2017年3月27日 (月)

広上/京響の千人

京都市交響楽団第六一〇回定期演奏会

マーラー/交響曲第八番変ホ長調

独唱/髙橋絵理、田崎尚美、石橋栄実(ソプラノ)、清水華澄、富岡明子(アルト)
   福井敬(テノール)、小森輝彦(バリトン)、ジョン・ハオ(バス)
合唱/京響コーラス他、京都市少年合唱団(合唱指揮:小玉晃、浅井隆仁)
管絃楽/京都市交響楽団
指揮/広上淳一

二〇一七年三月二十六日(日)京都コンサートホール

 このブログもすっかりやる気が無くなって、最近では鮎釣りと千人の報告しか書いていない。もうやめてもいいんだけど何となく惰性で、と言うよりは自分の備忘録として書いている感じがする。

 京響を聴くのは二回目。前回は四半世紀以上前。京都会館でヤマカズの指揮だった。マーラーの千人も最近はそつなくまとめた演奏が多くガッカリすることが多いが、広上は期待通りの大名演。テンポの動きや表情の付け方などやりたい放題で気持ちがいいし、オーケストラも合唱もよく要求に応えていた。広上は合唱に弱音を求めず、第二部のバリトンのソロまでの部分や、最後の神秘の合唱もメゾピアノくらいで唱わせていた。朝比奈の録音などもそうだが、やはりここは大人数の合唱が微かに唱うという効果があった方がいいように感じた。合唱は混声二百人、児童七〇人くらいの規模で、広上の要求によく応える好演。児童合唱の発声も素晴らしい。独唱陣は八人中三人が代演であったが、女声が好演。特にソプラノの二人(髙橋、田崎)がここ一番で素晴らしい声量を出して、いいアクセントになっていた。一方でこちらも代演のテノールはいつも通りカラオケオヤジ的歌唱で不愉快。バスはアンサンブルでは良かったが、第二部のソロは一本調子な上に声量も足らなかった。
 オーケストラは十六型。ハープ二、マンドリン一。指揮者を囲むように独唱者を配置し、その奥(第二アルトの後ろ)にマンドリンとチェレスタを配置。バンダはオルガンの下手にある高いバルコニー、第三ソプラノは合唱とオルガンの間の仮設の台の上。ティンパニは三台づつ二組で、zu2の両手打ちは無し。チューブラーベルを使わず鉄の棒のようなものを叩いていたので、そこだけ復活の最後みたいでおかしかった。
 最後の大合唱の直前(一五〇五小節)の第二コーラスの女声だけにスラーが付いているのを気がつかせてくれたのは二〇〇四年の広上/日本フィルによる演奏だったが、今回はかなりデフォルメして、他の全パートを全部切ってかなり引っ張っていた。ちょっとやり過ぎな感じもするが、実演だからこれくらいでいいと思う。第一部の最後でテンポを煽ったり、バンダや第三ソプラノの配置など、部分的に広上の表現は私のイメージとは異なるが、これだけ思い切った表情付けをしてくれれば、そんな不満は吹っ飛んでしまう。指揮者の仕事とはこういうことだと思う。
 広上淳一はお互いにまだ緑の黒髪華やかなりし頃から聴いているが、一時大人しくなったように感じていた。しかし、今回の千人は二〇〇四年に日本フィルで聴いたときより遥かに素晴らしくやり尽くしている。広上が化けたのか、京響との相性がいいのか。これが在京オケだったら、広上を聴くために定期会員になりたいところだ。

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2016年9月 9日 (金)

ヤルヴィの千人

N響90周年記念特別演奏会

マーラー/交響曲第八番変ホ長調

独唱/エリン・ウォール、アンジェラ・ミード、クラウディア・ボイル(ソプラノ)、
   カタリーナ・ダライマン、アンネリー・ペーボ(アルト)
   ミチャエル・シャーデ(テノール)、ミチャエル・ナジ(バリトン)、
   アイン・アンガー(バス)
合唱/新国立劇場合唱団(合唱指揮/菅原恭平)、栗友会合唱団(合唱指揮/栗山文昭)
児童合唱/NHK東京児童合唱団(合唱指揮/金田典子)
管絃楽/NHK交響楽団
指揮/パーヴォ・ヤルヴィ

二〇一六年九月八日(木)NHKホール

 N響の九〇周年記念公演。N響にとってマーラーの交響曲第八番(以下「千人」)を取り上げるのは一九四九年(山田和男/日本初演)、一九九二年(若杉弘)、二〇一一年(シャルル・デュトワ)に続く四回目。

