2018年9月17日 (月)

東京ユヴェントス・フィルハーモニー創立一〇周年記念演奏会

東京ユヴェントス・フィルハーモニー創立一〇周年記念演奏会

マーラー/交響曲第八番変ホ長調

独唱/森谷真理、中江早紀、中山美紀(Sop.)、谷地畝晶子、中島郁子(Alt.)、
   宮里直樹(Ten.)、今井俊輔(Bar.)、清水那由太(Bas.)
合唱/東京ユヴェントス・フィルハーモニー合唱団(合唱指揮/谷本喜基、吉田宏)
児童合唱/NHK東京児童合唱団
管弦楽/東京ユヴェントス・フィルハーモニー
指揮/坂入健司郎

二〇一八年九月一六日 ミューザ川崎

 プログラム冊子によれば、二十歳に満たない頃にこのオーケストラを結成してから十周年ということなので、指揮者は三〇歳位か。オケも指揮者も若くて勢いがある。アマオケがマラ八をやると、安全運転の演奏を聴かされることが多いが、この指揮者は思いきったテンポの変化など、表現意欲に溢れていて素晴らしい。プロフィールを見ると音大やコンクールとは無縁な異色のプロフィールなので、今後プロオケの役付きになったりするタイプではないのかも知れない。しかし、二十歳でアマオケを組織してしまう、この無鉄砲な若者の指揮は、最近の若手指揮者に希薄な「オレはこういう風に演奏したい」という欲求が感じられて、彼が指揮する他の曲も聴いてみたくなる。
 そして、このマラ八で改めて感じたのは児童合唱の大切さ。やはりNHK東京児童合唱団(N児)は上手く、何より人数が多い(一〇〇人位)。日本の児童合唱もレヴェルが上がって上手い団体が増えたが、単独でこの人数とレヴェルを揃えられるのはN児だけだろう。やや非力な混声合唱(二四〇人位)に比べて抜群の安定感で、児童合唱が出てくると安心するという、普段と逆の現象が起こっていた。
 オーケストラは一八型くらいの絃を対向配置にして、コントラバスを正面奥に配置。ハープ三、マンドリン三、鍵盤楽器、ホルンを下手、打楽器とホルン以外の金管が上手。独唱は舞台の一番奥。金管のバンダは、第一部はオルガンの演奏台に、第二部は客席に配置。栄光の聖母は上手のバルコニー席。ティンパニは一対で、第一部のzu2は両手打ち、第二部は二台打ち。第一部のチューブラーベルを、二回目(変拍子の所)だけ鉄板と重ねていたのが面白かった。
 私の席は一階席だったのだが、舞台一番奥の独唱陣が全然聞こえなくてバランスが悪かった。ミューザ川崎は三階席がベストという噂を聞いたことがあるが、数多くマラ八を聴いてきて、やはりオケと合唱に埋もれがちな独唱者は、舞台前面に配置する方がいいと思う。
 オーケストラの並べ方にも、演奏表現にも、指揮者の「こうやりたい」という思いが表れており、近年のマラ八の中でも印象の強い演奏会であった。それにしても日本のアマチュアオーケストラはレヴェルが高くなった。採算度外視で出来るアマオケこそ果敢にマラ八を取り上げてほしいものだ。

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2018年9月11日 (火)

混声合唱団ホール・バルティカ&相愛フィルハーモニア特別演奏会

混声合唱団ホール・バルティカ&相愛フィルハーモニア特別演奏会

グリーグ/「ホルベアの時代から」組曲
マーラー/交響曲第八番変ホ長調

独唱/平野雅世、泉貴子、内藤里美(Sop.)、山本真千、大賀真理子(Alt.)、
   松本薫平(Ten.)、藤村匡人(Bar.)、松岡剛宏(Bas.)
合唱/混声合唱団ホール・バルティカ
児童合唱/池田ジュニア合唱団(指導:しぶやかよこ)、
     相愛大学附属音楽教室(指導:弓庭登美子)
管弦楽/相愛大学大学院音楽研究科<相愛フィルハーモニア>
指揮/河﨑聡

二〇一八年九月一〇日 フェスティバルホール

 二〇一八年マラ八ラッシュの第一弾は大阪の混声合唱団ホール・バルティカと相愛大学大学院音楽研究科<相愛フィルハーモニア>の特別演奏会。関西のアマチュア合唱団と音大オーケストラなので、申し訳ないが予備知識はゼロ。

 近年はアマチュア合唱団の実力が上がっている。ホール・パルディカという合唱団も、自主公演でマラ八を取り上げるだけのことはあって、声量はあるし、十分に練習している感じで、レヴェルの高い合唱だ。一方、児童合唱は頑張っていたが、混声合唱にかき消されがちだった。もっともこれは席の問題(一階前方)かもしれない。フェスティバルホールは大きさの割によく響くホールだが、まだ二回目なのでどこに座ればいいのかが判らない。
 オーケストラも健闘。時に金管がひっくり返ったりしたものの、よく頑張っていたと思う。七人のソリストも大健闘。特に良かったのは第一ソプラノとテノール。大抵の歌手が叫んでしまう、最後の神秘の合唱のハイCの音を、ノン・ヴィブラートのピアニシモで唱いきった第一ソプラノが素晴らしかった。
 指揮者は大変判りやすい棒で、大編成をしっかり纏めていた。テノールが一小節ズレたり、独唱陣が一瞬ヨレヨレになったりする場面はあったが、それ以外に大きな事故も無く、手堅い棒であった。しかし、この演奏会で不満が残るとすればやはり指揮者であろう。アマチュア相手にマラ八をやる場合、仕方ないのかも知れないが、事故を恐れてひたすら安全運転に徹してしまった感じがする。ルバートやタメが一切無い音楽作りは、手堅いと言えば褒め言葉だが、つまらないとも言えると思う。その一方で、私が一番許せないと思う、第一部最後のテンポを煽りだけはやってくれてた。他でテンポをいじるようなことが一切無いので、合唱が唱いきれないから誤魔化したと、勘ぐりたくもなる。
 その他備忘メモとして、ざっと見渡したところ、合唱は混声合唱が約二百、児童合唱が六十。オーケストラは十四型くらいで、ハープ二、マンドリン二。ティンパニは一人で、第一部第二部ともzu2は両手打ち。但し装飾音符的な打ち方をしていた。席の問題でよく見えなかったが、シンバルのzu2、zu3は一人で叩いていたようだ。絃楽器が対向配置のため、打楽器とホルンは上手側。上手ホルンは八〇年代までよく見られたが、近年では久しぶりに見た気がする。

