、もっと色々データや証言を集めたスキャンダラスな内容の方が面白いと思う。

 こんな五十年も時代遅れな本を書くのは勝手だが、自費出版で出すべき内容だ。内容に合わない過激なタイトルを付けて、大衆向けの新書として出版する光文社の見識を疑う。自慰行為はこっそりやるものであり、往来でやったら犯罪だ。はっきり言って読むのは時間と金と資源の無駄である。

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