2023年12月17日 (日)

ルイージの千人

NHK交響楽団第二〇〇〇回定期公演

二〇二三年一二月一六日(土)NHKホール

マーラー/交響曲第八番変ホ長調「千人の交響曲」

独唱/ジャクリン・ワーグナー、ヴァレンティーナ・ファルカシュ、三宅理恵(ソプラノ)、
   オレシア・ペトロヴァ、カトリオーナ・モリソン(アルト)、ミヒャエル・シャーデ(テノール)、
   ルーク・ストリフ(バリトン)、ダーヴィッド・シュテフェンス(バス)
合唱/新国立劇場合唱団、NHK東京児童合唱団
管絃楽/NHK交響楽団
指揮/ファビオ・ルイージ

 N響の第二〇〇〇回定期公演を聴く。コロナ以降初の「千人」なので聴き逃がせなかった。N響の千人は一九四九年山田和男、一九九二年若杉弘、二〇一一年デュトワ、二〇一六年P.ヤルヴィに続く五回目。

 久々のNHKホールは張り出し舞台を最大に出して、音響反射板を一間程後ろに下げた状態(デュトワの時と同様)だが、編成はオケが十六型で、ハープが四台いる以外は最小編成。混声合唱は約一二〇人、児童合唱は約五〇人で、舞台上全部で三百人くらい。おそらく千人を上演するには最少の人数。なお、ティンパニは二対で両手打ちは無し。

 とにかく声楽が重要な曲なので、合唱の出来が重要なのだが、新国立劇場合唱団はさすがプロと感心させられる出来。正に少数精鋭という感じで素晴らしかった。児童合唱も安心のN児。人数もそこそこいるので、埋もれることなくしっかり聞こえていた。これは当たり前なのだが、日本国内では児童合唱を揃えるのは大変だから、N児がキャスティングできれば間違いないのである。
 一方独唱陣は酷い。ルイージの人選なのだろうか。第二ソプラノとテノールが特に酷く、中でもテノールは何とか唱い切ったレヴェル。声は悪いし、唱い切れない部分を誤魔化してばかり。ほぼブチ壊しに近い出来である。そして、第二ソプラノは単に下手。そして重唱部分ではフレーズの終わりがバラバラ。歌手も悪いが指揮者はもっと悪い。 オケも管楽器にミスが散見される注意力散漫な演奏。特にこの曲に沢山ある、フレーズの終わりでルバートして次で戻るような部分が揃わない。縦の線を合わせるという話ではなく、指揮者のやりたいことが奏者に伝わっていない感じがする。
 ルイージの指揮は取り立てることもない。テンポは中庸で目立った外連も工夫もない。第一部の二六二小節(Accende~の部分)にかなり速いテンポで突入したので、オヤっと思ったが、合唱が唱い切れず、途中から普通のテンポになってしまい消化不良な気がした。一番の問題は、曲に対する指揮者の思い入れが感じられなかった所か。
 N響レヴェルのオケになれば、千人も特別な祭りではなく、定期公演で取り上げる編成大きめの曲という程度なのだろう。二〇〇〇回だから特別という感じは無かったのは構わないのだが、独唱陣の力不足で不出来な演奏というイメージが残ってしまった。久々の千人だったのに途中で飽きてしまい、早く終わらないかなあと思ってしまった。何とも残念である。

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2019年11月11日 (月)

藤岡幸夫のサロメ

東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団第三二九回定期演奏会

ヴォーン・ウィリアムズ/「富める人とラザロ」の五つのヴァリアント
プロコフィエフ/ピアノ協奏曲第三番ハ長調作品二十六
伊福部昭/舞踊音楽「サロメ」(一九八七)

ピアノ/松田華音
管弦楽/東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団
指揮/藤岡幸夫

二〇一九年十一月九日 東京オペラシティコンサートホール

 東京シティ・フィルが伊福部昭の「サロメ」を取り上げるという。伊福部作品の中でも滅多に取り上げられない大作なので、万難を排して聴きに行った。
 この曲の初演にあたる一九八七年五月十五日の新星日響第一〇〇回定期演奏会。山田一雄の追っかけを始めていた高校生の私は、伊福部ではなく前後の曲を目当てにこの演奏会を聴きに行った。この余りに無防備な田舎者の高校生に、伊福部のサロメは情け容赦なく襲いかかり、私はわけもわからずノックアウトされて呆然となったのを覚えている。これが私の伊福部初体験であり、その後ヤマカズ/新星コンビでラウダ・コンチェルタータ、日本狂詩曲を聴くことが出来た。そして今では伊福部を聴きに札幌まで出掛ける伊福部ファンになってしまったのだ。幸いにも初演の模様はCD化され、二十代の頃には本当に数え切れないくらい聴いたものだが、その後生演奏に接する機会はなかった。私にとって、まさに待望久しいサロメなのである。