 アマチュア合唱団と音大オケの演奏会としてはレヴェルの高い演奏会だったと思う。これを纏め上げた指揮者の手腕は賞賛されるべきだが、一方で指揮者の表現欲のようなものが感じられれば更に良かったと思う。

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2018年9月 3日 (月)

マラ八ラッシュ

 このブログの過去記事をご覧いただければ判るが、私は自称「マラ八マニア」である。つまりマーラーの交響曲第八番(通称「千人の交響曲」)が好きで、この曲が演奏されると聞くと、何はともあれ聴きに行くという偏執狂である。
 私の知り得た限りで、この曲は一九四九年の日本初演以来六十三回演奏されている(同じ演奏者による連続公演は一回と数えて)。年代別に見ると一九四〇年代一回、一九七〇年代三回、一九八〇年代十二回、一九九〇年代二十三回、二〇〇〇年代十五回。二〇一〇年代は二〇一八年八月現在十二回である。一九八〇年代以降、概ね年一~二回というペースである。ちなみに私は初めて聞いた一九八五年のコシュラー/都響以来二十四回、二〇〇八年以降は部分演奏を除き全て聴いている。いつの間にか「国内で(全曲)演奏される時は必ず聴きに行く」という自分ルールが出来てしまった。パスポートが無いので臺北での公演は諦めたが、パスポートがあったら行っていたかも知れない。
 そんなマラ八マニアにが困る事態がこの秋起こっている。千人ラッシュと言うべき状況が国内で発生しているのだ。この秋、マーラーの交響曲第八番を取り上げる演奏会を日付順に並べてみる。

・混声合唱団ホール・バルティカ&相愛フィルハーモニア特別演奏会
 九月一〇日フェスティバルホール
 河﨑聡指揮/相愛大学大学院音楽研究科<相愛フィルハーモニア>ほか

・東京ユヴェントス・フィルハーモニー創立10周年記念演奏会
 九月一六日ミューザ川崎
 坂入健司郎指揮/東京ユヴェントス・フィルハーモニーほか

・九州交響楽団第三七〇回定期演奏会
 九月二二日アクロス福岡
 小泉和裕指揮/九州交響楽団ほか

・びわ湖ホール開館二〇周年記念マーラー作曲交響曲第八番変ホ長調「千人の交響曲」
 九月三〇日びわ湖ホール
 沼尻竜典指揮/京都市交響楽団ほか

・東京芸術劇場 井上道義&読売日本交響楽団 マーラー/交響曲第八番『千人の交響曲』
 一〇月三日東京芸術劇場
 井上道義指揮/読売日本交響楽団ほか

・関西グスタフ・マーラー交響楽団第八回演奏会
 一〇月八日京都コンサートホール
 田中宗利指揮/関西グスタフ・マーラー交響楽団ほか

・名古屋フィルハーモニー交響楽団第四六一回定期演奏会
 一〇月一二、一三日名古屋市民会館
 小泉和裕指揮/名古屋フィルハーモニー交響楽団、中部フィルハーモニー交響楽団ほか

 何と約一ヶ月の間にマラ八が七回も演奏されるのである。勿論、自分ルールに縛られているので、全ての公演のチケットを入手し、遠方の公演については往復の交通手段もほぼ確保した。準備は万全である。ちなみに時期は少し先になるが、来年一月のバッティストーニ/東京フィル(新宿文化センター)もチケットは押さえている。
 七つの公演の内、アマチュアは川崎と京都。大阪はプロではないが音大のオーケストラ。これらは全く未知数で、どんなレヴェルなのか楽しみだ。びわ湖は沼尻京響だが、新星日響を振っていた頃は優等生的で面白くなかった沼尻が、久々に聴くと化けるのか否か。井上のマラ八は名古屋のアマオケで聴いて失望したが、普段振らない読響の依頼公演、期待するべきではないだろう。やはり楽しみなのは九響と名フィルを振る小泉和裕。この指揮者はスターではないが、ガッカリさせられたことがない。派手さや外連は無いが、キッチリ納得出来る演奏をしてくれる指揮者だ。マラ八を振るのは初めてだと思うが、どんな感じに纏めてくれるのか。両オケとも定期公演なので、そんなに悪乗りはしないであろうが、小泉さんにそんなことは求めていない。
 聴いた感想はここにアップするつもりだが、極端にひどい演奏だった場合は聴かなかったことにしようと思う。プロのオーケストラだとそんなことは無いのだが、アマチュアオケや合唱団の演奏を批判すると(批判するのはアマオケを振ってギャラを受け取っている指揮者で、私はアマチュア演奏者を批判しません。)、関係者から非難のコメントが殺到するからである。
 マラ八はある意味、上演していただけるだけで有り難い曲である。それをこんな短期間に立て続けに聴ける機会は二度と無いだろうと思う。幸運に感謝しながらそれぞれの演奏会を聴きに行こうと思っている。