 ヤルヴィの指揮は放送で何度か聴いているので、最初から全く期待はしていない。演奏が始まると予想通り。サラサラと前に前に進んでいく今時の演奏だ。千人も簡単になったもので、そろそろ名曲コンサートの演目になるのかも知れない。思い入れが一つもない音楽が流れていき、心に何も残らない。フレーズの移り目でルバートして撓めるなんざ、一九世紀生まれのやることなのかも知れない。
 N響は記念特別演奏会とは思えない無難で雑な演奏。合唱は混声、児童合唱ともレヴェルが高く安心して聴いていられた。独唱者はバランスは悪くなかったが、テノールと第二ソプラノのレヴェルが低かった。何とも取り立てて書くことのない千人だったのだが、特別だったのが第三ソプラノ(栄光の聖母)を唱ったクラウディア・ボイル。今まで聴いたどの栄光の聖母より素晴らしく、Wenn er dich の高い変二音をヴィブラート無しのピアニシモで唱い出したときにはゾクゾクして鳥肌が立った。この栄光の聖母を聴けただけで十分に収穫のある演奏会だったと言えるほど、素晴らしい出来だったと思う。
 後は備忘録として。絃は一八型、管楽器は指定通り、マンドリンは一人、ハープは四台。独唱者は舞台前面に下手から第二アルト、第一アルト、第二ソプラノ、第一ソプラノ、指揮者を挟んでテノール、バリトン、バス。第三ソプラノはオルガンバルコニー。バンダは二階席後方(見えなかったので多分)。ティンパニは二奏者(四台二組)でzu2は両手打ちはなし。

 会場で配られたプログラム冊子も、曲目、出演者、出演者プロフィール、曲目解説、歌詞対訳、賛助会員名簿だけが通り一遍に掲載されているだけで、九〇周年についての記事、団員名簿、他公演の案内などは一行も触れていないという何とも投げやりな代物。普通理事長の挨拶文や、九〇年の略年表くらいは載せるだろう。そんなにやりたくないのなら、周年事業は百周年まで待てばいいのに。演奏もプログラム冊子も気負いゼロ。祝祭的な雰囲気の全く感じられない九〇周年記念演奏会だった。

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2016年7月 2日 (土)

ハーディングの千人

新日本フィルハーモニー交響楽団第五六〇回定期演奏会

マーラー/交響曲第八番変ホ長調

独 唱/エミリー・マギー、ユリアーネ・バンゼ、市原愛(ソプラノ)、
    加納悦子、中島郁子(アルト)、サイモン・オニール(テノール)、
    マイケル・ナギー(バリトン)、シェン・ヤン(バス)
合 唱/栗友会合唱団(合唱指揮:栗山文昭)
    東京少年少女合唱隊(合唱指揮:長谷川久恵)
管絃楽/新日本フィルハーモニー交響楽団
指揮/ダニエル・ハーディング

二〇一六年七月一日 すみだトリフォニーホール

 ハーディングという指揮者は、以前外国のオケでマーラーの交響曲第一番を聴いたが、印象は「笑うツボが違う」という事だった。今回も同じで、私が思う「ここで撓めて」とか「ここはたっぷり」とか思うところをサラサラッと通り過ぎてしまう。それでいて、予想外の表現に「やられたあ!」と感心することも無い。大団円の部分を一切撓めずにスラスラ進めて行くのを聴きながら、「千人」も普通の曲目になったものだと妙な感慨を持った。そのうち春の祭典のように名曲コンサートのレパートリーになるのかも知れない。

 今回の演奏で気づいたことを並べておく。オルガンの上手に児童合唱、下手側にバンダと栄光の聖母を配置。これだと金管バンダの効果はゼロ。ホールの物理的制約もあるのだろうが、バンダは客席側に置いて、聴衆の背後から鳴って欲しい。チューブラーベルをオクターヴで叩かせるのは最近増えてきたが、音が浮き上がらず悪くないと思う。ティンパニは三台づつ二組で、両手打ちは無し。シンバルの複数打ちは、一回目は吊りシンバル三枚、二回目はクラッシュシンバル三組。独唱者の位置はオーケストラと合唱の間だが、第二部のバリトンとバスの独唱だけは舞台前面(指揮者の上手側)に移動して歌わせていた。これは画期的な試みで、以前から私は第一部の独唱はオケと合唱の間、第二部は舞台前面で唱って欲しいと思っていた。今回はバリトンとバスだけだったが、十分効果があったと思う。広い舞台に少なめの合唱団で、演奏中にソリストが移動する通路を確保出来たから可能だったのだろう。なお、第二部で(もしかすると第一部から?)ソプラノの第一と第二の立ち位置を入れ替えていたのも、以前に誰かがやっていたと思うが、三重唱(第一ソプラノとアルト二人)が多い構成から考えて妥当だったと思う。