 藤岡幸夫という指揮者は今まで注目したことはなかったが、今回のサロメは実に素晴らしかった。とにかくよくスコアを読み込んでおり、強弱の付け方やテンポの動かし方など、しっかりと頭の中で組み立てた音楽を、入念な練習で音に組み上げていったのがよく判る。こちらも今までに発売された四種類の録音(山田一雄、金洪才、岩城宏之、広上淳一)をよく聴き込んでレコ勉は十分だ。しかし、その期待以上に藤岡はこの曲をより面白く聴き応えのあるものに仕上げていたと思う。プレトークで話していたとおり、サロメの主題を指定のアルトフルートではなくバスフルートで吹かせたのも、より重苦しい感じが出ており。サロメの心の闇を見事に表現できていたと思う。また、終曲の最後をテンポを煽らずに行ったのも立派。シンフォニア・タプカーラや日本狂詩曲もそうだが、伊福部作品は安易にコーダのテンポを上げると台無しになることが多い。藤岡はさすがによく解っていて素晴らしい。
 久々に聴いたシティ・フィルも大熱演。決して上手いオケではないが、荒削りな音色が伊福部の音楽に合っていたと思う。ヤマカズ新星のCDと同じようなところで金管がひっくり返ったりしていたのはご愛敬だが、藤岡に煽られて乗りに乗った演奏になっていたと思う。

 心の準備は十分にして臨んだサロメだったが、期待以上の素晴らしい演奏に、居ても立ってもいられないような気持ちになり、十代だったあの日に戻ったような錯覚を覚えた。
 あの初演の日、火の鳥、サロメ、ボレロという考えられない高カロリーなプログラムを組んだ新星日響。ヤマカズの配分を考えない棒に煽られた新星日響は、サロメを大熱演で初演したが、休憩を挟まず演奏されたボレロで大事故が起こった。客席がみんな同情する気の毒な事故だったが、後に関係者に聞いたところ、その奏者はそれから程なく退団したらしい。懐かしくも悲しいサロメ初演にまつわるエピソードである。

 藤岡幸夫が伊福部振りという印象は今まで無かったが、このサロメを聴いた限りではシティ・フィルとの相性もいいようなので、伊福部の他の作品も取り上げてほしいものだ。

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2019年11月 4日 (月)

水星交響楽団第六〇回定期演奏会

水星交響楽団第六〇回定期演奏会
一橋大学管弦楽団創立一〇〇周年記念

マーラー/交響曲第八番変ホ長調

独唱/國光ともこ、朴瑛実、高橋美咲(Sop.)、加納悦子、中島郁子(Alt.)、
   松原陸(Ten.)、藪内俊哉(Bar.)、成田眞(Bas.)
合唱/東京オラトリオ研究会、立川コーラスアカデミー、新星合唱団、
   コーラスアカデミーJAPAN、オルフ祝祭合唱団
児童合唱/オーケストラとうたう杜の歌・こども合唱団、四街道少年少女合唱団、
     FCT郡山少年少女合唱団、にしみたか学園三鷹市立井口小学校
合唱指揮/郡司博
管絃楽/水星交響楽団
指揮/齊藤栄一

二〇一九年一一月四日(月祝)すみだトリフォニーホール

 水星交響楽団は一橋大学管弦楽団のOBオーケストラらしい。私は一九九三年にマーラーの交響曲第三番を聴いたことがあるが、コンサートマスターが高校の同級生のK薗クンで驚いた記憶がある。そして、派生団体として国立マーラー楽友協会があり、年一回マーラーの交響曲第九番を演奏しているらしく、これは二〇一二年に聴いた。どちらもアマチュアらしい感動的な演奏だったので好印象を持っている。
 今回は一橋大学管弦楽団の創立百周年記念企画の「国立マーラー音楽祭」の一環で交響曲第八番(以下「千人」)を取り上げるということらしい。詳しい経緯は配布されたプログラム冊子に書いてあるようだが、老眼が進んで本もプログラム冊子も目次くらいしか読む気になれないのだ。