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2018年6月23日 (土)

ベルリン交響楽団日本公演

ベルリン交響楽団日本公演

ドヴォルザーク/「謝肉祭」序曲
ベートーヴェン/交響曲第七番イ長調
シューマン/チェロ協奏曲イ短調
ベートーヴェン/交響曲第五番ハ短調

チェロ/辻本玲
管弦楽/ベルリン交響楽団(Berliner Symphoniker)
指揮/リオール・シャンバダール

二〇一八年六月二十二日 サントリーホール

 ベルリン交響楽団の来日公演を聴く。旧東ドイツの名門オケではなく、二~三年に一度日本に稼ぎに来る一九六六年創立のオーケストラ。十数年前に経営破綻したというニュースを目にしたが、存続しているようだ。有料プログラムのツアー日程によると、六月十六日藤沢、十七日会津若松、十九日札幌、二十日旭川、二十二日東京、二十三日須賀川、二十四日能代、二十六日名古屋、二十七日長野、二十八日福岡、三十日山口、七月一日東広島、四日宇都宮、五日東京、七日岡山、八日大阪というスケジュール。典型的なドサ回りオケである。意地悪な見方をすれば、ベルリン・フィルと区別も付かずに有り難がるような客層を狙っている感じもする。

 編成は十二型、だのにヴァイオリンは四人くらいで弾いている感じ。絃が全く鳴らない、管も全く音量がなく、ティンパニだけが無神経にドカドカ鳴っている感じ。更に縦の線を揃える気もないようで、早いパッセージになると何をやっているのか判らなくなる。サントリーホールでしばしば遭遇する、慣れないオケが音を出しすぎて飽和してしまう感じではない。ティンパニに音量の無いオケ全体が潰される感じだ。ベト七の第四楽章は鳴りにくい曲ではあるが、最後の方などほぼ絃が聞こえない感じだ。更に管楽器もレヴェルがバラバラで、キッチリ歌わせる奏者と棒吹きの奏者との差が激しい。指揮者には何の意欲も感じられず、淡々と曲を進めていく。ベト七を生で聴いて、こんなに退屈したのは初めてだ。
 協奏曲を挟んでメインはベト五。最初はスルスル進める音楽作りで前半と変わらなかったが、七番よりは手慣れた良さを感じられた。そして終楽章になってやっと少しはオケが鳴り始める。相変わらずバランスは悪くティンパニがうるさいが、前半よりはずっとマシ。つまり前半はくたびれるから抑えて弾いていたということなのだろう。

 ツアー日程を見れば、そんなに本気でやっていられないのは解る。だが、一流のオーケストラと二流のオーケストラの違いを一言で言えば、やっつけ仕事でも客を満足させられるかという点に尽きると思う。指揮者もオーケストラも仕事モードで演奏しているのに客席は大満足するというのが理想のプロの仕事である。このベルリン交響楽団というオーケストラは、手を抜くとあからさまにつまらない演奏になる、はっきり言って二流未満の団体だ。
 やる気の無い指揮者とやる気の無いオーケストラがベルリンの看板を掲げて地方都市を回り小遣い稼ぎをする。違いのわからない客はそれでも有り難がるのかも知れないが、札幌、名古屋、福岡、岡山、大阪にはずっとマシな地元のプロオーケストラがあるはずだ。その他の都市でも、こんないかがわしいオーケストラより、地元のアマチュアオケを聴く方が、真剣にやっている分感動できると思う。

 前評判通り全く期待していなかった外来オケを聴いて大変ガッカリして帰ってきたわけだが、私の知り合いからは、そもそも外タレ嫌いのオマエが何故そんなオケを聴きに行ったのかという疑問を投げかけられるかも知れない。そう、このオケを聴きに行ったのには理由がある。しかし、クソミソに叩いてしまったの理由を書けなくなってしまった。なので、判る人にだけ判るようにヒントを書いておく。

 写真のエース、申し訳ない。

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2017年8月29日 (火)

ミカド二題

サリヴァン/喜歌劇「ミカド(またはティティプの街)」

(一)
ちちぶオペラ 秩父宮記念市民会館開館記念公演
主催/秩父市、ちちぶオペラ実行委員会

出演/鹿野由之(ミカド)、水野洋助(ココ)、羽山晃生(ナンキプー)、薗田真木子(ヤムヤム)、諸静子(カティシャ)、佐藤健太(プーバー)、富田駿愛(ピシュタシュ)、齋藤雅代(ピティシン)、山口由里子(ピープボー)他
合唱/ちちぶオペラ合唱団
管絃楽/ちちぶオペラ楽団
ステージング・振付/野口菜美
指揮・演出/細岡雅哉

二〇一七年八月二〇日(日)秩父宮記念市民会館大ホール

(二)
新国立劇場地域招聘オペラ公演びわ湖ホールオペラ「ミカド」
主催/滋賀県、滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール、新国立劇場

出演/松森治(ミカド)、二塚直紀(ナンキプー)、迎肇聡(ココ)、竹内直紀(プーバー)、五島真澄(ピシュタッシュ)、飯嶋幸子(ヤムヤム)、山際きみ佳(ピティシン)、藤村江李奈(ピープボー)、吉川秋穂(カティシャ)他
合唱/びわ湖ホール声楽アンサンブル
管絃楽/日本センチュリー交響楽団
指揮/薗田隆一郎
演出、訳詞/中村敬一