 オーケストラは金管の裏返りなどが耳に付く雑な仕上がりだったのが残念。三回公演の初日なので、抑え気味だったせいもあるが、お仕事モードだった印象。その反面、合唱のレヴェルは非常に高かった。栗友会も東京少年少女合唱隊も人数は少なめだったが、そんな不満を一切感じさせない完成度だった。独唱陣では第二ソプラノと、急な代演だった第二アルトがやや苦しかったのと、第三ソプラノがヴィブラート過多な唱い方で栄光の聖母らしくなかったのが残念。舞台前面で唱ったバリトンの独唱は出色の出来だった。

 今年は「千人」の当たり年で、四種の演奏を聴くことが出来る。残りは九月のN響だが、ヤルヴィの千人というのは今一つピンと来ない。来年の広上、山田和樹の方に期待が高まる。

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2016年5月 9日 (月)

リンクの千人

NPO法人おんがくの共同作業場設立15周年記念?音楽復興支援公演?マーラー『千人の交響曲』

マーラー/交響曲第八番変ホ長調

独 唱/國光ともこ、朴瑛実、見角悠代(ソプラノ)、増田弥生、清水華澄(アルト)、
    望月哲也(テノール)、大井哲也(バリトン)、青山貴(バス)
合 唱/新星合唱団、東京オラ トリオ研究会、東京ライエンコーア、小平コーラス・アカデミー、
    立川コーラス・アカデミー(指導/郡司博、渡部智也、内藤裕史)
    FCT郡山少年少女合唱団 (特別出演、指導/渡部昌之)、
    多摩グリーンロタキッド・クラブ(指導/鈴木直人)、
    オーケストラとうたう杜の歌・こども合唱団(指導/津上佳子)、
    三鷹中央学園三鷹市立第三小学校合唱団 (指導/小林荘子)
管絃楽/ブルーメン・フィルハーモニー
指 揮/ジェフリー・リンク

二〇一六年五月五日(木祝) 東京芸術劇場

 NPO法人おんがくの共同作業場は合唱指揮界の重鎮、郡司博が指導するアマチュア合唱団をまとめて制作面の面倒を見ている団体だ。アマチュア音楽団体共通の悩みである裏方不足を解消する、複数の団体が共同で制作部門を持つという画期的な方法で、今年で創立十五年とのこと。その記念演奏会を聴く。

 まず千人をやる上で気になるのは編成の大きさ。オーケストラは十四型で、管楽器などは最小編成(ハープ二、マンドリン一)、ティンパニは一対、ハーモニウムは電子楽器。合唱はおおよそ混声二百、児童七十名。千人の上演規模としては小さめで、芸劇の舞台とバルコニーA列を一杯にして張出舞台は組まずに舞台に乗せきった。独唱者は指揮者の左右、第三ソプラノはオルガンバルコニーに、金管のバンダは三階席上下の通路に配置されていた。

 演奏は大人の千人という印象。どうしてもアマチュアの千人というとエキサイティングな演奏を想像してしまうが、合唱もオーケストラも温度は上がっても決して叫んだり怒鳴ったりにはならず、踏み外しのないものだった。リンクの指揮は全体的に速めのテンポで進んでいくが、テンポの動きやルバートは随所に見られた。基本的な流れや決め所の感じはインバルに近いのだが、同じような音楽作りでもインバルに感じた厳しさのようなもの(デュトワはもっと厳しい感じがした)が感じられず、常に穏やかな雰囲気であり、オーケストラも合唱も楽しんで演奏している印象であった。また、独唱陣は全員が音域的に苦しかったり、音量的にかき消されがちだったりという場面はあったが、突出した人のいないバランスの取れたアンサンブルであった。これはオーケストラの編成が小さめで、指揮者がバランスに気を配っていた結果かも知れない。オーケストラはアマチュアらしい金管楽器の裏返りや、シンバルの打ち損ないなどはあったが、決して事故というレヴェルではなく、リンクの丁寧な棒の下落ち着いた演奏を繰り広げていた。

 派手さの無い演奏だったので、客席も千人にしては大人しい反応だったが、私にとっては満足度の高い演奏だった。一九九〇年代位までは、取り上げるだけで事件だった千人。当然演奏はエキサイティングで、客席は興奮の坩堝というのが普通だった。それに比べると上演機会もずっと増えて、普通の演目になった千人を様々なアプローチで聴けるのは嬉しいことだ。欲を言えばアマチュアらしい踏み外しがあってもよかったが、今や合唱指揮界の大御所となった郡司にそれを求めるのは筋違いだろう。

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2016年3月 2日 (水)