 アマチュアオーケストラなので、ラッパがひっくり返ったりすることは結構ある。しかし、そんな細かいミスが気にならないほど、齊藤の指揮は確固たる音楽を構築している。第九番を聴いたときにも感じたのだが、この指揮者の頭の中にはハッキリと自分の考える演奏の形が出来上がっているのではないか。だからオーケストラや合唱が付いてこられなくても音楽作りがブレない。そうなると聞き手側は、落っこちたりひっくり返ったパートを補完して聴くので、指揮者と聴き手の間に理想のマーラーが完結するのではないかと思う。
 もっとも、オーケストラは慣れているから阿吽の呼吸で引っ張って行けるが、慣れない独唱陣を合わせるのは大変だ。七人の独唱者を舞台前面に並べており、独唱者が指揮者を見にくいので余計に緊張感があった。勢いで行ける第一部は良かったが、独唱が多い第二部が安全運転気味になるのは仕方あるまい。エヴェレストの登山道ではないが、往年のバス歌手の死屍累々たる第二部のバス独唱など、合わせるのに精一杯だった感じだが、とにかくズレずに唱いきったのは立派。
 その独唱陣はレヴェルが高かった。アンサンブルとしてバランスが良く、特にバリトンとバスは声量も十分で聴き応えあり。テノールは表情は素晴らしかったが、もう少し声量が欲しかった。とは言え、神秘の合唱の前の長い独唱を、超スローテンポで唱い切ったのはお見事としか言い様が無い。女声陣は文句なし。アマチュアオーケストラの演奏会でこれだけのレヴェルの高いソリストが集められるというのは、日本の声楽界も人材が豊富なのだと感心する。
 混声合唱は五団体がクレジットされているので寄せ集め感があるが、実際は郡司博が指導する合唱団の集まりだ。これを博友会とか郡司合唱連盟とせず、各団体名を表記するのがいいと思う。あくまでそれぞれの合唱団であるが、共通の指導者の下で一つの音楽を作り上げていく姿勢が素晴らしいと思う。指導者が同じだから一体感があり安心の出来である。特に合唱の実力が試される、間奏曲の後から第二ソプラノの前までや、神秘の合唱の前などは素晴らしい出来だった。児童合唱は健闘していたが、声量が足らずやや埋没気味であったのが残念。
 合唱は三百人弱、児童合唱七十人強。オーケストラの編成は十八型くらいの絃に管楽器はほぼスコア通り。バンダはオルガンの左右でトランペット八、トロンボーン五。ティンパニは二対で両手打ちあり。鐘はチューブラーベルではなく鉄板のようなモノを使用していた。
 齊藤の指揮は時にテンポをぐっと落としたり、内声部を強調したりする部分もあったが、基本的にはキッチリと合わせる棒。オーケストラだけだと自由だが、児童合唱や独唱が入る部分では、非常に判りやすい指揮で、しっかりとまとめていた。この人の指揮に比べたら、七月に聴いたエッシェンバッハなんて子供の指揮真似である。アマオケにはこういう指導者が必要なのだと思う。
 水星交響楽団はマーラーをかなり積極的に取り上げているアマチュアオーケストラなので、かなり期待して臨んだ演奏会だったが、期待通りの素晴らしい演奏だったと思う。アマオケが千人をやることは今や珍しくないが、技術的にレヴェルが高いだけではなく、とても感動的な演奏であったと思う。

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2019年7月15日 (月)

群馬交響楽団第五五〇回定期演奏会

群馬交響楽団第五五〇回定期演奏会

チャイコフスキー/ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品三十五
チャイコフスキー/交響曲第四番ヘ短調作品三十六

ヴァイオリン/木嶋真優
管絃楽/群馬交響楽団
指揮/小林研一郎

二〇一九年七月十三日 群馬音楽センター

 コバケンこと小林研一郎が四月から群馬交響楽団のミュージック・アドヴァイザーに就任した。群響は音楽監督だった大友直人が退任して後任は空席。メンバー表に載っているのは他に名誉指揮者のトゥルノフスキーと高関健だけだ。もう名誉職だけでよさそうな七十九歳のコバケンがどんな演奏をするのか聴きたくて、就任披露の四月定期を聴いた。清水和音をソリストに迎えた「皇帝」と「英雄」というベートーヴェンプログラム。協奏曲は相変わらずな感じだったが、英雄はオケも本気になった名演であった。馴れ合いになりがちな在京オケより面白そうなので、七月定期にも足を運ぶ。四月は一回限りの演奏だったが、今回は十一日に東京公演、十四日に上田定期と、同プロ三公演である。元気とはいえ七十九歳のコバケンにはきつい仕事であろう。群響の定期公演も今回を含めあと二回となった群馬音楽センターは満席札止めの盛況。
 前半の協奏曲は特段のことはない感じだ。コバケンは暗譜で振っているので他の協奏曲よりはのびのびやっている感じがする。ソリストは初めて聴くヴァイオリニストだが、終始不貞腐れたような態度と表情が大物っぽい。よく見ていると不貞腐れているのではなく、音楽に没入するとああいう表情と態度になるようだ。
 メインの交響曲第四番はコバケン節全開だが、群響は木管楽器の安定感が不足し、独奏の度に心細くなる。オーケストラも良く鳴っているが、前回の英雄より抑え気味に感じられるのは三公演の中日だからか。コバケンのチャイコフスキーはCD化された一九九三~一九九五年のツィクルスが懐かしく思い出されるが、やっていることはさほど変わらないのに、あのときの全身の血液が逆流するような感動は起こらない。それは自分が歳をとったせいだろう。涙腺は緩くなったが心の感覚は鈍くなってる気がする。良くも悪くも昔と変わらないコバケンのアプローチだが、この四番に関してはずっと不満に思っている部分がある。第一楽章の終結部。コバケンは定石通り、三八一小節からテンポを上げていき、四〇四小節からギヤチェンジをしてテンポを落とす。しかしここは実演で聴いた山田一雄やバーンスタインのCDのように、繰り返しから目一杯アッチェレランドをかけて、四〇〇小節のアウフタクトからガクンとテンポを落とし、さらに四〇三小節からもう一段階テンポを落とすと物凄く効果的なのだが。五番であれだけやり尽くしてくれるコバケンのへの、贅沢な不満である。
 コバケンは相変わらず元気で、髪は白くなったが若い頃と変わっていない。それはメリハリの効いた音楽作りもそうだし、終楽章アタッカ病も、何かしゃべらないと終わらないところも、最後をもう一回演奏してアンコールにするところもだ。三楽章の終わりで絃楽器奏者が順番に弓を拾って行く様子など、コバケンならではの光景である。私も若かった頃は、マーラーの三番の後にアンコールでダニーボーイを演奏し始めたので席を蹴立って退場したのも若き日の想い出だ。今ではいいところ悪いところ含めてコバケンのファンであり、追っかけまではしないが自分かコバケンが死ぬまで、時々演奏会は聴きに行きたいと思っている。
 群響は五月の高関も聴いたので立て続けに三回聴いたが、本当にいいオーケストラだと思う。勿論在京オケの一流どころに比べれば非力で下手だが、地元の人々に愛されている感じがひしひしと伝わってくる。今シーズンはコバケンの定期登場は終わりだが、来期以降のラインナップによっては、時々聴きに行きたいと思う。