二〇一七年八月二七日(日)新国立劇場中劇場


 サリヴァンのミカドというオペラを知ったのは二〇〇三年。ちちぶオペラが初の東京公演を行う際に、たまたま東京側の関係者としてごく緩く関わったのが始まり。この時は「そんなオペラがあるのか」くらいで、公演を観るわけでもなくそのまま忘れていた。
 二~三年前に著作権切れの音源をダウンロードして面白半分で聴いてみたら結構面白かったので、以来CDを買ってたまに聴いたりしていた。
 猪瀬直樹が副知事時代に部下に読むことを強制したといわれる自信作、「ミカドの肖像」も読んでみたが、分厚い本のわりに中身は「ミカドをキーワードに、次々と色々なことに興味を持って解明しているオレってすごいでしょ!」という、典型的な「オレちゃんドキュメンタリー」で、読めば読むほど作者のお人柄がしのばれ、個々のテーマは面白いのに、読み続けるのが苦痛になって途中で投げ出してしまった。
 軽い内容で楽しいオペレッタだが、日本のミカドが愚かな権力者として笑われる内容なので、洒落の通じない目の据わった日本人が騒ぐと厄介なので、日本ではなかなか上演されないのも理解出来る。生で聴く機会なんて滅多に無いだろうなあと思っていたら、この夏立て続けに二つの芝居があったので、迷わず両方聴きに行ってみた。もっとも私は今までオペラに興味が無く、二回しか観たことがないので、二つの公演を立て続けに観たオペラ初心者の感想ということになる。

 ちちぶオペラは、永六輔のラジオでの発言がきっかけで、秩父で「ミカド」を上演することで始まった地域オペラ。「ミカド」の上演は二〇〇一、二〇〇三、二〇〇六、二〇一一年に続き五回目とのこと。二〇一一年の震災で破損した市民会館の再建柿落し公演。チケットを大手が取り扱っていないので秩父まで前売り券を買いに行ったが、一般売りは二階席のみ。一階席は関係者のみの雰囲気。市民会館の開館記念公演だから仕方あるまい。入口を入ろうとすると畏友K女史がチケットもぎりをしている。お互いびっくりするが忙しそうなので一言挨拶して通過。後で聞いたところ、ボランティアスタッフの研修講師をしていて、今日は先頭に立ってフロアスタッフをしているとのこと。相変わらず精力的に活動しているようで頼もしい。
 新生秩父宮記念市民会館は収容千人程度の多目的ホール。前方の座席を外してオーケストラピットにしているが、床面が沈まないので、演奏エリアと言うのが適切か。シンセサイザー二台を中心とする十一名編成。序曲の前に紗幕を下げた奥で祭り囃子の演奏がある。オペラ本編が始まっても徹底的に「秩父の」ミカドである。物語も歌詞も台詞も秩父を前面に出している。地域オペラというものはこれでいいと思う。客席が暖まるのも早く、各アリアにも盛大な歓声が上がる。五回目の上演というのも強みで、今までの上演で受けた部分を残し、受けなかった部分を切り捨てて練り上げられた印象。第一幕終わり近くで、男三人のトリオ(第一〇曲)の最後の部分(六十六小節以降)を三回(四回だったか?)もアンコールする所などは、今までの公演で大受けした自信がなければ出来ない演出だと思う。また、第二幕でミカドが懲らしめる奴を列挙するところで、「自分は音を出さないで棒だけ振り回している奴は、全部の音を止めてやるぞ」と言って、全員が沈黙して指揮者を嘲笑するクスグリも気が利いていた。

 一方びわ湖ホールは、新国立劇場が毎年一回招聘する地方制作のオペラで、八月の五、六日にびわ湖ホールで上演したものの再演。こちらはしっかりしたオーケストラピットに、三十四人編成の日本センチュリー交響楽団が入っている。一方で舞台装置は大変にシンプルで、絵を描いた枠がある以外は、正面にスクリーンが有り、そこに日本の観光地などの映像がシーンごとに映し出される。大工仕事が入ったであろう秩父に比べると随分安上がりに見える。もっとも、秩父も序曲の演奏中にキャストの紹介を映像で流していた。普段オペラや芝居を観ないので判らないが、今時はプロジェクターを使う演出は当たり前なのかも知れない。演出は堅実と言っていいと思う。びわ湖色は一切無く甚だ曖昧なジャパンを舞台に物語は進む。衣装がかなり奇抜で面白いのだが、主役のヤムヤムだけ何故か破れたジーンズにハネ上げのサングラスという姿に違和感があったが、だんだん慣れてきてしまった。だのに、最後の最後、大団円のシーンだけ何故か全員衣装が替わり突然大阪の繁華街になってしまった。ここはちょっとぶっ飛びすぎていて理解不能な気がした。

 両公演とも所謂地方オペラで、地元民及び関係者で作り上げた公演だ。藤沢などの市民オペラと違い、基本アマチュアは参加しないプロの仕事である。同じ演目を別の芝居で立て続けに観られたのはとても幸運で、色々見比べることが出来た。舞台セットと乗りは秩父優勢、オーケストラと衣装はびわ湖優勢で、キャストはどちらも適材適所ですばらしかった。そして共通で言えるのは、どちらもとても楽しい公演だったということだろう。
 私が今までオペラを殆ど観ていないのには色々理由があるし、今後オペラ通いをするようにもならないと思う。しかし、「ミカド」のような喜歌劇を、日本語上演で、四桁の入場料で観られるのであれば足を運びたいと思う。