マーラー祝祭オーケストラ特別演奏会

マーラー祝祭オーケストラ特別演奏会

マーラー/交響曲第八番変ホ長調

独唱/森朱美、三谷結子、日比野景(ソプラノ)、蔵野蘭子、小林由佳(アルト)
   又吉秀樹(テノール)、大井哲也(バリトン)、長谷川顕(バス)
合唱/マーラー祝祭特別合唱団(合唱指揮/高橋勇太)
児童合唱/成城学園初等学校合唱部、中央区プリエールジュニアコーラス、カントルム井の頭(合唱指揮/古橋富士雄)
管絃楽/マーラー祝祭オーケストラ
指揮/井上喜惟

二〇一六年二月二十八日(日)ミューザ川崎シンフォニーホール

 本頁に何と指揮者ご本人からコメントをいただきました。大変光栄なことなので、記事の内容も全面的に修正させて頂きます。

 指揮者ご本人によれば出演者は全員命がけでやっていた演奏会だそうだ。戦争ですら本当に命を賭けているのは最前線の兵隊だけなのだから、全員命がけの演奏とは滅多に接することの出来ない、一期一会の出来事というべきだろう。破綻無く完奏して、出演者全員が大きな達成感を得たのであろうことは想像に難くない。大勢の人間が命がけでひとつの音楽を作り上げていくというのは何と尊いことであろうか。

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2016年1月31日 (日)

山田和樹マーラー・ツィクルス《第2期》

山田和樹マーラー・ツィクルス《第2期》

主催/Bunkamuraオーチャードホール
管絃楽/日本フィルハーモニー交響楽団
指揮/山田和樹

【第四回】
武満徹/系図*
マーラー/交響曲第四番ト長調
語り/上白石萠歌*
ソプラノ/小林沙羅

二〇一六年一月三十日(土)オーチャードホール

 山田和樹と日本フィルによるマーラーツィクルス。第二期の今年は四、五、六番の三曲。去年の第一期では版の問題で何がやりたいか判らなかった一番、名演でCDになった二番、ミスだらけで及第点にも達さなかった三番と出来にムラがあったが、今期はどうなるだろうか。

 第一楽章は冒頭から大人しい演奏。別に大きな表情付や外連が必要とも思えないが、何だか聴いていて楽しい感じがしない。バーンスタインみたいに表情を濃くするのも悪くないが、表情は大人しくてもヴァルターのように共感に溢れていれば幸せな音楽になるはずだ。残念ながらそのどちらでもなく、後半で一か所だけ大きくルバートをした以外特筆すべきことも無く、実に淡々と音楽が進んでいく。聴き手の心が暖まる前に終わってしまった感じがする。
 第二楽章も同様。この楽章では最も重要と思われる、ヴァイオリンソロの諧謔味・不気味さも薄く、淡々と音楽が進んでいく。この辺まで聴いていて気がついてきたのだが、何だか今日の日本フィルはやる気がない感じがする。
 第三楽章は好きな楽章である。冗長だという意見もあるが、生で聴いていると段々陶酔的な感じになっていき、クライマックスの天国の扉が開く部分(個人のイメージです)で我に返る感じが好きなのである。山田の音楽作りはこの楽章に向いているだろうと期待したのだが、ここでも淡々と音楽が流れて、陶酔感が全くないのだ。そして、かなり感動的であるはずのクライマックスも表面的で、単にデカい音を出しているという雰囲気。残念だが何の扉も開かなかった感じで、その後の結尾部も名残惜しさみたいなものが感じられない。
 こうなったら第四楽章の歌に期待するしかないと期待したのだが、最後に逆転勝ちはなかった。この曲の独唱はあくまで澄んで軽い声質が欲しいところで、バーンスタインがボーイソプラノを起用した(評価は散々だったが)気持ちがよく解る。小林の声は重くはないが、表情付けが素人臭く、更に発音が悪いのが残念だ。発音云々言うからにはオマエはドイツ語が完璧なんだなと言われると一言も無いが、聴き慣れた曲であるから言葉を理解していなくても何と言っているのか判らないと云うことは判るのである。
 全曲を通してオーケストラのやる気のなさしか感じられない演奏だった。長く日本フィルを聴いているが、こんなのとは珍しい。お仕事モードで演奏していても聴かせどころや最後の部分ではやる気を出して(いるふりをして?)帳尻を合わせるのが日本フィルだと思っていたのだが、今回は曲のせいかもしれないがそれすらなかった。このツィクルスもまだ折り返し前なので、この先こんな演奏が続かないことを祈りたい。リハーサルで決裂したりしていないといいのだが。