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2019年1月20日 (日)

バッティストーニの千人

フレッシュ名曲コンサート

マーラー/交響曲第八番変ホ長調

独唱/木下美穂子、今井実希、安井陽子(Sop.)、中島郁子、小林由佳(Alt.)、
   福井敬(Ten.)、青山貴(Bar.)、ジョン・ハオ(Bas.)
合唱/新宿文化センター合唱団(合唱指揮・:山神健志)
児童合唱/花園小学校合唱団(合唱指揮:根本潤子)、西新宿小学校合唱団(合唱指揮:草深陽子)、
     関北みどりの風合唱団、マーガレット少年少女合唱団
管絃楽/東京フィルハーモニー交響楽団
指揮/アンドレア・バッティストーニ

二〇一九年一月一九日(土)新宿文化センター

 新宿文化センターは周年事業で「千人」をやるのが好きなホールで、私の知る限りでは一五周年(一九九四年レナルト/都響)、二〇周年(一九九九年インバル/都響)、二五周年(二〇〇四年ベルティーニ/都響)、三〇周年(二〇一〇年レナルト/東フィル)に続き今回が五回目。フレッシュ名曲コンサートは、昔は都民名曲サロンという名称だった、東京都が各自治体に助成金を出してオーケストラの公演を行う事業。今回は開館四〇周年と都助成公演の合わせ技ということのようだ。

 バッティストーニという指揮者は大好きな指揮者で、何度も実演で聴いているが、正直なところ「千人」を振るといわれてもピンと来なかった。しかし、オペラが得意な指揮者だから、特に第二部は予想外の大名演もあり得るかと、期待と不安が入り交じった感じで会場へ向かった。
 今回は一階席のかなり前の方だと思っていたら、席に着いてびっくり、張り出し舞台を使っているので最前列の真ん真ん中。目の前に嵩上げされた指揮台がドンと置かれており、七人の独唱者は見えるが、指揮者は見上げても尻しか見えない。演奏が始まると指揮台の陰に入っているので、合唱はほぼ聞こえず、独唱者と絃楽器だけが聞こえる状態。全くどうにもならない。

 鑑賞条件は最悪だったが、演奏も悪い予感が当たり期待外れ。バッティストーニがそれほどこの曲に思い入れがないのか、練習時間が足りずにやり尽くせなかったのかは判らないが、そつなく進んでいく演奏。第一部も第二部も最後でテンポを煽ってみたりするものの、取って付けた感は否めない。その他にもいくつかの面白い試みはあったし、テンポも今時の指揮者としては動かしているのだが、いつもはバッティストーニの指揮から感じられる、表現意欲に棒の技術が付いていかない感じが無く、珍しく安全運転な印象であった。
 オーケストラと合唱はよく聞こえなかったが、独唱はしっかり聴くことができた。瞑想の教父(バス)のソロが一ヶ所ヨレヨレになった以外は落っこちも無く皆健闘していた。テノールの福井敬も自己陶酔的な唱い方が少しおとなしくなった感じで、前よりはましになった感じだ。残念だったのは第二ソプラノ。声量が無い上に声質が軽すぎて重唱部分になると埋もれてしまう。ドラマティックな歌唱が求められる罪を悔いる女のソロは、頑張って唱っており下手なわけではないのだが、何とも貫禄が無いのである。この声質ならば第三ソプラノ(栄光の聖母)を唱わせればピッタリだと思うし、四番のソロはこの人で聴いてみたいと思う。これはキャスティングのミスだ。
 合唱については殆ど聞き取れなかったので詳しくは書けないが、可もなく不可もなくというところか。よく練習している感じで安心して聴けたが、音程の難しいところなどはアマチュアらしく危うかった。児童合唱は小学生主体としては大健闘していたと思う。

 舞台上が殆ど見えなかったので備忘メモも薄い。合唱団は名簿によると混声合唱が約三二〇名、児童合唱が八〇名。オケはティンパニが一対、ハープ四以外は見えなかったので不明。バンダは二階席下手側中通路。栄光の聖母は見えなかったが、下手側壁面の照明室の窓から唱っていたようだった。ソリストは指揮者を囲む形で、舞台が狭いせいか譜面台は無し。第二部では第二ソプラノを移動させて、第一ソプラノ、第一アルト、第二アルト、第二ソプラノとしていた。これは三重唱部分があるためであろう。

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2018年10月15日 (月)