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2017年7月28日 (金)

インバル大フィルの「悲劇的」

大阪フィルハーモニー交響楽団第五一〇回定期演奏会

マーラー/交響曲第六番イ短調

管絃楽/大阪フィルハーモニー交響楽団
指揮/エリアフ・インバル

二〇一七年七月二七日(木)フェスティバルホール

 十日前に聴いたインバルと都響の「大地の歌」があまりにも素晴らしかった。インバルも八十を過ぎて、あと何回聴けるのかと考えたら、矢も楯もたまらず大阪まで来てしまった。18時03分に新大阪に到着し、脇目も振らずフェスティバルホールに納まる。
 さんざ聴いているインバルに比べ、大フィルを聴くのは三回目くらいだと思う。前回聴いたのは朝比奈が振った東京定期だった。
 インバル爺のマーラーはいつも通り。六番も数年前のツィクルスで聴いているが、今回はより自由闊達な感じで、特にフレーズの移り変わりで大きくルバートをする遊び心に溢れている。都響とのツィクルスは客層もマニアックで真剣勝負だったが、大阪では客演の気楽さでリラックスした演奏になっているのかも知れない。大フィルはしっかりとインバルの棒に食らいついていき、実に活き活きと演奏している感じだ。今回は珍しく一階席前方下手側の席だったので、この曲では重要なハープとチェレスタの音がよく聞こえて、日頃気がつかない発見があった。曲が曲だけに、大地の歌のように痺れるような感動という感じではなかったが、大フィルの熱演は、わざわざ大阪まで聴きに来て良かったと思わせるものだった。
 終演後は前回京響を聴きに来たときに発見した、天満の但馬屋でキムチ天をつまみに一杯やって、22時50分発の夜行バスに乗車。五時間に満たない大阪滞在だった。大フィルでは来年二月にバッティストーニがローマ三部作をやるらしい。都合がついたら今度は往復夜行バスで、大阪観光と合わせて来られたらいいなあと思っている。

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2017年7月18日 (火)

インバルの大地の歌

都響スペシャル

マーラー/交響詩「葬礼」
マーラー/大地の歌
コントラルト/アンナ・ラーション
テノール/ダニエル・キルヒ
管絃楽/東京都交響楽団
指揮/エリアフ・インバル

二〇一七年七月十七日(月祝) 東京芸術劇場

 インバルが大地の歌をやるというので、当然聴きに行った。二〇一二年からのマーラーツィクルスとその他の演奏会でクック版十番を含む番号付きの交響曲全部と嘆きの歌を聴いてきたので、その集大成として大地の歌を聴き逃すわけにはいかない。

 プログラムの前半は交響詩「葬礼」。マーラー好きを自認しながら、この演奏会の広報を見るまで知らなかった曲だ。細かい説明を省くと、交響曲第二番の第一楽章の完成前の形である。交響曲第二番として完成した形を聴き慣れているので、それとの比較という形で楽しむしかない。どうしても推敲途中という印象になってしまうのは仕方ないだろう。まだ運命や新世界しか聴いたことのなかった頃に戻って、交響曲第一番「巨人」のハンブルク稿や、この交響詩「葬礼」を先に聴き込んでから、「巨人」や「復活」を聴いたらどんな感想を持つのだろう。

 大地の歌は歌手の力で出来不出来が決まる曲なので難しいと思う。第一楽章はテノールの声量が全然足らない。しかし、そもそも実演でこの曲をオーケストラの音量に負けずに唱える歌手など居るのだろうか。録音では絶世の名唱と思わせるヴァルター盤のパツァークだって、客席で聴いたらろくに聞こえないのではないか。テノール歌手にとってかなり技巧的に困難な曲なので、速めのテンポで難しいところはしっかり三つ振りにするインバルと、それにキッチリ合わせて唱うキルヒ。好き嫌いで言えば、もっとスローテンポで唱いきれない位の表現が好きだが、これはこれで大健闘だと思う。
 コントラルトのラーションは声量も十分、表現も堂に入っており素晴らしい。インバルも自由自在の表現で流石だ。第二、第四楽章も素晴らしいが、何と言っても最後の第六楽章が肝だ。インバルの指揮は老練で、都響との息もピッタリ。長い信頼関係の賜である。そしてラーションの独唱も絶品。冒頭から素晴らしかったが、ハープとマンドリンの刻みの上でフルートが中国っぽい旋律を奏でる部分(練習番号二十三)辺りからは何やら別次元の雰囲気になって、コーダまではあっという間の出来事のようだった。ソリストが「ewig, ewig」と唱い出したとき、この音楽がもうすぐ終わってしまうことが残念でならない気持ちになった。

 世界に上手いオーケストラと上手い指揮者は幾らもあるだろうが、これだけのマーラーを聴かせる組み合わせは滅多にないだろう。ツィクルスが終わってしまい、インバルが都響でマーラーを取り上げる機会はこの先そう多くはないかも知れないが。又機会があったら聴き逃せないインバル都響のマーラーである。
 今日の演奏も是非CD化してもらい。四番同様にCD用に補正したバランスで聴き直してみたい。

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2017年5月23日 (火)

バッティストーニの春の祭典

東京フィルハーモニー交響楽団第八九二回オーチャード定期演奏会

ヴェルディ/歌劇「オテロ」第3幕~舞曲
ザンドナーイ/歌劇「ジュリエッタとロメオ」~舞曲
ストラヴィンスキー/舞踊音楽「春の祭典」
外山雄三/管弦楽のためのラプソディ~八木節(アンコール)