【第五回】
武満徹/ア・ストリング・アラウンド・オータム*
マーラー/交響曲第五番嬰ハ短調
ヴィオラ/赤坂智子*

二〇一六年二月二十七日(土)オーチャードホール

 今回は大満足。百点は付けられないが合格点かつ敢闘賞という所か。冒頭のトランペット独奏がいきなりコケて始まったので、どうなることかと心配したが、第一楽章は遅めのテンポを基調に目一杯濃い表情付けで進めていく。旋律の歌わせ方、フレーズの移り変わりのルバートなど、期待通りのやりたい放題。若手なんだから思ったことは全部やってみればいい。第二楽章も同様、メリハリ、デフォルメ、外連を多用して、高カロリーな音楽を積み上げて行く。オーケストラも良く鳴っている。第三楽章も同様で進めていくが、ここでは曲の冗長さが若干気になった。これは山田のせいではなく曲自体の問題かも知れない。この辺はまだ山田は若く、老練なインバル爺あたりに敵わないところだろうか。第四楽章は一転して、スローテンポで弱音を強調した作り。これも大成功で、実に感動的な音楽に鳴っていた。オーケストラに更なる緊張感が欲しかった部分もあったが、後半の囁くような表現に不覚にも涙腺が緩んでしまった。これは大名演になるかと期待した第五楽章は、山田の表現はいいのだが、オーケストラが疲れてしまったのか、急に鳴りが悪くなってしまった。もっとも、最初から管楽器群に比べ絃の鳴りは良くなかったのだが、第四楽章で休憩したら管楽器が疲れてしまったのかも知れない。スタミナ切れな感じのフィナーレで残念。ここに体力が残っていれば相当な名演になっていたと思う。
 日本フィルは管楽器分に比べ絃の鳴りがイマイチ。そして、ホルンとトランペットのソロが若干足を引っ張った感がある。それでも、一、二、四楽章は大変な名演だったと思う。山田和樹は元祖ヤマカズ同様、ムラがあって面白い。次の六番は五番ほど遊べる要素が無いので、どう料理するのか楽しみである。


【第六回】
武満徹/ノスタルジア*
マーラー/交響曲第六番イ短調
ヴァイオリン/扇谷康朋*

二〇一六年三月二十六日(土)オーチャードホール

 期待通りの六番と言っていいだろう。期待とは、まだ若いんだから遠慮せず思ったことをやって欲しいということ。五番とは打って変わって快速ベースの第一楽章。今日はオーケストラが最初から良く鳴っている。緩急のメリハリを付けて、第二主題ではぐっとテンポを落として歌わせる。多少荒っぽいところはあるが、やりたいことを伸び伸びやっている感じが快い。
 第二楽章も早めのテンポで良く鳴らして同系統の好演。日本フィルもホールに慣れたのか、最初の頃に比べると見違えるほどオーチャードホールが鳴っている。
 第三楽章はテンポは中庸だが、良く歌わせた演奏。五番の時は弱音を強調して成功していたが、今回はたっぷり歌わせている。ホルンのソロも安心の出来だ。
 終楽章はやはり難しい。曲自体が冗長で扱いにくい楽章だ。山田は導入部の手探りで進む感じをうまく出していた。しかし、主部に入ってからは若手らしく力で押しまくる演奏。恐らくこれ以外にやり様は無いのだろう。一本調子に聞こえるのは曲の問題が大きい。ハンマーが鳴って以降はどうにも退屈な曲だが、どうにか緊張感を失わずに最後まで行ったのは立派だと思う。この楽章は無駄に長く、更にハンマーが二度鳴ることで意味が解らなくなる。演奏者も聴衆も、集中力を途切れさせないようにするのが大変だが、山田は若手らしく力業で押し切った。
 細かいところの荒っぽさや、オケの音にまとまりが無い(これは昔から日本フィルの特徴)点が気になり、指揮者の表現にも出来不出来があるが、第二期の三曲は面白く聴くことが出来た。残りの三曲はさらにとりとめが無い曲なので、山田がどう料理するのか楽しみだ。少なくとももう一年ちょっとは生きて、このツィクルスを最後まで聴きたいと思う。

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2015年12月21日 (月)

バッティストーニの第九

東京フィルハーモニー交響楽団第九特別演奏会

ベートーヴェン/「レオノーレ」序曲第三番
ベートーヴェン/交響曲第九番ニ短調作品一二五

ソプラノ/安井陽子
アルト/竹本節子
テノール/アンドレアス・ジャーガー
バリトン/萩原潤
合唱/東京オペラシンガーズ
管絃楽/東京フィルハーモニー交響楽団
指揮/アンドレア・バッティストーニ

二〇一五年十二月二〇日オーチャードホール

 予想通り期待外れの第九だった。今まで聴いたバッティストーニの舞台では、彼の若さと果敢な挑戦者精神が功を奏して、完成品ではないけれど才能の煌めく演奏になっていた。しかし、そんな芸風のバッティストーニとベートーヴェンの相性は悪そうだ。交響曲ならば一、二、四、八番辺りだと面白そうだが、第九は遮二無二突っ込んで行くには大物過ぎる。基本速いテンポで畳み掛けるのだろうと予想して、何年かぶりに年末の第九を聴きにオーチャードホールへ向かう。