名古屋フィルハーモニー交響楽団第四六一回定期演奏会

名古屋フィルハーモニー交響楽団第四六一回定期演奏会

マーラー/交響曲第八番変ホ長調

独唱/並河寿美、大隅智佳子、三宅理恵(Sop.)、加納悦子、福原寿美枝(Alt.)、
   望月哲也(Ten.)、宮本益光(Bar.)、久保和範(Bas.)
合唱一/グリーン・エコー
合唱二/名古屋市民コーラス、名古屋混声合唱団、一宮第九をうたう会、
    混声合唱団名古屋シティーハーモニー、クール・ジョワイエ
合唱指揮/河辺康宏、荻野砂和子、神田豊壽
児童合唱/名古屋少年少女合唱団(合唱指揮:水谷俊二、谷鈴代)
管絃楽/名古屋フィルハーモニー交響楽団、、中部フィルハーモニー交響楽団
指揮/小泉和裕

二〇一八年一〇月一二日(金)、一三日(土)名古屋市民会館大ホール

 基本的な曲作りは先日の九響と変わらないが、充実感は大きく違った。九響を聴いた時も非常な感動と満足感を感じられたが、名フィルはそれを上回る。間違いなく今年のマラ八ラッシュの中で白眉の演奏と断言出来るだろう。私が聴きたいのはこういうマーラーである。とは言え、何か特別な外連があるわけではなく、旋律をたっぷり歌わせ、呼吸を大きく取り、時にテンポにメリハリを付けるという、ごく普通の事をやっているだけなのだ。フルトヴェングラーの逸話を持ち出すまでもなく、いい指揮者というのは立っているだけでいい演奏になるのだと思う。先日の九響と今回の名フィルを聴いて、今まで堅実な中堅指揮者という認識だった小泉和裕が、いつの間にか巨匠の域に達している事を感じた。
 小泉が指揮する音楽を聴いていると、自然体で小賢しい所は無い。テンポの動かし方や表情の付け方も極端ではないのだが、何とも恰幅が良く安心して聴いていられる。マラ八では、昨年聴いた広上淳一も素晴らしかったが、広上にはまだ計算ずくな所があり、思わぬディフォルメに感心しつつも、ちょっと音楽の流れが止まってしまう感じがあった。その点で、小泉は大向こうを唸らせようという意識は感じられず、自由に思ったとおりの音楽を作っていく感じだ。あまり練習できっちり作り込んだ感じではなく、大きく方針を決めて、後は奏者の自発性に任せている印象なのだ。なので、音楽に身を委ねていて誠に心地よく、いつまでも音楽が終わらないでほしいという気持ちになる。とにかく素晴らしいマラ八で、今まで聴いたマラ八の中でもベストを争う出来であったと思う。
 備忘録として、絃は二〇型、テューバ二、ハープ二、マンドリン一、ティンパニ三台×二人で両手打ちは無し。鐘はチューブラーベル使用。第一部のシンバルは一回目が吊りシンバル×三、二回目が合わせシンバル×三。第二部の冒頭、シンバルは摩擦奏法なし。独唱はオケと合唱の間。合唱の並びは奥が男声、手前中央が児童で両側が女声。金管バンダは上手側の花道に配置、栄光の聖母は下手の側壁にある照明用?の窓から唱っていた。
 独唱は第三ソプラノ、第二アルト、バリトン以外は九響と同じ。九響同様第二ソプラノが大変素晴らしく、特に第二部の罪を悔いる女の最後の所は鳥肌が立った。九響ではいなかった第三ソプラノ、第二アルト、バリトンは好演、一方でテノールは頑張っていたが声質が悪く、バスは音量が足りなかった。第一ソプラノは、最後の神秘の合唱でハイCの後の二つの音を唱っていなかった(又は聞こえなかった)。九響ではハイCを絶叫した後、息継ぎをして歌っていたと記憶しているが、二日ともそうだったので、ここは指揮者の解釈(妥協?)なのかもしれない。
 合唱は地元の合唱団で、第一コーラスと児童合唱は単一の団体、第二コーラスは五団体の合同。特別上手というわけではないが、よく纏まって安定感があった。小泉は合唱団を第一部では立たせたまま、第二部でも立ったり座ったりを最小限にしていたが、これは素晴らしいと思う。全曲立っていろとまでは言わないが、某アマチュア合唱団みたいにやたら立ったり座ったりするだけでなく、第二部の最初は座って唱うみたいなやり方は気が散っていけない。また、初日は合唱団員が二人倒れてハラハラしたが、二日目は倒れる人はいなかったようだ。今回の合唱を聴いて、先日の読響のときに音大生合唱団に感じた纏まりの無さは、声の若さ故ではないかと改めて感じた。

 今回は愛知芸術劇場が改修中の為、古い名古屋市民会館での公演だったが、舞台が広く取れるので結果的には良かったのかもしれない。オルガンが電子オルガンだったのは残念だが、音響的にも過剰な残響はかえって邪魔な曲なので、各パートが見通良く聞こえたと思う。
 今回は金土定期の二日とも聴いたが、三日目があったらもう一度聴きたい。それぐらい素晴らしいマラ八だった。名古屋まで遠征して本当に良かった。

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2018年10月 9日 (火)