管絃楽/東京フィルハーモニー交響楽団
指揮/アンドレア・バッティストーニ

二〇一七年五月二十一日(日)Bunkamuraオーチャードホール

 バッティストーニが春の祭典を振るというので、聴いてみることにした。金曜夜のオペラシティと日曜昼のオーチャードホールとの二択だが、迷わずオーチャードホールを選択。どうも、オペラシティというホールは大編成のオーケストラには不向きという印象が強いのだ。その点、オーチャードホールは音響自体は悪くないと思う。ところが、会場に向かおうとすると渋谷周辺は何やら祭りをやっていて、道玄坂通りも文化村通りも横切ることが出来ない。春日八郎が「ラブラブ渋谷」と唄う渋谷音頭に合わせて踊る人々を暫し眺めてから会場へ辿り着く。

 曲目を眺めると踊りがテーマなんだなということが理解出来る。前半の二曲は聴いたことがないが、後半が春の祭典一曲だから結構長い曲なのかと思っていると、二曲合わせて十五分程度。と言うことは演奏時間正味五〇分ということになる。死にかけの爺さん指揮者じゃあるまいし、若い指揮者が組むプログラムではない。バッティストーニはいつから大巨匠になったのか。本人が決めた曲目だとしたら、思い上がりも甚だしい。

 ヴェルディとザンドナーイの舞曲は楽しい小品。あっという間に終わって休憩。お目当ての春の祭典は、冒頭のファゴットの第一音を、ヴィブラートをかけて目一杯伸ばす。冒頭から遊んでくれて面白い。ただし、第一部はそれ以外に大きな外連もなく、前へ前へ進む演奏。東フィルも良く鳴って迫力満点だ。圧倒的な迫力のまま第一部は走りきる。この調子で第二部も突っ走るのかと思ったら、十一連打から少し行ったところで突然大きくテンポを落とす。これは大変面白かった。そしてコーダ直前(練習番号一八〇)でもう一度大きくテンポを落とす。それも直前のルフトパウゼを大きく取って、トロンボーンのグリッサンドを強烈にデフォルメするので、かなりのインパクトがある。春の祭典のような複雑な曲の場合、急にテンポを変えると何が起こったのか解らなくなる事があるが、バッティストーニもそれを狙ったのだろう。一瞬わけが解らなくなったが、暫くすると何が起こっているのか理解し、「やられたあ!」と思う。バッティストーニには急なギヤチェンジや、急な最弱音などで何度か驚かされているが、今回もしてやられたりという感じだ。ところが、コーダで再び普通のテンポに戻ったところから、何故だか急に緊張感が緩んでしまい、オーケストラも全然鳴らなくなる。自分の集中力が途切れたせいかと思ったのだがそうではない感じだ。結局そのままコーダまで行ってしまい、あっけなく終了。何が起こったのかはよく解らなかったが、最後まで緊張が持続すればかなりの名演だったと思うので残念である。
 何回かのカーテンコールの後、流石に短すぎると思ったのだろう、本定期にしては珍しくアンコール。それも、外山雄三のラプソディから八木節。音楽鑑賞教室以外ではなかなか演奏されない曲なので、素直に生で聴けて嬉しい。ただ、春の祭典の後にやるアンコール用選曲としてどうかは疑問が残る。

 アンコールをやっても終演は十六時半。休憩、アンコール込みで九〇分という、とても短い演奏会だった。今回も録音用のマイクが立っていたが、今日の演奏はCDにはならないのではないか。二日前のオペラシティでは、最後まで緊張が持続したのだろうか。

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2017年5月15日 (月)

山田和樹マーラー・ツィクルス《第3期》

山田和樹マーラー・ツィクルス《第3期》

主催/Bunkamuraオーチャードホール
管絃楽/日本フィルハーモニー交響楽団
指揮/山田和樹

【第七回】
武満徹/夢の時
マーラー/交響曲第七番ホ短調「夜の歌」

二〇一七年五月十四日(土)オーチャードホール

 山田和樹と日本フィルによるマーラーツィクルスも早いもので三年目。昨年の第2期は回毎に調子が上がっていったが、残り三曲をどう料理するか楽しみである。

 第七番「夜の歌」は、マーラー好きの私でも、ツィクルス以外では滅多に聴かない曲だ。今まで聴いた中で名演だったインバルやベルティーニも、単純に大名演イコール大感動とはならず、演奏が良い分曲の駄目さが引き立ってしまう。不出来、もとい難解な曲なので、バーンスタインのような完全憑依型で行かないと誤魔化しが効かないと思う。
 第一楽章は冒頭からテノールホルンとホルンがヨレるが、これはよくあること。山田は期待通り濃厚な表情付けで音楽を進めていく。テンポも自在でいい感じだ。中間の三つの楽章もたっぷり唄わせる音楽作りで好ましい。大騒ぎの第五楽章はとにかく前へ前へ進める演奏。オーケストラも良く鳴って迫力満点。この曲、特に終楽章はマーラーの分裂気質の極みで、冷静に聴くと何が言いたいのかさっぱり解らない。だからこの曲は聴き手に考える隙を与えてはならず、演奏者は「これでもか!」を連発しなければならないと思う。日本フィルも随分世代交代が進んで若い楽員が多くなったので、山田が次々繰り出す「これでもか!」にしっかり応えていた。期待通り、いや期待以上の名演で、この調子で残りの二曲も突っ走ってもらいたいものだ。ただ、八番は勢いで何とかなるが、九番はそうは行かないだろう。どうなるか楽しみである。