 オーケストラの編成は絃が十四ー十二ー十ー八ー六型で、管はホルンにアシスタントが一本付いている以外は編成通り。但しピッコロとコントラファゴットは出番以外ではアシスタントに付いている。合唱は約八十名。楽譜はベーレンライター版を使用。実演でベーレンライター版を聴くのは初めての経験かも知れない。

 第一楽章は予想通り速いテンポで突っ走る。バッティストーニ得意の、フェイント的に音量を小さくする外連が三箇所ほどあった。ハッとさせられて面白かったが、他に工夫がないので取って付けた感は免れない。再現部は速いテンポながら雄弁で、トレモロにしたティンパニに目一杯の強弱とルフトパウゼを入れてドラマティックに叩かせていた。また、この楽章では十九世紀的な大指揮者はヴァイオリンのオクターヴ上げを多用するが、バッティストーニはコーダ直前の一箇所だけ採用していた。
 第二楽章も速い。第二スケルツォは繰り返さずにトリオに入るが、トリオも超高速だ。第二スケルツォで問題となるヴァイオリンのオクターヴ上げは採用していた。
 チューニングの中ソリストが着席して第三楽章。この楽章も快速。テンポが速いのはいいのだが、絃楽器の十六分音符をスラーを付けずにタタタタと弾かせるのは、音楽の流れが悪くなり違和感がある。テンポが速くても歌うのをやめてしまったらこの幸せな楽章が台無しだと思う。珍しくホルンのソロがこけたのはご愛敬。
 アタッカにせず間を置いて第四楽章に入ったのは大変な見識だ。この辺はただ者でない。そして低絃のレチタティーヴォの雄弁なこと。テンポを変えるななどという指示はクソ喰らえでやりたい放題に突っ走り大見得を切る。一気呵成に進んで、間を置かずに歓喜の主題が現れる所は現代的でいい。ただし、良かったのはここまで。歓喜の主題以降はテンポは速めだが普通の第九。行進曲で普通テンポになるが、テノールの独唱はオペラアリアのようにここだけ雄弁すぎて違和感有り。再び快速になり歓喜の合唱まで突っ走り、男声合唱から普通のテンポ。しかし、テンポは遅くなっても一本調子である。二重フーガから再び早くなり、一気にコーダまで突っ走る。結局声楽が入って以降は、多少テンポの緩急はあったが、ずっと表情が変わらないオールフォルテ。オペラで実績のあるバッティストーニならば、テノールだけでなく声楽全体に濃厚な表情を付けたりする冒険も出来ただろう(恐らく失敗するだろうが)。合唱は人数の割に声量は十分だったところはさすがだが、正直雑でクオリティは低く、声量自慢で終わった感がある。これは合唱団のせいなのか、指揮者のせいなのかは不明。とにかく聴いていて暑苦しく、途中からうんざりしてきて、正直早く終わらないかと思う第四楽章だった。
 演奏時間は全曲でおよそ六〇分。若手の第九としては平均的なテンポなのだろうか。カーテンコール中にぞろぞろ帰っていく客が大勢いたのが、演奏の出来を物語っていたように感じられた。

 終演後のオーチャードホール前には黒塗りのクルマがずらりと並んで待機している。世渡り上手なホリエモンこと三木谷が理事長のオケだから、財界のVIPが大勢臨席されていたのだろう。三階席の安いチケットを握りしめて、会社を早引けして聴きに来ている私のような貧乏人とは別の世界だ。私はやはり日本フィルや旧新星日響のような貧乏人向けのオーケストラが好きだ。

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2015年10月 7日 (水)

コバケンのブラ一

フレッシュ名曲コンサート

ラフマニノフ/ピアノ協奏曲第二番ハ短調作品十八
ブラームス/交響曲第一番ハ短調作品六十八

ピアノ/梅田智也
管絃楽/日本フィルハーモニー交響楽団
指揮/小林研一郎

二〇一五年一〇月三日(土)立川市市民会館

 地元の立川市市民会館で日本フィルの演奏会があったので聴きに行ってみた。昔は都民名曲サロンという名称だったシリーズで、都が助成して都内区市町村で在京オケを聴くという演奏会である。

 前半はラフマニノフ。独奏は第十二回東京音楽コンクール第一位の梅田智也。長身の若者だが、あまり音楽のスケールは大きくない感じだ。そつなく弾いていて不安は感じないのだが、背の高い兄ちゃんに我々が期待するバリバリ弾く感じではなく、大変大人しい演奏だ。何より音量が足らず、トゥッティのオケがかぶる部分ではピアノが完全にかき消されてしまう。コバケンも常にオケに抑え気味の指示を出している。指揮者がそうしているということは、ホールや私の座った席の問題ではなく、奏者か楽器の問題であろう。コバケンも協奏曲で独奏者を挑発するタイプではないので、若者を温かく見守りつつキッチリ合わせた感じの演奏だった。