関西グスタフ・マーラー交響楽団第八回演奏会

関西グスタフ・マーラー交響楽団第八回演奏会

マーラー/交響曲第八番変ホ長調

独唱/安藤るり、老田裕子、端山梨奈(Sop.)、八木寿子、福原寿美枝(Alt.)、
   二塚直紀(Ten.)、小玉晃(Bar.)、武久竜也(Bas.)
合唱/京都大学音楽研究会ハイマート合唱団、大阪混声合唱団有志
児童合唱/寝屋川市立第五小学校、メイシアター少年少女合唱団
管絃楽/関西グスタフ・マーラー交響楽団
指揮/田中宗利

二〇一八年一〇月八日 京都コンサートホール

 関西のアマオケによる千人。備忘録として、オケは十六型くらいで、対向配置。チェロが下手でコントラバスは正面一番奥。ピッコロ、小クラリネット各一。ハープ二、マンドリン三(絃楽器と持ち替え)。合唱は第一が約八〇名、第二が約七〇、児童が約二〇名で、並びは下手から男声、女声、児童、女声、男声。金管バンダは第一部がオルガン下手のボックス、第二部は上手側のオルガンと合唱の間。独唱者は第一部が舞台前面で、下手がソプラノ、上手がバス。第二部は合唱の前(P席一列目)で、バスの上手に栄光の聖母。マラ八を随分聴いてきたが、栄光の聖母が他の独唱者と並んでいるのは初めて見た。ティンパニは二組で両手打ちは無し。マンドリンを絃楽器奏者(第一ヴァイオリン、第二ヴァイオリン、ヴィオラ)が持ち替えるというのは、プロには出来ない素晴らしいアイディアだ。一ヶ所に纏まっていないのでバラバラに聞こえたのは御愛嬌であろう。
 今回のマラ八ラッシュの中では、技術レヴェルは一番低く、人数も最小限(児童合唱は最小限未満)だが、これでマラ八が上演出来てしまうと云うのは凄いと思う。絃のレヴェルは十分。昔はアマオケと云えば絃が揃わなかったものだが、昨今のオケは本当にレヴェルが高い。金管の高音が盛大にひっくり返ったり、ここ一番でシンバルが空気打ちをやらかしたりしていたが、オーケストラのメンバーは楽しそうに演奏していた。合唱も人数が少なく音量は不足気味ではあったが、よく練習している感じだった。二つの常設合唱団が第一コーラスと第二コーラスを分担しているので、技術的にはもう一歩だが、よく纏まっていたと思う。先日の音大生寄せ集め合唱団(読響)は一人一人はちゃんと歌えていても合唱団としての纏まりが感じられなかった。音大生レヴェルを寄せ集めて一夜漬けで唱わせるよりは、下手でも常設の合唱団がしっかり練習した方が出来がいいようだ。児童合唱は頑張っていたが、さすがにこの人数(メンバー表によれば十八人)ではどうにもならない。客席の最前列にでも並べないと聞こえないだろう。
 独唱陣はとても良かった。特に女声の四人が素晴らしいアンサンブルを聴かせていた、またテノールも特筆に値する素晴らしさで、感動的だった。一方、バスは音量的に苦しく、栄光の聖母は雰囲気の無い歌唱だった。
 指揮者は時にテンポをぐっと落としたりして、なかなか面白い部分があった。職業指揮者なのかどうかはよく判らないが、オールアマチュアのこの面々をよくぞここまで纏めたと思う。一方で、第一部、第二部とも最後の部分を全く撓めずにあっさり進めてしまう辺り、盛り上げようという意思は全く感じられなかった。なので、途中はそれなりに良かったのに、最後があっさりなので拍子抜けという印象だ。
 最後に疑問点を二つ。まず、金管バンダの扱い。第一部はオルガン左のボックス、第二部は上手側のオルガン前。第一部が終わってバンダが移動し始めたので、ボックスに栄光の聖母が入るのかと思ったら違った。この移動は指揮者の位置からだと何か違うのかも知れないが、客席から聴くと意味が無い。音響的には金管バンダは客席側に配置したい。費用の問題はあるが、インバルがやる二倍にして客席後方の上手下手に分けて、客席全体が音の渦に巻き込まれるのがいいと思う。次に独唱者の位置。第一部は指揮者の上下。第二部はP列一列目。曲の性格からして、独唱者は、第一部はオーケストラと合唱の間、第二部は舞台前面に配置したい。新日本フィルを振ったハーディングはバリトンとバスを、先日の読響を振った井上道義は男声三人を第二部だけ舞台前面に移動させていた。これが成功していたかどうかは別にして、やりたいことはよく判る。しかし、第二部で独唱を奥にして、栄光の聖母を並べてしまうのはどういうことか。オルガン下手のボックスでも、バルコニー席でも、栄光の聖母を配置する場所は幾らもあるだろうに。この、無意味又は逆効果としか思えないバンダと独唱の移動についてどんな効果を狙ったのか聞いてみたいものだ。少なくとも客席で聴いていて、「ハハン、なるほどね」と合点する部分は全くなかった。
 あっさり曲が終わった瞬間、盛大にブラヴォーと絶叫する輩がいたのも興醒めだった。このオッサン、その後も発声練習みたいに騒ぎ続けていた。あれでは、ただ大声を出したい人だ。まあ、アマオケだと時々見かける頑張りすぎて周りを引かせるサクラだったのかも知れないが。

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2018年10月 3日 (水)