 舞台上にはいつも通り録音用のマイクが並んでいた。今回は第一楽章の頭だけ差し替えればCD化出来ると思う。本ツィクルスでは第二番、第六番がCD化済みで、近く第四番もCD化されるようだ。私の印象では四番はCD化するような演奏ではなかったと思うのだが。個人的にはCD化するなら良いも悪いもひっくるめて編集無しで全曲CD化してくれれば、記録として価値があると思うのだが。

【第八回】
武満徹/星・島
マーラー/交響曲第八番変ホ長調「千人の交響曲」

独唱/林正子、田崎尚美、小林沙羅(ソプラノ)、清水華澄、高橋華子(アルト)
    西村悟(テノール)、小森輝彦(バリトン)、妻屋秀和(バス)
第一混声合唱/武蔵野合唱団(合唱指揮/佐藤洋人、秋吉邦子)
第二混声合唱/栗友会合唱団(合唱指揮/栗山文昭)
児童合唱/東京少年少女合唱隊(合唱指揮/長谷川久恵)
二〇一七年六月四日(日)オーチャードホール

 八番は満席完売につき土曜日に追加公演が行われたそうだ。前回の七番が素晴らしい出来だったので、期待して「千人」を聴く。
 冒頭からカロリー満点の千人だ。七番までと違って、二日目という条件が余裕になっているのかも知れない。テンポは速めだが、ガンガン鳴らして音楽を進めていく。凝縮型の音楽作りだが、はち切れそうに表現が詰まっている感じがする。そして、押しの一手なのかと思うと、シンバル三組(練習番号六四)の手前でテンポを落としていく所など、実に堂に入った表現で、こうでなければと思わせる説得力だ。この感じのアプローチだと心配だった、コーダの加速(練習番号九一から)も無く、合唱の上行音階をしっかり唱わせるという、理想的な第一部だった。
 第二部はテンポは中庸だが、ドラマティックな表現で、濃い表情の音楽だ。特筆すべきはフレーズの移行部分で十分な撓めを持たせていること。楽譜に書いていないからテンポは動かさないという、浅はかな指揮者(と書くとデュトワなども含まれてしまうが)が多い中で、インテンポよりずっと自然で音楽的な表現だ。テンポを自在に操りながら伸び伸びと音楽を進めていく。特に第二部では合唱の表現が徹底されていて、アマチュアと思えない表現力である。最後の神秘の合唱以降も圧倒的。広上が強調した第二コーラス女声のスラー(練習番号二一三の前)の部分は間を空けないが、音楽的にはこの方が自然だ。圧倒的な説得力の千人であったと思う。
 日本フィルは若干縦の線が怪しいところがあったが、十分検討していたと思う。合唱のレヴェルの高さは特筆もの。特に第一コーラスの女声が良かった。児童合唱も期待通りの出来。独唱陣は第二ソプラノと第一アルトが好演。第一ソプラノと第二アルトは表現が過剰でちょっと鬱陶しさを感じた。テノールはリリックな唱い方が個人的にはとても好きだが、高音が苦しく音程が怪しかったのがやや残念。独唱はオーケストラと合唱の間だったが、やはり第二部の事を考えると舞台前面に配置した方がいいと思う。
 備忘録として、絃は十六型、五管編成でホルンのみアシ一。ハープは見えなかったので不明。ティンパニは四台二組。第一部のzu2は二人で両手打ち。第二部のzu2は二人が両手で二台づつ叩いていた。また、第二部コーダはティンパニを二台重ねていた。マンドリンは一台で第二ヴァイオリンとヴィオラの間。バンダは編成通りで、三階LとR1列7~11列の後ろ(上手がトロンボーン、下手がトランペット)、栄光の聖母は三階席横通路の下手寄りに配置。

 今年は広上、山田と個性的だ大満足な千人が二回も聴けて本当に有り難い。四回もあったのに、及第点は一回だけという昨年に比べると実り多い年である。
 山田のマーラーも九番を残すのみとなった。尻上がりに調子を上げているので、最終回も大いに期待したい。出来れば番外編で、十番のアダージョと大地の歌をやってくれないだろうか。