 後半はブラームス。コバケンの得意なレパートリーなので、今まで何度も聴いてきた。録音も五種類出ていて、一九七八年の東響とのライヴLP以外は手元に揃っている。今回の演奏を一言で言えば、コバケンも丸くなったという所か。アプローチは昔と変わっていないのだが、テンポの変化や表情の付け方が自然になったように感じる。コバケンも七十代半ばになり、昔なら老大家と呼ばれていい年齢であるが、相変わらず音楽作りは表現主義で濃厚である。枯淡の境地や軽妙洒脱というのとは真反対の芸風だから、晩年のバーンスタインやシェルヘンのようにワガママジジイになって、やりたい放題やってもらいたいのだが、妙に手慣れてきて角が取れてきているのは、評価する向きもあろうが、私はちょっと残念な気がする。
 いつも通りご挨拶の後、アンコールはハンガリー舞曲第五番。「日本風に、演歌のように」と断っての演奏で、コバケン節全開のやりたい放題。そつない指揮者ばかりの昨今、ここまで遊べるというのは貴重なことだと思う。

 立川市市民会館は数年前に改修工事を行い、プレミアム商品券の不正販売でお馴染みの多摩信用金庫が命名権を取得。たましんRISURUホールという面白い名称になって、指定管理者も民間業者になったようである。今回改修後初めて客席に入ったが、座席の見た目がが豪華なった他、客席壁面も更新された。音響反射板の意匠などは変わっておらず、舞台の見た目は大きな変化はない。何より気になったのは、客席の天井が一面網に覆われていること。工事中の落下防止ネットのようなものが天井全面を覆っていて、天井だけまだ工事中のように見えて不思議な感じだ。
 今回は二階席のほぼ中央で聴いたのだが、元々デッドな音響だったホールが更に乾いた音響になったような感じがした。壁面のせいなのか、新調した絨毯のせいなのかは判らないが、以前はもう少しマシな音がした気がする。幸い、人見記念講堂や練馬文化センターの二階席ような、オーケストラの楽器間のバランスがおかしく、特定の楽器が突出して聞こえるような感じではないので、雰囲気に乏しいだけで、鑑賞に支障がある程ではない。良く響き残響の長いホールで音楽を聞き慣れてしまったせいで、今回の日本フィルの演奏は絃楽器のざらざらした感じや、木管楽器の不揃いな感じが露呈する一方で、いつもは聞こえにくいコントラファゴットがよく聞こえて面白かった。サントリーホールや東京芸術劇場ばかりでなく、たまには多目的ホールで聴いてみるのも、普段気づかない発見があって面白いものだ。

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2015年9月11日 (金)

バッティストーニの展覧会の絵

東京フィルハーモニー交響楽団第八六八回定期演奏会

ヴェルディ/歌劇「運命の力」序曲
ラフマニノフ/五つの絵画的練習曲(レスピーギ編)
ムソルグスキー/組曲「展覧会の絵」(ラヴェル編)

管絃楽/東京フィルハーモニー交響楽団
指揮/アンドレア・バッティストーニ

二〇一五年九月一〇日 サントリーホール

 お気に入りの若手指揮者バッティストーニが来日したので、東フィルの定期を聴きに行く。久々のサントリーホールは八割強くらいの入りだが、バッティストーニの人気が出れば、今後チケットが取りにくくなるのではないか。

 一曲目の運命の力から全力投球。緩急のメリハリをはっきり付けて、時に大袈裟と言えるほどの表情を付け、突然テンポを変えたりとやりたい放題。若手はこうでなくちゃ。東フィルはちゃんとチューバでなくチンバッソ(トロンボーンにロータリーを付けた楽器)を使っていた。
 ラフマニノフは初めて聴く曲なので何とも言えないが、レスピーギらしい色彩的なオーケストレーションで楽しい曲だった。
 メインの展覧会の絵もやりたい放題。やってみたいと思ったことを全部乗せにしてみた演奏だが、元々が濃い曲なのに更に表情付けをこれでもかとする。ただしメリハリが効いているのでもたれないところは立派だ。この曲はラヴェルの編曲が素晴らしくて、指揮者があまり余計なことをするとやり過ぎ感が出てしまうが、バッティストーニは全く遠慮しない。表情、テンポ、様々な外連を遠慮なく盛り込んで行くのに、東フィルも面白がって付いて行く。つくづく若いっていいなあと思わせる演奏だ。若い内は色々やってみて、段々取捨選択していく内にバッティストーニのスタイルが出来ていくのだと思う。相変わらずやりたいことに棒が付いて行かない指揮ぶりだが、東フィルは相性がいいようで、バッティストーニのやりたいことを表現していたと思う。