井上/読響の千人

東京芸術劇場presents 井上道義&読売日本交響楽団

マーラー/交響曲第八番変ホ長調

独唱/菅英三子、小川里美、森麻季(Sop.)、池田香織、福原寿美枝(Alt.)、
   フセヴォロド・グリフノフ(Ten.)、青戸知(Bar.)、スティーヴン・リチャードソン(Bas.)
合唱/首都圏音楽大学合同コーラス(合唱指揮:福島章泰)
児童合唱/TOKYO FM少年合唱団
管絃楽/読売日本交響楽団
指揮/井上道義

二〇一八年一〇月三日 東京芸術劇場大ホール

 周年事業などではない東京芸劇の自主事業。予算が余っているのだろうか。
 絃は十六型、ハープ四、マンドリン二、ティンパニは二組で、両手打ちは無し。合唱は首都圏の音大(上野、国立、昭和、洗足、桐朋、東京、藝大)の学生と、OBと東響コーラスの男声が賛助出演で約二五〇名、児童合唱は約三〇名。金管バンダと栄光の聖母はオルガンバルコニーに配置。
 合唱はここのレヴェルは高いのだが、やはり寄せ集めのせいか纏まらない感じがした。一方、児童合唱は少年だけと云うこともあり、人数は少ないが理想的な発声で大健闘していた。もっとも私の席は一階前方上手側で、児童合唱(舞台上手のバルコニー席)に近いので聞こえやすかったのだが。
 声楽陣は女声は及第点だが男声に不満が残る。バリトンは好演だったが、見せ場の一番高い音が苦しいと云うよりは出ていなくて残念。外人歌手のテノールは下品な唱い方で興醒め。同じくバスは吠えるところは大声なのだが、それ以外は体格ほど声量はない。何故わざわざ外人歌手をキャスティングしたのか疑問。独唱は一部ではオーケストラと合唱の間だが、第二部は男声だけ指揮者の左右に移動。これはいいと思う。
 井上道義の指揮は、何年か前に名古屋のアマオケ&合唱団の寄せ集めを指揮した時の印象で全く期待していなかったのだが、今回はプロオケと音大中心の合唱と云うことで随分印象が変わった。前回は全く何をやりたいのかが伝わってこなかったが、それは巨大編成の素人たちを纏めるだけで精一杯だったと云うことなのだろう。今回は特にオーケストラだけの部分がそこそこ充実した音楽になっていたと思う。所々で普段聞こえにくい金管が聞こえたりして、面白く感じる部分があったのは収穫だと思う。アマオケ相手の時には神秘の合唱で照明を落とすような小細工をしていたが、今回は第二部全体で照明をやや落とす程度で、わざとらしい感じにはなっていなかった。
 今回特筆すべきは児童合唱の好演。学生の合唱団も纏まりは無かったが、健闘していたと思う。CD化用らしいマイクロフォンが林立していたが、バランスを調整すればCD化は可能だろう。ひっくり返る木管奏者や、携帯を鳴らす客がいなくて本当に良かったと思う。

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2018年9月30日 (日)

びわ湖ホール開館二〇周年記念演奏会(振替公演)

びわ湖ホール開館二〇周年記念演奏会(振替公演)

マーラー/交響曲第八番変ホ長調

独唱/横山恵子、砂川涼子、幸田浩子(Sop.)、谷口睦美、竹本節子(Alt.)、
   清水徹太郎(Ten.)、黒田博(Bar.)、伊藤貴之(Bas.)
合唱/びわ湖ホール声楽アンサンブル、千人の交響曲」合唱団(合唱指揮:田中信昭)
児童合唱/、大津児童合唱団
管絃楽/京都市交響楽団
指揮/沼尻竜典

二〇一八年九月二十九日 滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール

 びわ湖ホールの開館二十周年記念演奏会は九月三十日(日)に行われる予定だったが、大型で非常に強い勢力の台風二十四号が直撃する予想となった。二十八日(金)の段階でびわ湖ホールの告知は。「三十日は予定通り十四時開演の方針だが、二十九日(土)十六時からに緊急臨時公演を行う」というもの。チケットを持っている人は両公演とも聴ける。前回の二十一号台風でJR西日本はあっさり全便運休を決め、世論調査でも好評だったので、今回も運休しそうだ。こうなったら二十九日に行くしかない。仕事中にこっそり高速バスを予約して大津へ向かう。昼過ぎにJR西日本より三十日午後の全便運休が発表され、会場に入ると三十日の公演中止が告知されていた。

 前売りは完売だったらしいが、急な日程変更のため入りは半分程度。びわ湖ホールにとって運が良かったのは京響が去年の三月にマラ八を上演していたことだろう。下地があったから練習が一日減っても上演出来たのではないだろうか。勿論全ての出演者、関係者の、想像も付かない大変な努力によって、完全な中止ではなく前日に振り替えるということが出来たのだと思う。私は昔、音楽制作関係にちょっとだけ関わったことがあるので、この規模の演奏会の日程を替えると云うことの大変さが想像出来る。本当に頭の下がる思いだ。