【第九回】
武満徹/弦楽のためのレクイエム
マーラー/交響曲第九番ニ長調

二〇一七年六月二十五日(日)オーチャードホール

 山田和樹と日本フィルによるマーラーツィクルスも遂に最終回。段々調子が上がって来ている感じなので、大いに期待して第九番に臨む。

 まず気がつくのはオーケストラの並べ方。山田はずっとストコフスキーシフトの、下手から第一ヴァイオリン、第二ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、コントラバスの順番で並べていたが、今回は第二ヴァイオリンとヴィオラが入れ替わり、チェロバスが上手側に来る対向配置。第一ヴァイオリン第二ヴァイオリンの掛け合いが多い曲なので、これは効果的である。
 第一楽章は不完全燃焼。表情付けやテンポの動きなどはやりたいようにやっているのだが、何だか迫ってこないのだ。ちょっと馴れ合い感が出ている感じもする。更に管楽器のソロが集中力に欠けて不安定なのも気になる。四番の時にも感じたが、オーケストラが表面上は従っているけど心から共感はしていない、所謂お仕事モードの演奏に感じる。八番の時と同様にチューブラーベルを使わずに鉄板のような物を叩かせていたが、これが音程が悪くて身悶えしそうな代物。のど自慢チャイムを使うと音が明るすぎるというのは理解するが、突然音痴が紛れ込んだみたいで違和感がありすぎる。
 第二楽章は平凡。ホルンの三拍目の十六分音符を強奏するのはいいが、揃ってないので五連符に聞こえるのは困ったものだ。表現が全体に暑苦しいのも困ったもの。この楽章は軽妙洒脱諧謔にやってもらいたいのに。
 第三楽章も無難な出来。トランペットのソロは好演だったが、最後の加速も上滑り気味で、オーケストラが表面だけなぞっている感じ。
 第四楽章は日本フィルの絃の弱さが不満。山田は相変わらず濃い表情付けで音楽を進めていく。始まってしばらくはいい感じだったが、中盤から後半にかけて再びお仕事モードの演奏。ポルタメントのデフォルメなど面白いはずなのに、やはりオーケストラが共感していないのだろう。ヴァイオリンの踏ん張り所も、対向配置が功を奏して舞台面一杯にヴァイオリンの音が拡がるのは狙い通りの効果が出ていると思ったが、如何せん音量不足。配置の工夫より音量が欲しかった。通常だと息が詰まるコーダも、音量的にはかすかなピアニシモでも緊張感が感じられない。こんなに冷静にこの曲のコーダを聴いたのは初めてかも知れない。

 何故だか最後でオーケストラの共感が薄く感じ、練習でケンカしたのかと心配になる。期待が大きかった分、今回の演奏には不満が残る。
 メモとして編成は十六型で、配置は前述の通り。ホルンのみアシ一で、他はスコア通りの編成。暇な第二ティンパニが要所要所で重ねられていたのはいい処理だと思う。管楽器を重ねるのと違って打楽器を重ねるのは見ていてすぐ判るから面白い。
 とにかくも、三年かけてマーラーの交響曲全曲を完奏したのは立派だし。それを同じホールの同じ席で聴けたのは貴重な経験だった。合格点は二、五、六、七、八番。山田はまだ若いのだから、マーラーについてはここをスタートにして演奏を重ねていって欲しい。出来ればこのツィクルスの補完編として十番のアダージョと大地の歌を、このオーチャードホールで取り上げてもらえないだろうか。

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2017年3月27日 (月)

広上/京響の千人

京都市交響楽団第六一〇回定期演奏会

マーラー/交響曲第八番変ホ長調

独唱/髙橋絵理、田崎尚美、石橋栄実(ソプラノ)、清水華澄、富岡明子(アルト)
   福井敬(テノール)、小森輝彦(バリトン)、ジョン・ハオ(バス)
合唱/京響コーラス他、京都市少年合唱団(合唱指揮:小玉晃、浅井隆仁)
管絃楽/京都市交響楽団
指揮/広上淳一

二〇一七年三月二十六日(日)京都コンサートホール

 このブログもすっかりやる気が無くなって、最近では鮎釣りと千人の報告しか書いていない。もうやめてもいいんだけど何となく惰性で、と言うよりは自分の備忘録として書いている感じがする。

 京響を聴くのは二回目。前回は四半世紀以上前。京都会館でヤマカズの指揮だった。マーラーの千人も最近はそつなくまとめた演奏が多くガッカリすることが多いが、広上は期待通りの大名演。テンポの動きや表情の付け方などやりたい放題で気持ちがいいし、オーケストラも合唱もよく要求に応えていた。広上は合唱に弱音を求めず、第二部のバリトンのソロまでの部分や、最後の神秘の合唱もメゾピアノくらいで唱わせていた。朝比奈の録音などもそうだが、やはりここは大人数の合唱が微かに唱うという効果があった方がいいように感じた。合唱は混声二百人、児童七〇人くらいの規模で、広上の要求によく応える好演。児童合唱の発声も素晴らしい。独唱陣は八人中三人が代演であったが、女声が好演。特にソプラノの二人(髙橋、田崎)がここ一番で素晴らしい声量を出して、いいアクセントになっていた。一方でこちらも代演のテノールはいつも通りカラオケオヤジ的歌唱で不愉快。バスはアンサンブルでは良かったが、第二部のソロは一本調子な上に声量も足らなかった。
 オーケストラは十六型。ハープ二、マンドリン一。指揮者を囲むように独唱者を配置し、その奥(第二アルトの後ろ)にマンドリンとチェレスタを配置。バンダはオルガンの下手にある高いバルコニー、第三ソプラノは合唱とオルガンの間の仮設の台の上。ティンパニは三台づつ二組で、zu2の両手打ちは無し。チューブラーベルを使わず鉄の棒のようなものを叩いていたので、そこだけ復活の最後みたいでおかしかった。
 最後の大合唱の直前(一五〇五小節)の第二コーラスの女声だけにスラーが付いているのを気がつかせてくれたのは二〇〇四年の広上/日本フィルによる演奏だったが、今回はかなりデフォルメして、他の全パートを全部切ってかなり引っ張っていた。ちょっとやり過ぎな感じもするが、実演だからこれくらいでいいと思う。第一部の最後でテンポを煽ったり、バンダや第三ソプラノの配置など、部分的に広上の表現は私のイメージとは異なるが、これだけ思い切った表情付けをしてくれれば、そんな不満は吹っ飛んでしまう。指揮者の仕事とはこういうことだと思う。
 広上淳一はお互いにまだ緑の黒髪華やかなりし頃から聴いているが、一時大人しくなったように感じていた。しかし、今回の千人は二〇〇四年に日本フィルで聴いたときより遥かに素晴らしくやり尽くしている。広上が化けたのか、京響との相性がいいのか。これが在京オケだったら、広上を聴くために定期会員になりたいところだ。

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