 バッティストーニは今年は東フィルの第九を振るようだが、今までの印象ではベートーヴェンとの相性は良いと思えない。第九はちょっと興味本位で聴きに行くにはチケットが高いのが難点だが、一般発売になって安い席が残っているようなら聴きに行ってみたいと思う。

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2015年8月 9日 (日)

ヤマカズ/大阪センチュリー響の「エロイカ」

ベートーヴェン/交響曲第三番変ホ長調作品五五「英雄」
モーツァルト/バレエ音楽「イドメネオ」~ガヴォット

管絃楽/大阪センチュリー交響楽団
指揮/山田一雄

一九九一年三月十五日 ザ・シンフォニーホール
大阪センチュリー交響楽団第四回定期演奏会実況録音

ライヴノーツ/WWCCー七七八二

 一九九〇年四月に大学に入学した私は、高三~浪人期間に途絶えていた演奏会通いを再開した。中でも年齢的に今のうちに聞いておきたいと思った山田一雄(以下ヤマカズ)の演奏会は欠かさず聴きに行き、遂に東京以外の公演でも追いかけるようになった。その最初の地方追っかけ演奏会が当時新進気鋭だった大阪センチュリー響の第四回定期演奏会だった。金は無いけど暇はある大学生だったので、往きは東海道線の普通列車乗り継ぎで、帰りは急行「銀河」のB寝台で帰って来た。まだ鉄道乗り潰しを趣味にする前なので。演奏会のチケット以外何も予約しておらず、演奏会が終わってから大阪駅に戻り、どうやって帰るか時刻表を開いて考え込んだ記憶がある。そして翌日はオーチャードホールで朝比奈/東響のブル九(この演奏もCD化された)を聴いたのだった。今思い出しても充実した日々だった。ヤマカズの地方追っかけは、その後京都(三月)、仙台(五月)と続いたが札幌(五月)と福岡(五月)は所属サークルの都合で叶わなかった。
 そんな懐かしい演奏会の音源が突然CD化された。うっかり気がつかずにいたのだが、ネットで発見して早速入手して聴いてみた。
 ヤマカズのエロイカは何と四種目の録音らしいが、既出の音源と基本的にアプローチは変わらない。しかし、実演で聴いた演奏そのままに、オーケストラが非常に乗っていて、熱い演奏になっている。ヤマカズの舞台に何度も接した人は覚えていると思うが、この指揮者は乗ってくると眼鏡を外す癖があった。その外した眼鏡を指揮しながら指揮台の隅っこに置いてみたり、控えている独唱者に渡したりして、客席から見ていてもハラハラさせられたものだ。確かこの演奏会でも第一楽章の終わりで眼鏡を外して、指揮台の後ろに置いたり、また拾い上げて掛けたり(?)していた。晩年はあまり眼鏡を外すことは無かったので、この時は創立間もないオーケストラの熱気に煽られて、ヤマカズも乗った演奏を繰り広げている。
 そして、このCDで一番嬉しいのはアンコールで演奏された、モーツァルトの「イドメネオのガヴォット」が収録されていることである。ヤマカズがよくアンコールで演奏した小品だが、何とも楽しい演奏で、指揮者、オーケストラともに心から音楽を楽しんでいるのが伝わってくる。ヤマカズのアンコールは殆ど練習していないぶっつけ本番な雰囲気のことが多かったが、大抵遊び心に溢れた演奏を聴かせてくれた。この録音でも鼻歌と唸り声の中間みたいなヤマカズの声が聞こえ、客席で聴いた時のあの幸せな瞬間を追体験させてくれる。ただ残念なのは、録音がCD化前提ではなく記録用の録音で、恐らくホールスタッフにお任せの三点吊りのみのワンポイント録音なのであろう。絃はよく聞こえるが、管楽器とティンパニが遠く隔靴掻痒の感を否めない。CD化前提の録音ではないので仕方ないのだが、もう少しバランスの良い録音で聴きたかった。
 ヤマカズのアンコール演奏といえば、この録音のひと月半後に収録された、新星日響との最後の演奏会の「マドンナの宝石」間奏曲が遊び心満載でオーケストラも指揮者もノリノリ、聴いていて思わず顔がほころんでしまうような名演だった。今回それに並ぶヤマカズのライヴの雰囲気を伝える録音が一つ増えたことを心から喜びたい。更に贅沢を言えば、同じくヤマカズのアンコールピースだった、ピエルネの「小牧神の入場」をCD化出来ないだろうか。一九九〇年に新星日響と新響で演奏しているので音源は残っていると思う。毎度同じ事ばかり言って申し訳ないが、新響とのマーラー交響曲全集の余白に入れてもらえれば嬉しいのだが。

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