 それはさておき、演奏内容だが、独唱陣の健闘が素晴らしかった。特に第一アルトと男声陣が良かった。アルトの谷口睦美の声量は驚くほどで、他の六人とのバランスは悪いが、往年の佐藤しのぶと並べても引けをとらない声量だ。合唱も御大田中信昭の指導の賜か、児童合唱を含めレヴェルが高かった。混声合唱約二百、児童合唱約五十と人数が少なかったので、ここ一番でもう少し迫力が欲しいと思ったのは贅沢か。

 以下、毎度のメモ。絃は十六型。ハープ二、マンドリン一、ピッコロと小クラリネット各二、ティンパニは二対で両手打ちは無し。チューブラーベルではなく鉄板使用。児童合唱は合唱壇の下手側、金管バンダは三階下手、栄光の聖母は三階上手。
 沼尻の指揮は予想通りそつないものだった。今までのイメージ通り、速めのテンポでスラスラ進めていき、表現欲が全く感じられない交通整理的な棒だ。と云うものの、この公演の指揮者が沼尻だったからこそ、前日に振り替えるというウルトラCが可能だったのだと思う。往年のヤマカズ先生だったら途中で間違いなく崩壊していただろうし、アサヒナ御大だったらそもそも振替公演を是としないだろう。小器用でそつがない指揮者だったからこそ何とか上演に漕ぎ着けたのだ。
 貴重なマラ八の生演奏を聴く機会が一回失われずに済んだ。関係者の努力に改めて感謝したい。そしてJRの運休が三十日の十七時過ぎまで続いて、私の手元にある「ぷらっとこだま乗車票」が無事払い戻しになることを祈るばかりだ。

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2018年9月23日 (日)

九州交響楽団第三七〇回定期演奏会

九州交響楽団第三七〇回定期演奏会

マーラー/交響曲第八番変ホ長調

独唱/並河寿美、大隅智佳子、吉原圭子(Sop.)、加納悦子、池田香織(Alt.)、
   望月哲也(Ten.)、小森輝彦(Bar.)、久保和範(Bas.)
合唱/九響合唱団、九州大学男声合唱団コールアカデミーほか
児童合唱/NHK福岡児童合唱団MIRAI、久留米児童合唱団、筑紫女学園中学校音楽部
合唱指揮/横田諭
管絃楽/九州交響楽団
指揮/小泉和裕

二〇一八年九月二二日 アクロス福岡シンフォニーホール

 やはり格が違う。九響は決して一流のオケとは言えないが、やはりアマオケや音大オケとは違う安心感があり、小泉和裕のどっしりした音楽作りと相まって、安心して聴ける。混声合唱はオール福岡的な寄せ集めだが、それを感じさせない纏まりの良さは特筆に値する。おそらく全体を纏める合唱指揮者が相当入念な練習を重ねたのだろう。N児福岡を中心の児童合唱も高いレヴェルだった。
 小泉は基本的に奇をてらうようなことはしないが、ここ一番で見せる思い切ったためや、極端にではなくぐっとテンポを落としてじっくり聴かせる部分など、いぶし銀の棒だ。第一部の最後、金管バンダが入る部分でテンポを上げて台無しにする浅はかな指揮者が多いが、小泉はテンポを落として始まり、合唱や金管の上行音階をしっかり聴かせつつ徐々にテンポを上げていくという、思わず「その手があったか!」と唸ってしまう処理を、ごくごく自然に行っていた。ここだけ聴いても凡百の指揮者とは次元が違うのだが、それを派手に見せるのではなく、当たり前のようにやってしまうところが凄い。
 以下、気づいた点を列挙する。絃は一六型、ピッコロ二、ホルン九、ハープ二、マンドリン一。金管バンダは上手側三階バルコニー席、栄光の聖母は三階席正面(多分)。独唱はオケと合唱の間。アクロス福岡は張出を使うとかなり舞台が広く、巨大な合唱台を組んでも舞台上に余裕があった。
 ティンパニは四台二組。第一部のzu2は両手打ち、第二部は片手打ち。チューブラーベルではなく鉄板を使用。シンバルの扱いが面白く、第一部の再現部手前(二人または三人同時打ち)は吊りシンバルを使わず合わせシンバル二人、再現部冒頭は合わせシンバル三人。第二部頭の合わせシンバルのピアニシモは、片方の縁でもう片方を擦り上げる奏法を使わず、大きなシンバルをそっと合わせていた。
 声楽陣はバランスが悪かった。特に第一ソプラノとテノールが不安定。テノールは縮緬ヴィブラートで自己陶酔的な唱い方が耳障りだった。第一ソプラノは途中までは良かったのだが、神秘の合唱のハイCをまさかの大絶叫して、まさかの息継ぎ。この曲の場合ソプラノとテノールは音域的に苦しいならオファーがあっても引き受けてはいけない。その一方で第二ソプラノが素晴らしく、第二部の罪を悔いる女のソロは鳥肌が立った。

 小泉和裕という指揮者は抜群の安定感だけではなく、それ以上の何かを持っている人だと感じる。それが派手なパフォーマンスや、太い政治力などならば一枚看板になるのだろうが、ピッチャーで言うと中継ぎのエースという感じだろうか。東京では都響にポストがあるが、なかなか聴く機会がない。レパートリーが渋くて私の好きな曲とかぶらないせいもあるが、もっと聴きたい指揮者だ。来月の名フィルが待ち遠しく感じる。

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